LOT 01 幕開けのパールイヤリング-⑤

 そういうわけと言われても、どういうわけなの。

 啞然あぜんとしたアイレの肩越しにバルトルートの険しい声が飛んでくる。


「ジョシュア、なにを血迷っている。お人好ひとよしもたいがいにしろ。あれきりでこの女を信用するな」


 しかしジョシュアは垂れ目を輝かせて間合いを詰めてきた。


「ちなみに僕らのほかにもうひとりメンバーがいるから、今度紹介するよ」

「勝手に決めるな。仮にあのイヤリングの鑑定も正しかったとしても、俺にはこの女が真贋を鑑定できるとは思えない」

「贋物をひと目で見破ったのに、まだそんなことを言うの? 〈ハウス〉にきてもらえば、僕らもめちゃくちゃ助かるよー」


 ジョシュアはバルトルートへ朗らかに返すと、アイレに向き直って耳打ちした。


「それに、あのエメラルドを褒めてくれたよね。その目利きの腕を貸してよ」

「お断りします」

「ええっ、なんで? 〈ハウス〉は楽しいよー」


 断られるとは考えもしなかった様子に、貴族らしい無意識の傲慢さがにじんでいる。もやもやを通り越してため息が出そう。


「無愛想な上に礼儀を知らない女だな。この女が出品物を扱えるわけがない」


 ジョシュアが取りなそうとする前に、バルトルートは執事に命じて扉を開けさせた。帰れってこと?


「お言葉ですが、失礼なのはそちらです。勝手に呼び出してわたしを試して、ご自身の都合でわたしを使おうとされる。わたしにも都合はあります」

「セール中に怪しい態度を取ったのはおまえだろう。むしろ俺たちは、無実を証明する機会をやったんだ」


 これはもう、失礼どころか無礼だ。しかも労働者階級相手なら、その物言いが無礼に当たるとも思っていない。

 このバルトルートという男、馬に乗るたびに尻尾で顔をたたかれればいいのに。


「その証明をしたのに納得なさらない人とは、二度と関わりたくありません。さようなら」


 ジョシュアはまだマシと言えるが、この短時間でもまったくあいれなかったのに一緒に活動できるとは思えない。住む世界が違う。

 だが実は、アイレが断った理由はほかにもあった。

 アイレには人に知られるとまずい過去がある。それから、やるべきことも。

 だから、彼らとの接点ができるのは危険だった。知られて警察に突きだされるのは、もってのほか。身動きが取れなくなってしまう。

 アイレは足早にウォード邸を辞去した。ブーツのかかとを強く鳴らして石畳を歩きながら、ガス灯の明かりが浮かぶリンドのくすんだ夜空を見あげる。


『十一歳の誕生日おめでとう。アイレの笑顔はほんとうにかわいい。世界一ね』


 肌を刺すような冬の乾いた冷気を思い出す。

 深夜の川縁かわべり、誰もいない遊歩道、白い息と大好きだった母のぬくもり、ふんわりと優しい香り。


『アイレ、これはあなたのものよ。今はお母さんが預かっているけれど、あなたが大人になったら受け取って』


 母が見せてくれた、キャンディーみたいなエメラルドの指輪。

 あれはアイレたちが身を置いていた盗賊団で目にした、どの一級品よりも素晴らしい品だった。アイレ自身は盗みとは無関係だったので、盗賊団が扱ったすべての品を知っているわけではないけれど。

ともあれ、ふたりだけの秘密の約束が果たされることはなかった。母はアイレをおいて姿を消し、逝ってしまった。

 なぜ黙っていなくなったの。どうして死んでしまったの。

 いったい、なにがあったの。

 約束の指輪が手に入れば、その答えが多少なりともわかる気がして――アイレは笑顔も作れないまま、今もそのエメラルドの輝きを探している。


 ◇◇◇


「――空色の目をした金髪の美人と変な形の指輪、ねえ。ここに店を構えて長いけれど、どっちもお目にかかったことは……あらやだ、美人のほうはあったよ」

「ほんとうですか!? いつ?」


 アイレが酒場のいろせたカウンター席から身を乗りだすと、カウンターの内側で鍋をかき混ぜていた女将おかみが笑ってアイレを指さした。


「あんたがそうじゃないか。髪色は違うけど、別嬪さんだぁね。実はどこぞの貴人だと言われてもふしぎじゃないよ。男によく声をかけられるんじゃないかい?」

「声はかけられましたが、ろくな男ではなかったです」


 バルトルートの、やたらときれいだがしゃくに障る顔が頭をよぎった。彼らと別れてから一週間になる。

アイレが顔をゆがめると女将は声を上げて笑った。


「まあ、その美人が来たらあんたに連絡するよ」


 その女性はこの世にはいないのだとは言えず、アイレは女将に礼を告げると、勧められた酒を断って酒場を出た。

 配達を終えたあとの時間は、いつも母の足取りと指輪の情報収集にあてている。今日も同様だったが、いまだにこれといった成果はない。

 でも、明日はなにかわかるかもしれないし。

 アイレは気を取り直すと、リンド東部のジャック・エアにある自宅へと足を向けた。


 工場が多くお世辞にも清潔とはいいがたいジャック・エアには、労働者階級の家が密集している。アイレも預けられていた修道院を三年前に出て以来、この地に腰を落ち着けていた。

 アイレが住む借家は長屋のうちの一戸だ。薄汚れた壁一枚でつながった隣家からは、毎日のように夫婦喧嘩げんかの声が耳に届く。建て付けの悪い窓は一カ所にしかないため風通しが悪く、風が吹けばガタガタと不快な音が鳴る。

 それでも、厄介者扱いを受けた修道院よりはずっといい。


 工場地帯から絶え間なく上がる煙の臭いが鼻をつく。煙のおかげで日中も灰色のベールをかぶって見える空は、夜になると陰鬱さが増す。

アイレは未舗装の汚れた地面を黙々と歩いていたが、派手な落書きがされた廃屋の角を曲がったところで、うしろをふり返った。


「……気のせい、かな」


 視線を感じたのだが、通りにそれらしき人物はいない。仕事を終え、疲れた様子で家路を急ぐ人ばかりだ。アイレは無意識に急ぎ足になった。

 だが、また何者かの気配を感じる。アイレは少し考えると、心を決めて駆けだした。


「ちょっ? ええっ? 待って、アイレ! 僕、走り慣れてないんだって」


 背後から飛んできた情けない声に、ふり返ったアイレは仰天した。あれ、感じたのは別の気配のはずだけど……。


「レドネ様、なんでこんなところに?」

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