LOT 01 幕開けのパールイヤリング-①

 十七歳にして初めて貴族のやしきに入る緊張と不安、それからついに手がかりが得られるという期待。それらが胸の内で入りまじって、鼓動をてる。


 アイレは宵の口に差しかかった王都リンドの一等地でひときわ立派な邸宅を見あげ、招待状に書かれた住所をたしかめた。

 会場はこの白い外観の家で間違いない、よね。

 肩から提げた布鞄ぬのかばんの持ち手を握りしめ、呼吸を整えてから扉のノッカーをたたく。片側に流した胸の上までの銀髪が、ガス灯の明かりの下できらめいた。


「当家はこの時間、配達人も含めお約束のないかたの訪問をお断りしております。お帰りください」


 応対した執事服の男性が眉をひそめ、扉を閉めようとする。アイレはそうはさせまいと、澄んだ空色の目に強い意思をにじませ素早く体を中に滑りこませた。


「今日は配達でうかがったのではなく、れっきとした客です」


 アイレので立ちは、まさしく郵便配達員のものだ。袖と襟だけに深紅を配した、ロイヤルブルーの上着に同色のスカート、そして足元は膝下までのブーツ。

 配達帰りだからだけれど、手持ちの服ではいちばんきちんとして見えるはず。大目に見てほしい。


「招待状もあります。確認してください」


手にしていたふたつ折のカードを見せると、執事が恭しく頭を下げた。


「失礼いたしました。ようこそ、〈ハウス〉へ。本日の売り立てセールは始まったところでございます。入札の際にはこちらをお使いください。荷物はお預かりいたします」


 アイレは使い古した布鞄を預け、代わりに番号の書かれたパドル(札)と羽根飾りのついた仮面を受け取る。


「仮面は身元を伏せておかれたい場合にお使いください。セール中、お客様の身元が暴かれることは決してありません。ご安心ください」


 仮面を着けたアイレは、二階の突き当たりの部屋へ案内された。後方側の扉が開く。


「では、どうぞオークションを心ゆくまでお楽しみくださいませ」


 アイレは一歩入ったきり、まばゆいばかりの光景に立ち尽くした。

 シャンデリアの光がきらめくなか、着飾った紳士淑女が何十人も、整然と並べられた椅子に座っている。ほとんどの男性はテイルコート、女性は色とりどりのドレス姿だ。

 派手な仮面に隠れて人相は不明ながら、上流階級アッパークラスの人間だとひと目でわかる。とはいえ仮面がなくても、アイレには誰が誰だか判別はつかないが。

 彼らは参加者らしく、仮面を着け進行役であるオークショニアの声に応じてパドルを上げていた。

 一方、前方ではアイレのような労働者階級ワーキングクラスの人間は一生お目にかかれない豪華なジュエリーの数々が、スタッフらしき若い男性のささげ持つ台座の上で燦然さんぜんと輝く。


「――ロットナンバー六、落札です!」


 会場に小気味のよいハンマー音が響き渡る。黒髪をきっちりでつけ、艶のある黒のテイルコートとしわひとつない白のシャツに身を包んだ、壇上のオークショニアだ。

 見た目からすると二十四、五歳くらい。堂々としたたたずまいと腹の奥まで響く低く張りのある声に、会場の空気が瞬時に引きしまる。

 といっても熱気は収まらない。彼の絶妙な声かけで続々と作品が紹介されていく。


 躍動感のある馬の彫金細工がついたクラヴァットピン、べっ甲に金銀で緻密な幾何学模様を象嵌ぞうがんしたバックル。咲き初めのバラが彫られたやわらかな色合いの象牙の櫛くし、彩り豊かな宝石を花に見立ててこぼれんばかりに束ねた贅沢ぜいたくな金ブローチ。


 アイレは扉のそばに立ち、出品物を注視した。どの作品にも入札が殺到し、数分もしないうちに目を疑う高額で落札されていく。すごいとしか言いようがない。

 だけど、肝心の探し物が現れない。

 招待状には、ここにあると書かれていたのに。


「本日最後の品は、西カントラ公国産真珠のひと粒イヤリングです。粒の大きさもテリも申し分なく、これほど完璧な形のものが一対そろうのは奇跡といっていいでしょう。上部のダイヤモンドも見事な輝きです。重さは――」


 セールのとりを飾るのはしずく形をした乳白色の真珠だった。これも違う。でも。

 嫌な予感がする。

 アイレはふらふらと通路に進み出ると、イヤリングにじっとを凝らした。やっぱりそう、このイヤリングは。


「――九百五十、九百六十、九百七十……ただいま九百七十セスです、九百八十はいらっしゃいませんか? はい、九百八十五のお客様がいらっしゃいました」


 アイレが郵便配達で得られる収入は週に六セス。十セスもあれば、贅沢をしなければ一週間は余裕で暮らせる。九百なんて聞くだけで発作が起きそう、じゃなくて。

 よけいな注目を浴びたくない。見て見ぬふりをするのが正解。だけどこれほど高額ともなると……。


 アイレが迷うあいだにも、値ががっていく。

 競っているのは頰のこけた老紳士と、両手に金の指輪をぎっしりめたふくよかな婦人だ。婦人がパドルを上げれば、老紳士もすかさずパドルを上げる。

 しかし値がさらに上がると、入札のテンポがゆるやかになった。やがて、婦人がため息まじりにかぶりを振る。

 オークショニアが会場全体に最終確認をする。

 ああもう。こうなったら、しかたない。

 アイレは老紳士の席に近づくと横を通り過ぎざま、ハンカチを落とした。気づいた老紳士と派手な仮面越しに目が合うなり、声をひそめる。


『あれは贋物がんぶつです』


 仮面の向こうで驚愕きょうがくと不審を浮かべた目にうなずき、アイレはその場を離れた。あとはすぐにでもここを出るだけ。


「ほかにいらっしゃいませんね? では、九百九十四、九百九十四セスで落――」

「取り下げる!」


 会場を出るアイレの背中越しに、老紳士がしわがれた声を張りあげる。

 会場じゅうがどよめいた。

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