ep.12-1・両家顔合わせ


 婚約披露パーティーが7日後と迫った真夏日。

 辺境伯家の屋敷にサンクトレナール公爵家の赤いゴンドラが現れた。早めに来たのは準備もそうだが、未だ果たせていなかった両家顔合わせのためとなる。


 とはいえ、彼らが来たときはそれなりに騒ぎになった。


 あの赤い塗装に金の彫刻が施された豪奢なゴンドラで乗り付けたのはもちろんのことだが、なんと今回は三隻もやってきて数日の滞在にも関わらず大量の荷物を下ろしていったのである。

 そして三隻目に人間が乗っていたらしい。三隻目のゴンドラのはこが開くや否や、一人の紳士が駆け出してきた。


「ああ! 会いたかったよ、ティナ!」

 紳士は半ば叫ぶように感激の声を上げ、芝居がかった大仰な仕草でセレスティナを抱きしめる。


 いったい何者かと思いきや、なんとサンクトレナール公ギュスターヴその人だった。


 やはり溺愛している娘に会えない日々は堪えたらしく、公爵の威厳とか貴族としての品格とか、そういうのをすっぽかして駆け寄ってしまったらしい。


 あまりのインパクトに呆気に取られていたディートヴェルデだったが、辺境伯ハッケネスが歩み寄ると、ギュスターヴはセレスティナを解放し、少しばかり恥ずかしそうに挨拶した。


「ご無沙汰しております、サヴィニアック辺境伯。この度は貴殿のご子息と我が娘との婚約をお許しいただき感謝の念にえません」

「うむ。こちらこそ貴殿のご息女と我が息子との婚約を認めていただき感謝する」

 祝福の言葉にハッケネスが返すと、ギュスターヴはにこにと微笑んだ。

 まるでハッケネスと話せるのが嬉しいと言わんばかりの表情だ。実際には無いが尻尾をぶんぶん振っているような幻覚すら見える気がする。


 次いでギュスターヴはディートヴェルデに視線を移した。


「やあ。久しぶりだね、ディートヴェルデくん」

 そうは言うものの、ディートヴェルデがサンクトレナール公ギュスターヴと話したのは通信用魔導具の画面越しに、しかも一度だけなので、実質初対面になる。


 ギュスターヴは本当に若々しく甘やかな美貌の紳士だ。父ハッケネスとおよそ同世代のはずなのに彼の方が10歳近く若く見える。

 金を紡いだような輝く金髪もそうだが、青空を写し取ったような青い瞳は数多あまたいる皇国の貴族の中でもいっとう美しい。


 ディートヴェルデとしては、サンクトレナール公ギュスターヴは表情の下に思惑を秘めたような妖しい笑みを浮かべる人……というイメージだったが、今目の前にいる彼は、裏も表もなく本当に嬉しそうに笑っている。


「お久しぶりです、ギュスターヴ様。この度は……」

 ディートヴェルデが格式張った挨拶をしようとするとギュスターヴが遮る。

「いいよいいよ、堅苦しいのは。君はもう私の息子のようなもの。気軽にお義父とうさんと呼んでくれてもいいんだからね」

「……え?」

 思ったより気さくなのはいいが、もはや距離感を無視したような発言にディートヴェルデは面食らう。


「おい! 人の息子を勝手にっていくんじゃない!」

「おやおや、ハッケネス殿。ただの軽口じゃないですか」

 眉をひそめるハッケネスにギュスターヴがしれっと答える。

「まったく、油断も隙もないな……」

 やれやれと言いたげなハッケネスに「ふふ」と笑うギュスターヴ。

 実際に見るのは初めてだが、この二人、いつもこんなやりとりをしているのだろうか……。


「でも息子のように思っているのは本当だよ、ディートヴェルデくん。ティナをよろしく頼むよ」

 その顔はまさに高貴なるマイムケセド神の微笑みのようだった。



***


 そんな感じで和やかに最初の挨拶も済んだところで、ようやく公爵のご家族が合流する。


「もう、お父様ったら速過ぎなのだわ」

 むくれた顔で父を責める女の子。

 小さいながらセレスティナによく似ている。とはいえ彼女と違って星の光のような銀色の髪だ。


「ぼくもねえさまにあいたいのに!」

 同じくむくれた顔をするのは、まだ言葉を話すようになって間もないといった年齢の男の子だ。

 こちらは金髪碧眼で、きっと長じれば公爵そっくりの美貌を獲得するだろう。まさに約束されたような美少年である。


「はぁ……短慮が過ぎましてよ、あなた。辺境伯家の皆さまが驚いておいでですわ」

 最後にそんな声がゴンドラの方から聞こえた。そこからちらりと顔を覗かせたのは“凄絶な”とつくほどの美貌を持つ貴婦人だ。


 魔銀ミスリルを紡いで糸にしたような美しい銀髪に、夜明け前の空を閉じ込めたような濃い紫紺の瞳、肌は陶磁のように白く滑らかで、その容貌も美しき氷結の女神カルマルクト神の彫像が動き出したのかと思うほど。

 この貴婦人こそサンクトレナール公爵夫人オフェリアだろう。


 社交界でも随一の美貌を誇るとして知られる淑女でありながら、滅多に公式の場へ出ないことで知られている。

 それこそ彼女の主催する御茶会か夫同伴でのパーティーにしか顔を出さないとか。

 そのスタンスから『美しいからと鼻にかけている』『公爵夫人だからと調子に乗っている』なんてやっかみを受けているようだが、あの美しき夫人を前にそんなことを直接言える者がいるわけがない。ちらりと顔を見せただけでも見る物を圧倒するような凄みがあった。



「ああ! すまない、オフェリア!」

 サンクトレナール公ギュスターヴはセレスティナに駆け寄ったのと同じくらいのスピードでゴンドラに蜻蛉とんぼがえりし、今度は妻をエスコートしてゴンドラから降りてきた。


 オフェリアは美貌から予想される通り、理想的と言うべきプロポーションを誇っていた。

 旅装だからだろうか。バッスルやクリノリンの入っていないすっきりした印象のドレスだ。それでも体のラインが美しいところを見るに、彼女自身のスタイルの良さが際立っている。



 ディートヴェルデが思わず見惚れていると、セレスティナに手の甲をつねられる。ハッとして彼女の方を向くとじとっとした目で睨まれた。

 いつもの大人びたセレスティナではなく、拗ねた子どものような顔をされて、ディートヴェルデは思わずデレッとしてしまう。


 ちなみにハッケネスの方はミレーヌに足を踏まれたらしい。全く顔には出さなかったものの、靴がヒールの形にへこんでいた。



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