13話 廃病院の密会



 13話 廃病院の密会




 雨宮の初任務が終わった日の深夜。

 雲一つ無い空には満月が浮かんでいる。

 

 場所は”天使達”のテリトリーでもあるヘウンデウン北区。


 激戦区と化している西区との境から少し離れているにも関わらず、”解放軍”と”天使達”の両者による攻撃で焼け野原になっていた。

 焼け野原となった一角に、屋根や上階のほぼ全てが壊れ、一階部分と数本の柱が辛うじて残っているだけの瓦礫と化した廃病院があった。

 病院としての機能を果たしていない瓦礫に埋もれたエントランスに、雨宮やノノと戦闘を繰り広げたフードを被った男が足を引きずりながら現れた。


「クソ、こんな所に呼び出しやがって」


 フードを被った男は、この先で待っている相手が聞いているであろうことを踏まえたうえで悪態をついた。



 小一時間程前まで肉片と化していたフードの男を「廃病院に集合ぉ」と呼び出した”非常識な女”は、ボロボロになった椅子やベッドに混じって死体も山積みにされたゴミ山の頂上で、膝をついた人物の背中に座っていた。


 女が腰を掛けている膝をついている人物は、全身の皮を剥がされて肉が剥き出しになっており、下顎は粉砕され、眼球は抉り取られていた。


 醜い死体に腰掛けた女の頭の上には、”幾何学模様の黄色く光る輪っかのようなモノが浮かんでおり、月夜に照らされたピンク色の長い髪は、吹き抜ける風によって滑らかに揺れ、無邪気そうな垂れ目の黄色い瞳の奥には決して分かり合うことが出来ないであろう暗く深い闇が広がり、背中からは白くて美しい羽根が生えていた”。



 そう。

 彼女は天使だ。


 それもただの天使ではない。


 ”天使長”の一人。

 ”愛の天使長”だ。



「おっそいよぉ。女の子を持たせるなんて悪い男だなぁ」


 自分のいる場所が死体の混じったゴミ山の上であることを忘れているとも思えないが、天使はあざと可愛く両の頬を、餌を詰め込んだリスのようにぷっくりと膨らませた。


「お前が仕掛けた逃走用の魔法のせいで、俺は1時間前まで肉片だったんだぞ。普通の魔法使いなら、身体を元に戻すだけでも丸1日はかかるんだからな」


 愚痴を零すと、ゴミ山の頂上にいる天使はケラケラと笑った。


「だってぇ。”バラバラ魔法”の方が処分するのが楽なんだもん」


「まさか、”また”処分したのか?」


「だってだってぇ。二人ともアッサリ負けちゃったんだよぉ? お金に困ってるわけじゃないけどぉ、役立たずに払うお金は1マニたりとてありませぇん。アハッ」


 

 薄々分かっていた。


 天使が椅子の代わりにしている膝をついた人物は、”やたらと偉そうだった鳥人”の面影が残っている。



 確か、バドとかいう名前だったか。



 ”近くに住んでいるから”というくだらない理由で、勝手に友達だとか抜かして絡んできた鳥人。


 少し煽てれば何でも言う事を聞いていたので我慢していたが、そんな獣人は”天使の椅子”に生まれ変わったようだ。



 所詮、獣人だ。

 どうなろうと知ったことでは無い。



「殺すのは構わんが、いくら何でも殺しすぎだ。何時でも紹介出来るような奴は、もういないからな」


 天使は目と口をまん丸に開けて、両手で頬を触った。


「えぇ!? そんなにお友達少ないのぉ? かわいそぉぅ」


「俺が紹介した奴を片っ端からお前が殺してるからだろ。あと、紹介した奴等はどいつもこいつも友達なんかじゃない」


 そう答えると、天使はイヤらしい眼つきで指差しながら笑った。


「友達が少ないってのはホントなんだぁ。お友達になってあげようかぁ? お断りだけどぉ。アハッ!」



 実に腹の立つ女だ。


 だが、利害が一致し、なおかつ金払いの良さに関して右に出る者がいない以上、敵対するのは好ましくない。



「どうだって良いだろ。それで、何で呼び出したんだ? ”誰かさん”のせいで身体を癒すのに余計な時間が掛かる事になったんだぞ」


 天使は鼻歌を歌いながら足元に積み上げられた死体の腕や足を引きちぎると、ジャグリングの要領で上に放り投げた。


「いやぁ。たまにはさぁ、お仕事ぶりを労ってあげないとなぁと思ってねぇ」



 何をいけしゃあしゃあと抜かす。

 そんなこと欠片も思ってないくせに。



「”キャリーケースを解放軍に渡す”って仕事だろ。渡すだけなら、何処かに置いてくるなり、向こうの使者に渡すなりすれば良いだけじゃないか。何故、あんな茶番劇を挟まないといけなかったんだ?」


 天使は口をすぼめて唇をブルブルと震わせた。


「ブゥゥ。だってぇ。”中身が中身”だからさぁ。タダで渡しちゃうとちょっと面倒くさいんだよねぇ」


 放り投げた足は掴み損ねた天使は「あッ」と小さく声を漏らし、掴み損ねられた足は剥き出しになった鉄筋に串刺しになった。


「タダで渡すのに問題があるのなら、何故魔女との戦いを邪魔した? お前が逃走用魔法を強制的に発動しなければ、あの後も普通に戦えたというのに」


 天使はクルクルと回転しながら落ちてきた腕を掴むと、死体の手を指差す形に変えてから、此方に向けてきた。


「前にも言ったけどさぁ。”戦争卿”には”まだ”手を出すなって言ったよねぇ?」


「”戦争卿”?」



 あまり聞き慣れない言葉だが、”古い奴”がよく使う言葉だ。


 記憶を辿ることで、一人の人物の顔が思い浮かんだ。



「あぁ。”メリー”とかいう名前の”ふざけた武器屋の羊”のことか」


「そうなの? 昔は”戦争卿”って自分で名乗ってたクセに、いつの間にか可愛い名前に変えたんだよね。

 まぁ、そんなことはどうでも良いから話を戻すけどさぁ。

 アイツは”まだ”利用価値があるから殺さないでって言ったよねぇ? いずれ殺すから一緒なんだけどぉ、今はやめてよねぇ」


「アイツは殺そうと思ったところで、そう簡単に殺せるような奴じゃねぇだろ。雷直撃させても死んでないどころか傷一つ負ってなかったんだぞ」



 何をしたのか分からないが、アイツは雷魔法が当たったはずなのに、何故かほぼ無傷だった。


 そんな経験は、”上位者”や目の前にいるような”天使長”を除くと、一度も無かったというのに。



 改めて”武器屋の羊”の異様さを思い返していると、天使は再び両の頬を膨らませた。


「だからぁ。”今はまだ利用価値がある”んだから、敵に回すなって言ってんのぉ。分かるぅ?」


 天使は座ったまま地団駄を踏み、足元の椅子がメキメキと音を立てて変形した。


「”武器屋の羊”じゃなくて、連れを狙ってたんだよ。どういうわけか、羊が連れを庇ったからああなったんだよ」


「言い訳しなぁい」



 口調は変わらなかったが、本能が天使の怒りを感じ取った。



 この女は、逆鱗に触れるかどうかが運次第な所があり、同じ人物が同じ事を言ったとしても、笑って許す時と瞬殺する程に怒る場合がある。


 そして、それを知っている奴等の多くは、彼女のご機嫌を取ろうと媚びへつらう。


 だが、媚びる事こそが、この女の逆鱗に触れやすい愚行である。


 気圧される事無く本音で接し、逆鱗に触れる気配を感じ取ったら速やかに話の軌道を修正する必要がある。



 実に面倒くさい女だ。

 だが、それだけの面倒を考慮してでも、この天使長には利用価値がある。



 今回はかなり分かりやすかったなと思いながら、言い返そうとした言葉を呑み込み、代わりの言葉を口にした。



「そう、だな。俺が悪かった」


 天使は「そうだよぉ全く」と無邪気な子供のように笑った。


「”戦争卿”にも手を出しちゃうようなお馬鹿さんに任せられないなぁと思ったから、”逃走用魔法”と一緒に仕掛けておいた”内臓破壊”の魔法を発動して、強制的に”逃走用魔法”を発動させたわけ」



 魔女の攻撃と内臓を破壊された事の因果関係が分かっていなかったが、やはり天使の仕業だったか。



「それで『天使の死体』を解放軍に渡すことに何のメリットがあるんだ?」


 天使はわざとらしく目と口を丸くした。


「えぇ? 中身見ちゃったのぉ? えっちぃ」


 そうは言うものの、天使はケラケラと笑っている。


「見られて困るなら、”透視魔法”対策ぐらいしておけ」


「だってぇ、面倒くさかったんだもぉん」


 笑いながら話す天使の目は、いつの間にか獲物を狙う猛禽類のような鋭さを帯びていた。


「でもでもぉ。中身は”天使の死体”じゃありませぇん。アレは完全に無力化した”番号持(ナンバーズ)”でぇす。アハッ」



 天使の眼力と話の内容に、思わず息を呑んだ。



 ”番号持”。

 それは、天使達の頂点である”大天使長”の下に3人いる”天使長”の、さらに下に仕える”約10人”いる奴等。


 言葉にすると随分と格下に聞こえるが、何万もの”階級無し”の天使の上にいると考えれば、”番号持”というのがいかに優れた奴等なのかは想像に難くない。



 目の前でヘラヘラと笑っている、事実上のトップ3である”愛の天使長”は、そんなエリートを生きたまま解放軍に渡したのだ。



 死体を渡す事と、生きたまま渡す事には天と地程の差がある。


 何故なら、天使に限った話ではないが、死体から”固有魔法”や”特異体質”を調べる事は非常に困難だからである。


 だが、研究対象が生きてさえいれば、”固有魔法”や”特異体質”の研究は死体を研究するのに比べたら桁違いの効率がある。



 目の前にいる天使がどれ程の重大な事をしたのかと問われれば『解放軍に、”番号持”クラスの天使を殺すための研究材料を生きたまま渡した』と答える他ない。


 どう考えても”天使達”の総意ではなく、目の前の天使の独断だ。



「生きた状態の”番号持”? 正気か? そんなことをしたら、他の天使長達に目を付けられるだろ」


 天使は「心配性だなぁ、もぅ」と笑った。


「大丈夫だってぇ。戦争が激化してるからさぁ、”番号持”の一人が行方をくらましたってだぁれも気にしないよぉ」



 事の重大さを分かっているのか?


 それとも、分かったうえでヘラヘラと笑っているのか?



「バレるに決まってるだろ。仮にも”番号持”だぞ。”力の天使長”はともかく、”知恵の天使長”には勘付かれていてもおかしくないだろ。そんなリスクを背負う程の価値があるのか?」


 天使は今日一番のとびきりの笑顔を見せた。


「もちろんあるよぉ。無かったらやるわけないじゃん。あのねぇ、解放軍には”番号持”の天使ぐらいは殺せるようになってもらいたいんだよねぇ」


「良いのか? 敵に塩を送るどころの話じゃないだろ」


 その言葉に、天使は一際大きな溜め息をした。


「アレ? 前に言わなかったっけぇ? 大っ嫌いなモノが”3つ”あるって」



 いや、聞いた覚えがあるのは”2つ”だ。



「3つ? 聞いた覚えがあるのは2つだ。確か、”無能”と”混血”だったか?」


 天使は嬉しそうに、手を鳴らした。


「そぅ! それだよぉ! ”無能”も”混血”もさぁ。この世に生を授かった事自体が万死に値すると思わなぁい?

 だってさぁ、”無能”だよ!? 飯食う事と腰振る事以外に出来ることが一つも無いなんて、何のために生まれてきたかわっかんないじゃんかぁ」


「”無能”の生きる意味なんか考えたこと無いから知らん」


 天使はわざとらしく、肩をガックリと落とした。


「ハァ。ただの魔法使いは気楽で良いよねぇ。”愛の天使長”だからさぁ。そういう生きる価値の無いゴミクズの事も考えないといけないのぉ。分かる?」


「へぇ。天使長”様”は大変だな」


「アハッ。もしかして馬鹿にしてるぅ? 代わってあげようか?」


「遠慮しておく。俺には荷が重い」


 天使は目を細めて「嘘つきぃ」とニヤけた。


「それでそれでぇ、次に嫌いなのは”混血”。オェェェエ。気持ち悪ぅい」


 天使は吐く真似をしながら、ゲラゲラと笑った。


「とにかく腰を振ることしか考えてなかった”無能”が沢山いたんだろうけどぉ、だからといって獣とヤるぅ? 畜生同士で腰振り合ってるなんて気持ち悪くて気持ち悪くて。 

 それにさぁ、バカな”無能”共は”亜人”だなんて言葉を作ってさぁ。『僕らは仲良しルンルンルン』みたいな馬鹿話してるけどさぁ。獣とヤってるような人間が人間を名乗ってるの面白くなぁい? 新手のギャグなのかなぁ?

 ”亜人”じゃなくて”非人”だよねぇ」



 天使の言うように、”気高き精神を持つ純血”が減り、代わりに”穢れた精神の混血”がドブネズミのように増えすぎたこの世界に不満があるのは同じだ。


 だが、今の天使の発言には、気になる例外が残っている。



「”有能”な奴が”混血”だった場合は? ”混血”だから殺すべきなのか? それとも、”有能”だから生かしておくのか?」


 天使は目をカッと開き、指差してきた。


「さすがッッッ! 手下共にもこの話をしてるんだけどさぁ。全ッッッ然その指摘をしてこないの。もう頭来ちゃったから、戦場で”敵に倒されちゃった”事にしちゃったよぉ。ウケるよねぇ。アハッ!

 あぁ、そうだ。”有能”な”混血”の話の途中だったよねぇ。

 要するに”戦争卿”みたいな奴はねぇ、保留ってことにしてるのぉ。すぐに殺す必要は無いけど、価値が無くなった瞬間に殺すべき。そうでしょ?」


「さぁ、どうかな。俺は『”純血の魔法使い”だけが魔法を操る世界』になれば、他の奴等の事はどうでも良い」


「なんで素直に認めないのかなぁ。要するにぃ、”魔法を扱うに相応しくない無能”と”混血の魔法使い”が嫌いなんでしょぉ?」



 間違ってはいないが、目の前の天使程には”世直し”に興味は無い。


 ”純血の魔法使い”だけが魔法を操り、それ以外の奴等は魔法を操れない。


 そんな世界になれば、”それ以外の奴等”がどうなろうと関係無い。



「嫌いという点は否定しないが、俺は天使長”様”と違って、他の奴等にまで興味が無い」



 その時、天使が警戒するようにグルリと辺りを見回した。


「敵の気配は無いが、何かあったか?」



 いつ、いかなる時も。

 食事の時間も入浴の時間も寝ている時間も。


 常に敵の気配を探るための”警戒魔法”を発動しているが、”警戒魔法”にナニかが引っかかった形跡は無い。



「あぁ面倒くさいなぁもぅ。”知恵の天使長”が探りを入れてきてるっぽい。すぐに戻らなくちゃ」


「そうか」


 踵を返すと、ゴミ山の上にいたはずの天使が目の前にいた。


 ”警戒魔法”に引っかからず、気配すらも感じ取れなかった天使の瞬間移動に恐れ慄き、思わず一歩下がると、天使は逆に距離を詰めてきて、互いの鼻先が触れた。


「最初にやってあげるの忘れてたぁ」


 天使はクスクスと妖艶な笑みを浮かべながら、顔にゆっくりと息を吹き掛けてきた。


 人間よりも体温の高い天使の息は熱を帯びていて、ミルクのような甘ったるいニオイがする。

 息の掛かった場所を起点に、全身に魔力が漲り、負わされた怪我は一瞬で治り、生まれ変わったのかと思う程に体調が全快した。


「ねぇねぇ。ドキッとしたでしょぉ?」


「急に目の前に来ればさすがにな」


「違ぁうよぉ! 話をはぐらかしてるでしょぉ。ん? 話をはぐらかしたって事はぁ、つまり、ドキッとしたんだね!? キャアッッッ!」


 天使は黄色い声を上げながら、身体をクネクネと揺らした。


「早く行かなくて良いのか?」


 冷たくあしらうと、天使は電池の切れたロボットのように無表情になり「もぅ。つまんないなぁ。じゃあ、またねぇ。用があったら呼ぶから」と告げた。


「あぁ」




 天使が翼を大きく広げると、辺り一面に白い羽根が舞い散り、月の光が乱反射した。


 天使が飛び去った後、頭の上に降ってきた白い羽根を、フードの男は手で払い除けた。

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