虹色の憂鬱

江蓮蒼月

虹色の憂鬱

 粛然とした、喜びと緊張に包まれた空間に私は不釣り合いだった。受賞式が行われている、美術館内にあるステージ。その会場に、私はいた。金賞の受賞者として。だけど、私には喜びの感情なんてない。立派に飾られた私の絵は見窄らしく、とても金賞を受賞したものとは思えないものだ。

「力強い、激しい絵だ」

「衝動が心に響く。素晴らしい」

「これこそ、芸術だ」

 お偉いさんの褒め言葉は私には届かない。こんな絵のどこに魅力を感じたのか、全くわからない。

 絵のタイトルは「虹色の憂鬱」。私の心の中を殴り描きしただけの、明るい色調でありながら禍々しい、なんとも言えない不気味な絵。

 この絵を描くにあたって考えたことは、何もない。〆切間近になってもいい絵が描けなくて、むしゃくしゃした気持ちを当たり散らかした。私にとって憂鬱だったものを色にのせて描き殴っただけだ。

 賞に出す気はなかった。だけど、私はその後も賞に出せる絵を描くことができなかった。ヤケクソになって出したその絵は今、金賞として輝いている。だけど、私の心は荒んでいた。周りの、本気で描いた人が評価されるべきだと思う。何より、中途半端な絵を出した自分に腹が立っていた。そして、それが評価されてしまったことが悔しかった。


 もうすぐ賞の〆切だ。絵が描けない。いつの間にか時間は過ぎ去っていて、昼過ぎから始めた作業なのに時計はもう六時を指していた。没になった絵のキャンパスが、電気もつけていない暗い部屋いっぱいに転がっている。私はやけになっていた。自覚はある。その気持ちをぶつけたかった。薄暗くなった空が映る窓には、落ちる日の反射で虹色の光が伸びていた。直感的に、これだと思った。

 虹色に込められた意味は、本来ならば幸運や祝福の意味合いを持つ。私はその逆の意味を込めて絵を描こうと思った。それこそが、憂鬱。虹の意味とは正反対にある、暗い意味。私は虹に反抗するように、虹色で憂鬱を描くことに決めた。


 赤色の憂鬱は愛情。

 気が立っているときに構われるのが嫌だった。気を使われるのが嫌だった。それが親からの愛情だとはわかっている。自分の我儘だともわかっている。それでも嫌なものは嫌で、愛情そのものに対して憂鬱だと感じるようになった。思春期特有の苛立ちは留まることを知らず、わかっているのに抗えなくて、私は素直じゃなくなっていった。

 赤色は、愛情を連想させる。私が、鬱陶しいと思った愛情。

 本当は嬉しいんだと、伝えることはできなかった。鬱陶しいと感じたことに謝ることもできなくて。だから、愛情に対する全てが憂鬱だった。


 橙色の憂鬱は活気。

 やる気だとか、熱気だとか、そんなもの邪魔で仕方がない。私自身にも元々はあったものだけど、焦りで掻き消えてしまったもの。人の活気も当てつけのように感じてしまって嫌だった。私が自分で失くしただけなのに、それを認めてしまうと負けな気がして、私は目を逸らし続けていた。

 橙色は、活気を連想させる。私が、暑苦しいと思った活気。

 本当は取り戻したいと、渇望することはできなかった。狡いと感じる自分の心が醜くて。だから、活気に対する全てが憂鬱だった。


 黄色の憂鬱は希望。

 光だとか、可能性だとか、そんなものは信じていない。だって、全部偽物だから。存在しないものだから。努力したって、何も実を結ばないから。希望はない。ただ真っ暗な道に取り残されているだけ。才能がある人は光に向かって歩いていく。希望に輝く瞳をしている。あいにく、私はそれを持ち合わせてはいなかった。

 黄色は、希望を連想させる。私が、望みはないと思った希望。

 本当は望みがあると思いたいと、信じることはできなかった。今までの失敗の積み重ねが大きくて。だから、希望に対する全てが憂鬱だった。


 緑色の憂鬱は未来。

 将来なんて考えるだけ無駄だと思う。人生何が起きるかなんてわからないから。もしかしたら、明日はないかもしれない。誰もがそんな状況を生きていて、それなのに未来を夢見ているのが奇妙だった。絵を描き続けていれば、いつかは画家になれると、認めてもらえると思っていた頃の私はもういない。

 緑色は、未来を連想させる。私が、考えたくないと思った未来。

 本当は未来を夢見ていたいと、溢すことはできなかった。本音を漏らすことをしたくなくて。だから、未来に対する全てが憂鬱だった。


 水色の憂鬱は清涼。

 清らかさも潔白も、本当に白いわけがない。絶対どこかは清らかじゃないし、黒ずんでいる。涼しいはずもなく、怒りで熱い。冷静沈着など大嘘で、内心に滾る感情の嵐は静まることをしらない。

 水色は、清涼を連想させる。私が、理解できないと思った清涼。

 本当は清らかでありたいと、感じることはできなかった。闇に塗れた姿を認めたくなくて。だから、清涼に対する全てが憂鬱だった。


 藍色の憂鬱は神秘。

 神々しさも、美しさも、この世には存在しない幻。人間が作り出した、己を慰めるためのもの。目の前にした、神秘と言われる光景は、手を伸ばせば消えてしまう蜃気楼で、決して掴むことなどできないと知っている。神秘的な絵を描こうとしていた過去のことなんて思い出したくもない。

 藍色は、神秘を連想させる。私が、必要ないと思った神秘。

 本当は奇跡があると、願うことはできなかった。不確定要素に期待することができなくて。だから、神秘に対する全てが憂鬱だった。


 紫色の憂鬱は権威。

 上に立つものはどんなに善良な人間でもねじ曲がっていく。権威を手にした者から堕ちていく。それはやがて、信用を失い、目標から消されていくだけ。表彰台に登ったことがある過去の栄光を捨て去った私は権威の抜け殻で、ただの何でもない存在だった。

 紫色は、権威を連想させる。私が、嫌いだと思った権威。

 本当は自慢したいのだと、さらけ出すことはできなかった。自分は凄いのだと自分で思うことができなくて。だから、権威に対する全てが憂鬱だった。


 七色の絵の具をパレットに出す。私は、感情任せでキャンパスに色をのせた。赤色、橙色、黄色、緑色、水色、藍色、紫色の七色が歪に塗りたくられたキャンパスは、それまで描いた絵の中で一番自分らしいと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虹色の憂鬱 江蓮蒼月 @eren-sougetu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ