ep.11-2・衝撃の事実とは…(2)
一方、辺境伯邸は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
辺境伯の姪にあたるアイルトルードとイルムトルードが先触れなしに訪問したうえ人里におりた猪よろしく屋敷内を爆走、ディートヴェルデたちのお茶会に
それだけならまだマシだったろう。
ところがそこに“青の神子”こと一ノ瀬
皇都で保護されているはずの“神子”がどのような手段で、そして何の目的で辺境伯領までやってきたのか……。
辺境伯ハッケネスは今にも発狂しそうになりながらも、それをおくびにも出さず、事態の把握と対処に努めることにした。
「神子様、辺境伯領にようこそお越しくださいました。この度は大変なご苦労をされたと拝察いたします」
ハッケネスから仰々しいまでの心配の言葉をかけられ、イロハはあわあわと慌てた。
「いえ、そのっ……こちらこそ急にお邪魔してすみません!」
イロハはぺこぺこと頭を下げる。
それを見たハッケネスは慌てて頭を上げるようお願いをする。
親子で似たような反応をしているのを見て、セレスティナはつい声もなく笑ってしまった。
「それで、
訝しげなハッケネスに、「はい」と返事をしてイロハは説明する。
「皇都にいては命の危険があるからとレヴィ様……レヴィアテレーズ皇女様がここまで逃がしてくれました」
「なんと……」
ハッケネスをはじめ、その場に同席していた人間——辺境伯夫人ミレーヌと執事長イングヴァー、家政婦長アニスも戸惑いの声をあげる。
ディートヴェルデの執事であるディルとセレスティナのメイドであるクロエはお茶会の場にいたため、既に経緯を把握しているが、イロハの置かれた状況は酷いと言うほかない。
「それで、その……ここに来ればティナ様がいるから、と……」
イロハはちらりとセレスティナを見た。その視線に、セレスティナはしっかりと頷き返す。
「ええ、イロハについてはわたくしが責任を持ちます。ですから、どうか彼女をここで匿っていただけないでしょうか」
セレスティナの申し出に、ハッケネスは「もちろん」と即答した。
「神子様のためならばいくらでも部屋を用意しよう。神子様、我々にできることでしたら何でも協力いたします。どうぞ遠慮せずおっしゃってください」
イロハは「ありがとうございます……!」と涙ぐみ、そしてハッケネスに最初のお願いをした。
「まずは、わたしのことは神子様ではなくイロハと呼んでください。“様”付けも無しで!」
そんなことを言われ、戸惑うハッケネスの反応はやはりディートヴェルデとそっくりだった……と、セレスティナは後にそう語る。
***
「確かに僕は殿下から密命を受けて来ましたよ。しかし僕は一度もルシュリエディト皇太子殿下から頼まれたとは言ってませんよね」
アンリはいけしゃあしゃあとそう
そして優雅にティーカップを持ち上げ、紅茶を一口。
お茶会を口実にアンリを呼び出し、尋問してみれば案の定の答えが返ってきた。
ディートヴェルデはハァーッと深いため息をつき、行儀が悪いがテーブルに肘をついて指を組む。考え事をするときの癖だ。
「じゃあ、アンリに
ディートヴェルデがそう訊ねると、「ええ」とアンリはあっさり頷く。
「皇都にいるとはいえ、ルシュは北の離塔に閉じ込められてるんですから接触しようにも出来ないでしょう。ブリュノールにも僕にも監視の目があるのでお互いに城内ですれ違うことすらできませんでしたし……皇女殿下が僕に接触してきたのはそんな状況の中でのことでした」
どうやらレヴィアテレーズ皇女は自由に使える手駒を欲していたらしい。
既に勢力下にいる貴族は敵対する派閥からも味方のうちでもマークされているので、どちらからも認識されていない——いわゆる間者の役割を果たせる人材としてアンリに目を付けたという。
アンリはもともと皇太子ルシュリエディトの取り巻きだ。彼の行動にときどき苦言を呈することはあるものの、その姿は忠義者として他人の目には映っただろう。
つまりレヴィアテレーズとは敵対していると目されている。
婚約破棄騒ぎの後、一人は幽閉、一人は解任、一人は実質上の国外追放、一人は行方不明と散々な目に遭っている中、アンリだけは卒後 約束された地位には就かず下級文官に降格処分というだけに留まっている。
貴族出身でありながら平民と同じ地位に置かれるというのは、他の貴族からすれば噴飯ものだろうが、アンリにとっては『その程度か』と拍子抜けするほど軽い罰に思われた。
アンリだけがそんな軽い処分に終わったのは、アンリが築き上げてきた『頭脳明晰』、『皇太子殿下に意見できるほどの胆力を持つ』『同世代でも頭一つ抜けて優秀である』といった事実に助けられてのものだが、本人が知る由もない。
「下級文官なら任務に
「なるほど、で、今回は
「そういうことです」
アンリはにやりと笑ってみせる。儚げな貴公子なんて例えられる美貌からは想像できないほど邪悪な笑みだった。
「ところでなんですが……あ、近くにセレスティナはいませんよね?」
アンリがきょろきょろと周りを見回す。どうやら彼女に聞かれたくない話のようだ。
セレスティナは現在、婚約披露パーティーに着るドレスがどうとかで辺境伯夫人ミレーヌに呼び出されている。近くにはいないだろう。
アンリはずいとディートヴェルデの方に顔を寄せ、半ば睨めつけるようにしながら訊ねてきた。
「あなた、もちろんセレスティナには告白してるんですよね?」
「……え?」
告白? 何か言わなければならない過失でもあっただろうか。ディートヴェルデは記憶の糸をたぐったが、特に思い当たらない。
「いや……してない、な。そんな秘密にしているようなこともないし」
ディートヴェルデがそう答えると「違うわ!!」とアンリの怒号が飛んだ。
「いや、あなたですね……はあ……じゃあこう言えば分かります? あなた、セレスティナにきちんとプロポーズはしましたか? 仮にも婚約するんでしょう。まさかしてないとか言いませんよね!?」
「……あー……」
ディートヴェルデは言葉に詰まった。
なし崩しに婚約関係が始まったので、プロポーズ含めそういう段階はスキップしている……と思い込んでいたのだ。
「プロポーズ……うん、プロポーズな……」
ようやく理解の及んだディートヴェルデはそうつぶやきながら答えるのを躊躇った。
ああ、そうだ。アンリの言うとおりだ。ディートヴェルデはプロポーズなんて——。
「…………して、ない……です」
ディートヴェルデがそう答えると、アンリは頭を抱えて天を仰いだ。しかしそれは一瞬のことで、すぐにディートヴェルデに向き直る。
「この馬鹿! 本当に馬鹿!! 何です? あなたの頭には干し草でも詰まってるんですか? え? いくら政略結婚でも婚約を交わす上でのケジメとしてプロポーズするのは当たり前でしょうが!」
立て板に水あるいは口に油でもさしたかのようにアンリは罵倒の言葉を並べ、ディートヴェルデを叱りとばす。
アンリの毒舌を実際に目にして、ディートヴェルデは逆に感動さえ覚えていた。
皇太子ルシュリエディトに付き従っていた頃から毒舌で知られている通り、アンリは誰に対してもすらすらと罵倒の言葉を並べ、皮肉ってくる。それはたとえ皇太子相手であっても同様だ。
辺境伯ハッケネスがときどき口にする“羽毛頭”の考案者も実はアンリだったりする。軽薄な行動を繰り返すルシュリエディトに対し『脳味噌の代わりに羽毛でも詰まってるのかと思うくらい頭が軽い』と罵倒したエピソードはあまりに有名だ。
不敬罪に問われていないのが不思議なレベルである。
ディートヴェルデがそんなことをつらつらと考えていると、アンリが激昂してテーブルをバンッと叩いた。
「今すぐにでも、プロポーズして来い!! この朴念仁ッ!」
もはや口調すら崩れるくらいには怒っている。それはディートヴェルデにも容易に察せられた。
「いやでも、婚約披露パーティーがあるわけだからその時でも……」
ふと思いついたことを口にすると、アンリは「あ"ぁん?」と貴族らしからぬドスの利いた声で凄んできた。
「馬鹿も休み休み言え、このアホンダラぁ!」
またバンッと一発。テーブルが揺れ、その衝撃にティーセットが数ミリほど浮く。
「いいですか? 婚約披露パーティーは皆さんに婚約したことを発表する場です。つまり結果報告なんですよ。じゃあ、アンタはどうか。その段階にすらいないじゃないですか!! アンタ大衆小説とか読んだことないんですか?! 恋愛モノじゃあプロポーズがひとつのクライマックスなんですからね!!! 女性なら誰だってプロポーズされたいんですよ。セレスティナだってそうに決まってるでしょうが!!!!」
まくし立てるようにアンリは怒号を浴びせる。ディートヴェルデは「お、おう」と気圧されるばかりで口を挟む余地も無かった。
しかし確かに言われてみれば、領民の女性たちも、いわゆる
なるほど、プロポーズは女性の夢。そしてディートヴェルデはそれを蔑ろにしたも同然であると……。
すぅーっ、はぁーっ。深呼吸をひとつしてディートヴェルデは己の過失を認め、噛み締めた。
これは……たいへんまずいかもしれない。
悠長に深呼吸などしているディートヴェルデを見て、アンリは青筋を立てる。そして彼は鬼の形相で怒鳴りつけた。
「やっと分かりましたか…… 遅すぎたことを後悔しながら、今すぐにでも走ってプロポーズしてこいッ! この馬鹿タレがァッ!!」
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