LOT 01 幕開けのパールイヤリング-⑥

 ジョシュアが肩で息をしている。オークションのときよりはラフだが、身なりのよい格好はジャック・エアでは完全に浮いていた。しかし本人は気づかない様子で、アイレに追いつくと優雅に膝を折る。

 ぽかんとして突っ立っていると、ジョシュアはやっとアイレが淑女の所作を知らないことに思い当たったらしい。苦笑いで立ち上がった。


「やっと会えた。探してたんだよー。〈ハウス〉のメンバーをもうひとり紹介するって言ったのに、まだだったでしょ」

「あのお話はお断りしました」


 アイレは歩みを再開したが、ジョシュアは人のよい笑顔でついてくる。


「うん、でも紹介させてよ。きっとびっくりするからさ」

「いえ、これから帰って夕食にするので」

「それはよかった、僕らもこれから夕食なんだ。今夜のメインは仔牛こうしのローストを用意するって。口の中でとろけるよー。そうだ、ケーキは好き? 食後にマーマレードのタルトなんてどう?」


 アイレは足を止めた。甘美な誘惑である。

 ちょうど懐が寂しく、酒場で食べるのを我慢して帰ってきたところでもある。でも相手は先日アイレを試したひとり。そう簡単についていくわけにはいかない。


「……テーブルマナーなんて知りませんが」

「大丈夫、仲間だけの集まりだから誰も気にしないよー」


 それなら……いやいや、その前にこれも確認しておかないと。


「わたしの手持ち、四セスですが」

「お金なんか取らないよー! おなかいっぱい、好きなだけ食べて。パンとフルーツも山盛りにするからね」


 空腹や寂しい懐事情と、警戒心や矜持きょうじとを天秤にかける。悲しいかな、そのとき狙ったかのようにお腹が鳴った。


「……ご馳走ちそうになります」

「よかったー! さあ行こう。向こうの通りに馬車を待たせてあるんだ」


 アイレは意気揚々と歩くジョシュアに続いて通りに出た。ところが、紋章がかたどられた立派な扉のある二頭立て馬車に乗りこむなり、ついてきたことを後悔した。


「……こんばんは」


 バルトルートが組んでいた腕をほどいて、「ふん」と短く応じたきり口を閉ざす。不機嫌が服を着ている。服だけはとびきり立派だけれど。

 アイレはバルトルートの視界に入らないよう斜め向かいに腰を下ろした。


「俺は呼んでいないからな」

「それくらい、わかります」


 気詰まりな空気を漂わせつつ、馬車はジャック・エアを出発した。


 ◇◇◇


 ただでさえご馳走に釣られた自分を引っぱたきたかったのに、馬車がリンドでもいっとうきらびやかな建物――王族の住まうトゥルド宮の正門をくぐるのに気づき、アイレは喉を引きつらせた。なんでこんなことに。

 アイレは正面玄関に横付けされた馬車から外に出たが、蜂蜜色をした壁の壮麗な建物を前に、いよいよ足がすくんで動けなくなった。


「早く前へ進め。あとがつかえる」


 あとから馬車を降りたバルトルートに腕をがっちりと組まれる。引きずられるようにして王宮に足を踏み入れると、豪華な内装に迎えられた。

 これは、警察に突きだされるよりピンチかも。今すぐ帰りたい。

 しかし切なる願いが通じるはずもなく、アイレたちは白と若葉色を基調とした応接間に通された。グレーのモーニングコートに身を包んだ侍従が、ソファで待つアイレたちにお茶を用意する。え、なんでもてなされるの。

 混乱と緊張が頂点に達し、アイレは隣に座るバルトルートの上着の裾をつかんだ。


「場違いが過ぎませんか?」

「なにがだ?」

「なにってこの格好、配達人の制服ですよ! 労働者はお呼びじゃないんです。廊下ですれ違う人におふたりまで奇異な目で見られていたの、お気づきでしたよね?」


 ジャック・エアではジョシュアが浮いて見えたが、ここでは浮いて見えるのは完全にアイレのほうだ。もしひとつだけ願いがかなうなら、せめて郵便配達の服装ではない見栄えのする服に着替えたい。


「逆だろう。俺が隣にいれば、おまえもそれなりの扱いを受けられる。なんといっても、俺は侯爵家の当主だからな」


 なんという自信家ぶり。でも、なぜか嫌味には聞こえなかった。言葉の裏に当主としてのたしかな自負を感じるからか、堂々とした態度には安心感すらある。

 身分を笠にきただけの偉そうな男だと思っていたけど、違うのかも。なんて、態度が大きいのは今もだけど。

 ともあれ、おかげで落ち着きを取り戻すことができた気がする。

 侍従の案内で正餐せいさん室に移動すると、ほどなくアイレたちの前にハニーブロンドの髪と新緑の色をした目を持つ青年が現れた。


「第五王子のフェリクス・フィーダ・エイン・トゥルディアです。バルトとは同い年で、ジョシュも含めもう長い付き合いなのですよ」


 王族という絶対的な立場ゆえか、物腰にも口調にも余裕がある。笑うと弧を描いて細くなる目は穏やかで、声を荒らげたことなどなさそう。

 バルトルートの印象が硬質なエメラルドそのものであるのとは、対照的だ。


「バルトに真っ向から反撃したとジョシュから聞いて、お目にかかるのを楽しみにしていました。さあ、食事にしましょうか。今夜はマナーなど気にせず、くつろいでください」

「そうそう、緊張しなくていいからねー」


 フェリクスに続いてジョシュアからも笑顔で勧められ、アイレは肩を縮めながらも二十人は座れそうな長テーブルについた。上座には当然ながらフェリクスが、アイレの真向かいにはバルトルート、その隣にジョシュアが腰を下ろす。

 頭がくらくらしてくる。斜め右から向けられる王子の柔和な笑みはまだしも、真正面からの無言の拒絶を浴びて、リラックスなんてできるはずもない。

 ……と思っていたのに、いざ料理が運ばれてくると、アイレの意識はそちらに持っていかれてしまった。


 美しい翡翠ひすい色をした、舌触りもなめらかなポタージュスープ。新鮮な野菜がふんだんに使われた見目鮮やかなサラダ。白いパンはふかふかで、ふたつに割ると湯気が立つ。

 アイレ用にあらかじめひと口大に切り分けられた仔牛のローストにいたっては、食欲をそそる匂いもさることながら、口に入れれば恍惚こうこつのひと言。


「なんですか、これ……! 牛肉界の宝石じゃないですか」

「ごほっ、ちょっ、アイレ。喉につまるー」

「斬新な感想ですね」


 ジョシュアとフェリクスが噴きだすも、バルトルートは白々とした視線を寄越してくる。でももう、ここまできたら開き直るしかない。さいわいフェリクスやジョシュアとは和やかな雰囲気だし、どうせこれが最後。

 デザートに出されたマーマレードのタルトもまた、絶品だった。

 口の中でさっくりと崩れる生地は言うにあらず、とろける甘さの奥からほろ苦さがつつましやかに広がって、この味を知ってしまえば明日から禁断症状に悩まされそう。


貴女あなたまれに見る目利きだとか。我々〈ハウス〉にとって、またとない幸運です。事実であれば、ですが」


 最後のひと口を夢心地で堪能たんのうしていたアイレは、唐突に差し挟まれたフェリクスの言葉に危うくむせかけた。

 慌てて食後の紅茶を口にするが、王室御用達の香り高さを楽しむ余裕もない。

 まさか王族が〈ハウス〉のメンバーで、しかもまた疑われてるなんて。


うそではありませんと、こちらのおふたりにも申し上げました」

「気を悪くさせたのならすみません。ただ私も、貴女のように若い女性がバルトも顔負けの鑑定をすると聞いて驚きました。ですから私にも、貴女の鑑定を見せてください」


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