第4話 殺人予告メモ
その時の小説と同じようなメモが、つかさの友達の机の中に入っていたという。その内容は、別に殺人を予告するものでも、縦に線を引っ張っているわけでもなかったので、彼女は、それをそれほど気にはしていなかった。
気にしていないのだから、わざわざ誰かに話す必要もないので、誰も、そのことについて、知っている人もいなかった。
彼女は名前を柿崎いちかといい、いつも明るい性格で、輪ができれば、いつもその中心にいた。
というのは、いちかの方から、人を集めるわけではなく、いつの間にかいちかのまわりに人が集まっているというわけだ。
だから、ひょっとすると、いちかの意志に関係なく、まわりに人が集まってくるので、悪く見れば、
「いちかは、まわりに利用されている」
といってもいい。
しかし、いちかはまったくそんなことを気にするでもなく、普通にふるまっている。それが、余計に、
「いちかが、人を自然に集める」
という結果になっているのではないだろうか?
それをわかっている人は意外と少ない気がしているのは、つかさだけではないかと思っていた。
だから、いちかのまわりに、いつも人がいるような感じがするのだが、それはあくまでも、
「いちかの意志だけではなく、性格的にも関係のないことではないか?」
と思えた。
どちらかというと、性格というわけではなく、その佇まいによるものではないかと思うのであって、いちかという女性が、まわりに安心感を与えることが一番大きい区がした。
しかし、それを感じさせないのは、いちかの性格ではなく、どちらかというと、
「いちかは、まわりに影響を与えるタイプではなく、まるで、保護色のように、その場所にいても、目立つことがなく、ある意味、
「一番、当たり障りのないタイプだ」
といってもいいだろう。
それをつかさは、
「石ころのような人間」
と評していたのだ。
いちかという女性の性格として、
「まわりを巻き込みたくない」
という思いがあることだけは確かで、人との距離は、ある程度一定以上のものをいつも保っていて、必要以上に近づくということをしないのが、いちかという女性であった。
その気持ちはつかさにも分かった。
つかさは、時々、
「足がつる」
ということがあった。
特に夏の暑さに弱く、たまに熱中症のような症状になることがあって、その時、一緒に足がつるようなことがあったという。
その時、
「なるべく、他の人に知られたくない」
という思いがあるようで、そうなると、顔をしかめながら、息を殺すようにして、耐え忍んでいるということになるのだった。
それを思うと、いちかが、
「人に悟られたくない」
という思いを持ったとすれば、自分の足がつった時のことを思えば、その気持ちはわかるというものであった。
いちかという女性は、別に無口だというわけではない。いつも他愛もない話題には、結構食いついていく方なのだが、自分から、話題を振りまくということをするわけではない。
それを思うと、
「私だから、いちかのことを何とか分かるくらいなので、他の人が分かるなんてこと、ないだろうな」
と、つかさは感じていた。
つかさにとっては、いちかという女性は、どこか、
「自分を映す鏡」
のようなところがある女性だと思っていた。
しかし、だからと言って、
「性格が似ている」
というわけでも、
「考えていることが手に取るようにわかる」
というわけです。
むしろ、分からないところが多いくらいなのだが、
「自分を映す鏡だ」
と思うのは、
「他の人にはわかりそうにもない、いちかの部分を、自分だけが分かっている」
と思っているのだ、
なぜなら、それは、
「いちかが、意識的にか無意識に何かを隠そうとしている時、明らかになにかを隠そうとしているのが分かる」
ということだからであった。
「ツーと言えばカー」
というような感じDもない。
「ただ、何かを隠そうとしている時や、後ろめたさを感じている時のいちかのことが、手に取るようにわかる」
と思うからだった。
しかし、それは、逆も言えるのだった。
「いちかにも、私のある部分を、他の人には分からないというそういうところを、分かっているということではないだろうか?」
ということであった。
それを考えると、
「私といちかは、お互いに、相手を意識しないようにして、意識をしているのかも知れない」
と感じた。
他の人からは、
「つかささんは、分かりやすい人だ」
と言われるが、実際には逆で、
「分かりやすいということで、深くは知ろうとしないのが、まわりの人の性格なのかも知れない」
ということであった。
しかし、いちかに関しては。必ずしも、
「自分のことをわかっているわけではないので、私を少しでも気にしてくれたら、興味を持つくらいのことがあってもいいだろう」
と感じていた。
それは、自分がいちかに対して感じることであり、いちかとすれば、その思いが、間違っていないということをわかるからであった。
「いちかと、つかさ」
人によっては、
「まるで、双子のようだ」
と評する人がいた。
「人によってはというのは、その人たちに何か共通性があるというわけではなく、ただ、似ているところが、他の人にはない酷似性というのがあった」
ということだからであった。
一つ言えることは、
「いちかも、自分も、どこか、まわりに対しての自衛の気持ちが強く、それが、いちかにとって保護色を示しているように感じると、それが自分にもあると思うと、少し複雑な気がした」
というのは、保護色というのであれば、まだいいのだが、これが保護色ではなく、まわりに対しての存在価値を消すといことになれば、危険に見舞われた時、
「まわりは気づいてくれない」
ということになり、それこそ、
「石ころのような効果」
になってしまうということになるのだ。
いちかもつかさも、自分がどこまで、世の中を知っているか?
ということに対して、不安を感じているようだ。
その感覚が、どうも同じように見えるようでそのことをまわりが分かっているということで、
「あの二人はまるで、双子のようだ」
とまわりに感じさせるのかも知れない。
つかさは、
「双子だ」
と言われても、あまり気にしていなかったが、どうも、いちかの方は気にしているように思えた。
しかも、あまり嬉しいという気分ではなく、
「迷惑だ」
と思っているように感じられて仕方がなかった。
それだけ、相手のことが分かっているということになるので、つかさが、
「いちかのことを分かっている」
というように、いちかも、
「つかさのことが分かっている」
ということになるのだろう。
つかさの方は、いちかに自分の性格を見抜かれていたとしても、気にはならないが、いちかという女性は、自分のことを見抜いている人がいるということを、あまり気分よくは感じていないということに違いないと感じているように思えたのだ。
確かに、つかさも、
「自分のことを分かっている」
という人がいると思うとあまり気持ちのいいことではないが、それも、全員ということではない。いちかに対しては、別に気にするレベルではないと思っていた。
逆にそれは、
「いちかのことは、どうでもいいんだ」
という感覚になっていると考えると、いちかが思っていることに対して、
「私も強いことはいえないんだ」
と感じてしまうのだった。
つかさは、自分が書いた小説で、
「殺人予告メモ」
に近いものを書いたことがあった。
昔読んだ、例の、
「対になっているものに対しての、殺人予告」
ということではなかった。
あの予告メモというのは、探偵小説の中では、核心を突いたという部分ではなく、ただ単に、
「恨みのある人の名前を書いて、それが、ちょうど、村において、皆が対になっている」
ということに気づいたことで、その時点で、殺人事件がすでにぼ@@圧していて、まるで、自分が書いた殺人予告メモのように進んでいることに恐怖を感じたその人が、恨みを込めて書いたことを思い出して、怖くなって捨てたものだったのだが、それが、なぜ、捜査本部の手にゆだねられることになったのか?
そのことが、メモを書いた人は恐れていた。
何といっても、その人が犯人ではないのだ。
そして、その犯人が、なぜか、本人しか知らないはずの殺人予告メモを使って、自分の犯行に利用している。
それも、怖いのだが、何よりも、
「なぜ、犯人が、そのメモを持っているのかということ」
そして、
「その意味を分かったうえで、何の目的で、それを利用しようと思ったのか?」
ということである。
殺人事件というものが、これ以上進んでくると、
「俺は、ノイローゼになってしまう」
と思うと、
「犯人は、それを狙っているのか?」
と感じた。
さらに、そのメモの中には、自分の名前も書かれている。
ということは、自分も犯人からすれば、
「ターゲットの一人」
ということであり、殺される可能性もあるということで、
「警察からは、犯人として疑われる可能性があり、犯人からは、犠牲者として数えられている」
と思うと、それだけで、
「事件が解決するまで、地獄の毎日」
ということになるだろう、
だから、この男が、姿を隠したくなったとしても、無理もないことだ。
しかし、そうなると、犯人の思いツボであり、
「その行動だけで、警察は、その男の行方を捜すということで、自分に捜査の手が及ばないことがありがたい」
といえ、さらに、
「やつが、姿をくらましている間に、秘密裏にやつの始末をつければいい」
というわけである。
この犯人は、
「犯行をくらませる」
ということをするどころか、
「さらに、いろいろな小細工をして、捜査をかく乱している」
というのだ、
「今回の殺人計画メモ」
なるものも、事件をかく乱させるという意味では、効果が満点であった。
しかも、それによって、被害者を、二重に苦しめることになるということを考えると、犯人の頭の良さが分かるというものだ。
そういう意味で、
「トリックや謎解きを主題にして、探偵が、その謎を解き明かしていくという鮮やかさを本質とした、本格派探偵小説としての醍醐味ではないか?」
と言えるのであった。
「こんな殺人事件というものが、どのような形で終結したのか?」
ということを思い出してみると、
「中学時代に読んだ時は、大したことはなかった」
と思っていたが、今読むと、
「こんなに面白い小説だったのか?」
と感じた。
それは、
「最初に読んだ時期が、まだ中学時代だったから」
ということだろうか?
それとも、
「読めば読むほど、味が出る」
という小説だったからだろうか?
それとも、
「自分が女性で、女性特有の感じ方が男性とは違う何かがあるのだろうか?」
といろいろと考えてみたのだった。
そんないちかから、
「悪いんだけど、少し相談に乗ってもらいたいことがあって」
と声をかけてきた時は、さすがにびっくりした。
思わず腰が引いてしまったことも分かったし、その相手の態度が、今までに彼女に対して感じたことのないほど、後ろめたさを表に出しているのが分かったのだ。
それだけ、
「私に対して、何かを相談するというのが、屈辱だったということだろうか?」
と感じたわけで、まさにその通りだということが分かった気がしたのだ。
そんなことを考えていると、いよいよその話の日になって、
「実は、私、こんなものが机の中に入っていたんだけど」
といって、そこには、まさに、昔中学時代に読んだ小説に描かれていた、
「殺人予告メモ」
というのを思い出して、それを見せられた瞬間、
「殺人メモ」
と、つぶやいていた。
自分では無意識のつもりでいたが、実際には、その口調が強めだったことで、
「そうでしょう? つかささんもそう思うわよね?」
と、いちかは同意を求めてきた。
それにしても、いちかの口から、
「つかささんという名前で呼んでくるということが起こるとは、思ってもいなかった」
つかさは、名前で呼ばれることが多いので、呼ばれることに関しては、さほどの違和感はないのだが、相手は、いちかということと、初めて話す人が、最初から、名前で呼んでくるなどということはありえないと思っていただけに、その気持ちは強いようだった。
つかさは、いちかから名前で呼ばれたことに対して、ショックではなかった。
別になれなれしくは感じなかったし、むしろ、初めて呼ばれたことの方が違和感を感じるほどだったのだ。
「以前にも呼ばれたことがあったような気がするんだけどな」
という、まるで、
「デジャブ現象のようではないか?」
と、それを感じると、
「私には、今までに何度かデジャブというのを感じたことがあったが、今回のデジャブは、今までと少し違うような気がする」
と感じた。
今までは、
「夢の中で見たこと」
と同じ感覚だと思っていたのだが、今回のいちかに言われたのは、
「夢の中ではなかったような気がする」
ということであった。
しかも、
「いちかが、夢の中に出てきた」
という意識すら曖昧な気がするのだ、
それを思えば、
「そもそも、デジャブと夢の関係というものが、怪しい」
と感じるようになっていた。
そもそも、その二つが関係しているということを感じたことに、何らかの根拠のようなものがあったのだろうか?
それを考えると、
「デジャブというものと、夢の、どちらが、より幻想的な発想になるのだろうか?」
と感じるのだった。
いちかが、見せてくれたメモは、クラスの中の、つかさも把握している一種の派閥のメンバーであった。
それも、対立しているメンバーと思しき人が、そこには書かれていたのだった。
それを見るまで、
「この人とこの人が、対立していたっけ?」
と感じたであろう人だったはずなのに、それを見ているうちに、違和感を感じなくなってきたのは、
「やはり、慣れというものが意識されるからではないか?」
と感じられたのであった。
いちかが相談してきたのが、なぜ、つかさだったのか?
それを考えると、いくつか考えられる、
「いちかには、腹を割って相談できる人がいない」
ということ。
これは、可能性としては大きいだろう、
それを思った時、つかさも、自分の中で、
「腹を割って相談できる相手、いたっけ?」
と思うと、いちかに感じるよりも、自分の方が明らかに、
「誰もいない」
と思うるところが、間違いないと思うと、いちかを見ていて、
「反面教師」
であるかのように思えたのだ。
いちかも、
「私のことを、反面教師のように見ているのではないか?」
と感じるようになったのだ。
いちかが、さらに口を開いて話をしたことが、最初の言葉よりも、さらに大きなショックを、つかさに与えたということに違いはないだろう。
というのも、
「私、人から、全否定されたかのような気持ちになったの」
と言ったことであった。
ただ、すぐに、
「ごめんなさい。お話はそっちではなかったわね」
というので、すぐにつかさも我に返ったが、これは、
「つかさのビビった表情から、これ以上この話を最初にしようとすると、埒が明かなくなるから、ここでやめておこう」
と感じたのかも知れない。
いちかの方も、我に返った。
いちかがいうのには、まず前置きがあった、
「私は、まわりからどう見られているのか分からないけど、結構いつもいろいろ考えている方なのよ。ただ、その考えている態度が、ぼっとしているように見えるので、人によっては、私は何も考えていないと感じているのではないかと思われているかも知れないけど、実は、いろいろ考えていて、それをまわりの人は、どう思っているのかということを見せないので、手の内を見せない人に対して、私は、必要以上に考えないようにしているので、分からないんだけど、意外とまわりの目を気にしているところがあるのよ」
という。
「そうなのね? でも、私には、そんな風に見えなかったわ、いちかさんは、結構まわりを気にしているように感じられたの」
とさっき、いちかに対しては、自分のことを、名前のさん付けで呼んでいることに違和感を感じたのに、自分の方からは、無意識にでも口を出すようになったことが、自分でもつかさは不思議に思っていた。
「意外と私たち、本当に似ているんだわ」
と感じた。
その時に、先ほどの、いわゆる、
「殺人予告メモ」
に書かれているところの自分の名前を、その時は気にしていなかったが、そこに書かれている自分の名前が、どこにあるのか、今なら分かる気がした。
そう、
「いちかと対に並べられている」
と感じるのであった。
いちかというのは、
「私とは性格が違っているので、対になることはないだろう?」
と思っていた、
だから、今回の
「殺人メモ」
を見て、
「自分の名前が載っている」
ということさえびっくりしたのに、その横にある名前がいちかだったことで、さらにびっくりさせられた。
最初にそのメモを見た時、漠然と並んでいる名前を見たので、そこに、
「自分の名前がまさか書かれている」
などということを、一切考えていなかったのだ。
それを思うと、
「もう一度見直してみよう」
と思ったことが、
「まるで虫の知らせのようなものだ」
と感じたのが、不思議だったということでもあり、
「そこに書かれているということは、対になっているということだ」
と考えると、
「その対の相手が、いちかでなければおかしい」
とまで、まるで、
「わらしべ長者」
のように、いろいろ変わっていくのが感じられたのだった。
しかし、実際の、
「わらしべ長者」
というのは、いい方に変わっていくので、つかさが感じていることと、かなり違っているということになるであろう、
「わらしべ長者」
というのは、信心深い人が金に困っていて、お寺にお参りに来た時、
「帰りに手に掴んだものを大切にせよ」
というお告げがあり、それがわらしべであったことで、そこから、いろいろなものにm物々交換で変わっていき、最後には、お城の殿様になるというような話であっただろうか。
奈良県の桜井にある、長谷寺が、その起源だという話を聞いたことがあったのだ。
そんなわらしべ長者の話であるが、
「よく考えれば、こんなに都合のいい話があるものか?」
ということになる。
そう考えると、今回のこの
「殺人メモ」
というものも、
「考えすぎなんじゃないか?」
といえるのではないだろうか?
実際に、これのどこが、殺人メモといえるのか? それは勝手に二人が想像しているだけではないか?
それも、つかさが、つい、
「殺人メモ」
と口走ってしまったからではないか。
いちかの方も、殺人メモという言葉を意識していたのかも知れないが、それはあくまでも、その意識があってのことであって、
「これが殺人メモかどうか?」
ということは、普通に考えれば、
「そんなバカなことはないだろう」
といって、一蹴されればそれでおしまいではないだろうか?
それを考えると、
「いちかも、私も、必要以上に考えすぎるところがあって、そこが、このメモでの対になっているゆえんなのではないか?」
ということであった。
確かに、つかさは、自分が、
「考えすぎ」
ということも、
「被害妄想的なところがある」
ということも分かっている。
それを思えば、
「対であることを、いちかの方も意識しているのかも知れない」
と感じた。
だからといって、
「どこが対だと思う?:
と聞こうと思ったが、そもそも、このメモのどこに
「対になっている」
と書かれているわけではないので、いちかがどう感じているのか分からない。
つかさにとって、自分の勝手な思い込みを、
「相手に押し付けてしまう」
というところがあるということを、今に始まったわけではなく、気にしていたのであった。
つかさにとって、
「私には、勝手な思い込みをする時と、都合よく考えてしまう時という二面性があるが、いちかにはどうなんだろう?」
と感じた。
そもそも、この、
「勝手な思い込み」
と、
「都合よく考える」
ということが、それぞれに対をなしているのかも知れないと思うようになると、自分が、普段から、
「対というものを意識していたのかも知れない」
と感じるのであった。
ただ、
「対」
というものには、
「つがい」
という考え方もあり、夫婦であったり、恋人であったり、中には、不倫や浮気ということもあるだろう、
男性同士、女性同士であっても、
「異常性癖」
ということも考えられる。
「対」
というものには、たくさんの考え方があるということであろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます