LOT 01 幕開けのパールイヤリング-②

 廊下にいた使用人に仮面とパドルを返して階段へ足を運ぶと、さほどたないうちに廊下が騒がしくなった。

 オークションの参加者が会場を出てきたらしい。誰もかれも、興奮した様子で直前のセールについて話題にしている。


「落札寸前に取りやめとは前代未聞ですな。いったいどんな心変わりがあったのやら」

「小耳に挟んだところでは、あの真珠に問題があったようですわ。だから二番手の婦人にも権利が渡らず、不成立になったとか」


 あの贋物は無事にお蔵入りになったんだ。よかった。

 アイレが胸を撫でおろし、豪奢ごうしゃ絨毯じゅうたん敷きの階段を踊り場まで下りたときだった。


「そこの女、話がある」


 アイレはどきっとして立ち止まりかけ、思い直す。ところが歩みを再開してすぐ、鋭い声が上から降ってきた。


「女、おい郵便配達! ちょっと待て」


 ほかの参加者がじろじろとアイレを見ながら通り過ぎる。アイレはしかたなく足を止め、階上を見上げた。

 呼び止めたのは、人の上に立つ者特有の風格を身につけた青年だった。

 セールの場を仕切っていたオークショニアだ。

 襟足までの黒髪が面長の顔をシャープに縁取っている。細筆を真一字にいた眉や整った鼻筋も凜々りりしい。

 しかしその眉間には深い皺が刻まれ、切れ長の黒目はこれ以上ないというほどすがめられていた。


「わたしのほうには、御用はありませんが」

「俺はあると言っただろう、上がってこい」


 命令することに慣れた物言いだ。面倒なことになった。どうやって切り抜けよう。と、そのとき突き抜けるような明るい声が割って入った。


「バルトはただでさえ外見に迫力があるから、その態度はダメだってー。かわいいお嬢さんを泣かせても知らないよ……」


 オークショニアのうしろから、二十歳くらいの青年が顔を出す。

 ピンクがかった茶髪は毛先がね、垂れ目ぎみの琥珀こはく色の目は人懐こそうだ。


「って、ほんとうにかわいいね!? 髪の色も神秘的だなー」

「見た目にだまされるな。あの気の強そうな目を見てみろ、なよなよした淑女とおなじ認識でいるとみつかれるぞ」

「そうかなー。笑ったらきっと、もっとかわいいよ」


 屈託のない言葉がかすかに胸をく。おりの中の動物を見物するのに似た視線もいい気分じゃない。アイレは踊り場で一礼した。


「初対面で本人を前に品評なさるかたと、お話しすることはありません。急いでますので失礼します」


 啞然あぜんとする青年ふたりを背に、きびすを返して邸宅タウンハウスをあとにする。

 ところが。

 アイレは人通りの少なくなった夜道を歩きだしてまもなく、足を止めた。

 しまった、配達予定の郵便物が入った鞄を預けたままじゃないの。せっかく逃げおおせたのに。

 しかたなく邸宅まで引き返す。だが通用口の前で躊躇ちゅうちょしていると、ちょうど黒のお仕着せにエプロンをつけたメイドが出てきた。よかった、ツイてる。


「すみません、この家のかたですよね? わたし、さっきこのおうちにお邪魔した者なんですが、忘れ物をしてしまって。取ってきてもらえないでしょうか?」


 駆け寄って頼むと、まだ年若い赤毛のメイドはアイレの身なりを見て首をかしげた。郵便配達員がなぜ邸に上がったのかという疑問が目に浮かんでいる。

 しかし説明する暇はなかった。通りの向こうからこちらを目指してくる警官が目に入り、アイレは急いでつけ足した。


「それと、地下で待たせてもらえませんか? キッチンか洗濯室の隅で構いませんので」


 警官が贋物出品の件で来たのだとしたら、路上で使用人と話していれば、アイレまで声をかけられかねない。警官とは関わりたくない。

 なんとか承諾を得て案内されたキッチンで待つと、ほどなく先ほどのメイドがアイレの鞄を持ってきてくれた。アイレは礼を言って鞄を受け取る。


「警官はどうなりました? さっきの騒動の件で来たんですよね」

「はい。でも、もう帰られたそうですよ。騒動の関係者の足取りを追うんですって」


 追われるのはアイレではないと思いたい。とにかく、鞄も戻ったしさっさと退散するに限る……はずが、アイレがキッチンを出ることはかなわなかった。


「ところで旦那様から、お客様を上にお通しするようにと申しつかっております」


 たじろぐまもなく、アイレは使用人一同に取り囲まれた。

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