ep.11-3・遅すぎたプロポーズを君に


 プロポーズについてディートヴェルデは真剣に考えた。


 プロポーズとはロマンチックなものである。

 どうやら大衆小説では流星の降る夜空の下だとか、祭りの夜に上がる花火の下でとか、卒業式など節目に行われるパーティーの会場でだとか、そういった場所で行われるものらしい。


 しかし急遽 今夜決行することになったので、流星も降らないだろうし、花火の上がる予定もない。何なら卒業パーティーの時にセレスティナは婚約破棄されているのだから、なおさら無い・・


 今夜できる限り演出できる“ロマンチック”を考えた結果、ディートヴェルデはセレスティナを夜の散歩に誘うことにした。





「珍しいですわね、夜のお散歩なんて」

 ディートヴェルデにエスコートされながら、セレスティナが不思議そうに言う。


 それもそうだろう。今まで二人で会うのは街へ下りるときだったりお茶会だったり、日中のことが多かった。

 夜、特に夕食の後はお互いに自分の時間を取るためというのもあるが、どうしても大人の時間・・・・・を思わせるため敢えて会わないようにしていたのだ。


「うん、まあ……最近ゆっくり話せてなかっただろ? だから二人の時間が欲しくて」

 ディートヴェルデはそう言い、自分の言葉がキザになりすぎてはないかと心配する。


 ディートヴェルデもセレスティナもここ最近は婚約披露パーティーの準備で忙しくしていた。

 来賓をもてなす準備や会場の設営、衣装の手配に式辞の確認……ディートヴェルデとセレスティナで役割が異なるせいでもあるが、別行動を取ることが多すぎて二人で話す機会はほとんど無かった。


「ふふ、ディートは本当に優しいですわね。わざわざこうして時間を取って会いに来てくださるもの」

 セレスティナがそっとディートヴェルデに寄り添う。


 わざわざ……なんて口にしたのは以前の婚約者が原因だ。

 皇太子は友人と遊び回ったり神子に付きまとったりするのに忙しく、婚約者だったセレスティナに構うことをしなかったのだ。

 腹が立って当然だろうに、セレスティナは何処か諦めていた節がある。昔からそうだったから、今さらこちらに関心を向けることなんてないだろう、と。皇太子はセレスティナを嫌味で意地の悪いヤツだと嫌煙していたのだから。


 ディートヴェルデとしては当たり前のことをしているつもりだが、セレスティナに喜んでもらえるのは純粋に嬉しい。


「おれがティナに会いたいと思ったから誘ったんだ。優しいとかじゃなくて、俺のしたいことをしてるだけ」

「あら、実はわたくしもディートに会いたかったの。これでおあいこですわね?」

 セレスティナが悪戯っぽく微笑むものだから、ディートヴェルデは「敵わないなあ」と照れ笑いする他なかった。


 そうして他愛もない話をしながら夜の庭園を歩く。

 手毬のように丸く咲いた紫陽花に縁取られた小道を歩き、夜闇に光る睡蓮の浮かぶ池を眺め、甘い香りのする百合の花を愛でる。


「ねえ、ディート」

 ふとセレスティナがディートヴェルデに問いかけた。

「ん? なんだ?」

「これは何処に向かっていますの? お屋敷からもう随分遠くてよ」


 流石に歩かせ過ぎたかな、とディートヴェルデは反省する。

 初夏の庭園を見せたくてここまで歩いてきたが、令嬢の足には辛かったかもしれない。

「ごめん。でももうすぐ着くから」


「そう? なら良くってよ。目的地が分からず彷徨さまようことほど不安なものはありませんからね」

 セレスティナはそう言ったきり、押し黙った。


 かつて約束されていた将来を失ったセレスティナの言葉は筆舌に尽くしがたい重みを伴っている。

 しかし不安だったのは本当らしい。ディートヴェルデと絡ませた腕に力が入っている。




 ディートヴェルデが向かっているのは辺境伯家が代々大切にしてきた庭園だ。

 “緑の指”たちが何代もかけて守り、新たな彩りや形を作って成長させてきた、伝統と進化を体現する傑作とも言うべき庭園である。


 アンリにげきを飛ばされた後、ディートヴェルデは無い頭——アンリ曰く干し草でも詰まっている頭——を振り絞って考えた。

 それほど遠くなく、さりげなく連れ出せて、なおかつ特別な場所。

 そんな場所を思い浮かべたとき、最初に浮かんだのがここだった。




「着いた」

 そう言ってディートヴェルデが指したのは、半ば風化しかけたような古めかしいレンガ積みの壁と長い年月により色褪せた木製の扉だった。


「ここは……?」

 セレスティナが問う。


 ディートヴェルデは無言で扉に手をかけた。認証魔法に“緑の指”の印である真緑色の爪が淡く光る。ガチャリと音を立てて鍵が開いたのを確認し、庭園の扉を押し開いた。


「まぁ……!」

 扉の先に広がる景色にセレスティナが感嘆の声を上げる。


 そこは色とりどりの薔薇が咲き誇る庭園だった。



 薔薇は花の女王とも呼ばれている。


 太古の昔から人々に愛され、文芸や絵画といった芸術のモチーフにされるほか、薬や香料としても使われてきた。


 その高貴な咲きようはもちろん、しっとりとなめらかな手触りの花弁は王侯貴族に好まれていた。薔薇の花弁を床に撒いて絨毯とした王の逸話や水の代わりに薔薇の花弁を湯船に満たして浸かったという貴婦人の逸話など枚挙に暇がない。


 それゆえ薔薇に向けられた人の欲望は果てしない。

 珍しい色の薔薇を。より美しい薔薇を。より花弁の多い薔薇を。より香り高い薔薇を。

 それに応えるため、“緑の指”たちは苦心し、努力し、数多の薔薇を作り出してきた。もちろん古くからある薔薇を保存することも忘れない。

 そのために作られたのがこの庭園だ。



「ああ、なんて美しい場所なのかしら……まるで夢を見ているみたい……!」

 セレスティナは目を輝かせながら周囲を見回す。


 何処を見ても薔薇しか目に入らない。

 しかし全く同じものはなく、その咲き方も色も全てが異なっている。


 夜闇にぼうっと浮かぶような一重咲きの白い野薔薇。

 アーチやフェンスに絡みつき、青々と葉を茂らせつつも花の美しさが際立つようなつる薔薇。

 香り高いオールドローズは八重に重なる花弁のうちに黄金色の雄蕊を抱えている。

 見慣れた形の薔薇もあるけれど、花弁一枚一枚の形や花の形に違いがあるなんて、見比べて初めてわかる発見もあった。


「セレスティナ、こっちだ」

 ディートヴェルデは薔薇に見惚れるセレスティナの手を引いた。


 薔薇のアーチをくぐり、迷路のように頭上高くまで伸びる薔薇の壁の間をすり抜け、庭園の中心へたどり着く。

 そこは小高い丘のようになっていた。さらに階段を上がると円形の舞台がある。ここからは庭園全体が見渡せるようになっていた。




「ティナ……いや、セレスティナ」

 そんな舞台の中心で、ディートヴェルデはセレスティナの名を呼び、彼女の前に片膝をついた。

 手の中の蕾に魔法をかけて花を咲かせる。


 それは12本の青い薔薇だった。

 ソルモンテーユ皇国の象徴たる青色を薔薇の形にしたような美しい花だ。




「セレスティナ・デュ・サンクトレナール。この俺、ディートヴェルデ・ドヮヴェール・ド・サヴィニアックはあなたに愛を誓います。どうか婚約を受け入れてはくれないでしょうか」



 ディートヴェルデの言葉に、セレスティナは息を呑んだ。


「……ディート……」


 少しの沈黙の後に、セレスティナの目からぽろぽろと涙がこぼれる。


 きっといつもの彼女なら顔を背けたり、ハンカチでそっと顔を覆ったり、そうやって泣き顔を隠したことだろう。

 けれど今は小さな女の子のように泣きじゃくっていた。


「馬鹿!遅すぎよ……!」

 セレスティナは笑おうとしたようだが、上手くいかなくて、泣き笑いの表情になってしまう。


「ずっと不安だった……! あなたは優しいから……命令で、婚約したから……わたくしにも、優しくしてくれるんだって……ほんとは、婚約なんて、したくなかったのかも……って」


「ごめん」

 ディートヴェルデは謝ることしかできない。

「俺が悪かった。不安にさせて、泣かせて、ごめん」


「ほんとよ、もう……!」

 セレスティナは袖で涙を拭い、ディートヴェルデの視線に合わせるようにしゃがんだ。


「本当に仕方がないんだから……」

 そう言いながらセレスティナはディートヴェルデの持っていた12本の青薔薇から1本抜き出す。


 するとたちまちその薔薇は金色に姿を変えた。花も茎も葉もまるで最初から金細工で出来ていたかのようだ。鉱石属性の魔法、《ミダスズ・タッチ》。触れたものを金に変える。

 実際に目にするのは初めてだ。



「仕方がないから、婚約して差し上げても良くてよ」

 セレスティナは金の薔薇をディートヴェルデの胸元に差した。


 セレスティナの行動にディートヴェルデは目を見開く。

 まさか彼女がこの意味を知っているとは思わなかった。



 12本の薔薇は辺境伯領に伝わる求婚の作法だ。

 ある男が恋人のもとへ向かう途中に道端に咲く12本の花を摘んで求婚したという逸話が由来となっている。

 12本の薔薇にはそれぞれ感謝・誠実・幸福・信頼・希望・愛情・情熱・真実・尊敬・栄光・努力・永遠の意味が込められており、これらを全て引っくるめて恋人に愛を誓うのだ。


 そして、求婚を受けた相手は1本の薔薇を抜き出し、相手に返す。

 それが求婚を受けるという返事になる。



 ディートヴェルデは改めて11本の薔薇をセレスティナに贈った。

 『最愛』を意味するそれにセレスティナは照れたように含羞はにかみ、赤くなった頬を隠すように薔薇の花へ鼻を寄せる。

 そんな仕草も可愛くて、ディートヴェルデはつい笑みをこぼしてしまう。


「ありがとう、ディート」

 セレスティナが囁いた。


「ううん、礼を言うのは俺の方だよ、ティナ。受け入れてくれてありがとう」

 ディートヴェルデはそう返しながら、彼女の体を抱き寄せる。


 そして二人はじっと見つめ合った。


 琥珀のような金色の瞳と澄んだ青空のような青い瞳。

 お互いの瞳に自分の姿が見えるほど顔を近づけ、そして——。


 月明かりに照らされた二人の影がゆっくり重なるのを、薔薇の花だけがそっと見守っていた。


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