ep.11-1・衝撃の事実とは…


「レヴィがあなたを逃がしたですって!?」

 セレスティナが目を大きく見開き、驚きの声を上げた。両手でイロハの手を包み込むように握り、温めるように擦った。

「あなたが無事で良かった……きっと怖い目にあったのね」

 そう言ってそっと涙ぐんでみせる。姉というより過保護な母親のような反応だ。


「いったい皇都で何が起きてるんだ?」

 ディートヴェルデも努めて優しい口調で問いかける。

 兄を参考にしたが、上手くできているか自信はない。


 尊敬するお姉さまとその伴侶であるお兄さまの気遣いを感じて、イロハは泣きたくなった。こんなに優しくされたのは久しぶりだ。

 しかしきちんと説明しなくては、と気を取り直す。


「ルシュ様が婚約破棄された後、皇都はすごい騒ぎになりました。婚約破棄の理由がわたしだと知って、いろんな人が押しかけてきて……それで陛下が、わたしが神殿に保護されるよう取り計らってくれたんです」


 イロハは『押しかけてきた』と表現したが、本当は何があったか分かったものじゃない。 


 実際のところ、皇城に滞在していたイロハのもとには身分問わず多くの貴族が押しかけてきていた。誰もが口にするのは『皇太子に重用されるよう口添えして欲しい』という内容だ。


 その一方でイロハはさまざまな嫌がらせを受けることにもなった。

 犯人は主にセレスティナの実家であるサンクトレナール公爵家の寄子にあたる貴族たちだ。

 部屋から物がなくなる程度ならまだ可愛い方で、服を引き裂かれたり、脅迫文の書かれた怪文書が送られてきたり、果ては食事に毒が混ぜられたり、直接的に襲われそうになったりと命に直結する事態になったので、ひとまず皇城を去り、神殿に身を寄せることになった。


 なお、ここで重要なことは、サンクトレナール公爵家にイロハを害する意図はないということだ。


 すべての嫌がらせは、寄子にあたる下級貴族たちが暴走した結果なのである。

 とはいえ、寄子の暴走は寄親たるサンクトレナール公爵家の監督不行届と言ってもいい。それを恥じたサンクトレナール公ギュスターヴはイロハに公式に謝罪したうえで彼女の身の安全を確保する支援を行ったという。


 そうしてイロハは安全を手に入れたと思われたが……。


「ルシュ様たちが罰を受けることになって、貴族たちの間で仲間割れが起こったみたいです。ルシュ様を支持してた人たちの間でも、ルシュ様が皇太子になれないかもしれないって分かった途端に手のひらを返してきたり……それで……」


 だんだんと声の萎んでいくイロハを、セレスティナはそっと抱きしめた。

「ごめんなさいね、イロハ。辛いことを話させてしまったわね」


 イロハはふるふると首を横に振った。セレスティナの気遣いは嬉しい。でも、最後まできちんと話さなければ、と彼女は言葉を続ける。


「神殿にわたしがいることは秘密でした。でも、どこでバレたのか、神殿にまで追いかけてくる人たちが増えてきて……そんなときに、レヴィ様が来たんです」


 イロハの言うレヴィ様——レヴィアテレーズ皇女殿下は、現皇帝の娘であり、皇太子ルシュリエディトの妹である。

 皇太子より四歳年下だが聡明なことで知られ、『皇帝陛下より決断力があり、ルシュリエディト殿下よりずっと賢い』なんて評されているほど。

 そのため彼女を皇太子として擁立すべきではないかと主張する勢力も既に存在する。


 そしてレヴィアテレーズはルシュリエディトを嫌っている。

 特にルシュリエディトの軽薄な態度や乗せられやすい性格、惚れっぽいところが原因のようだ。

 そのおかげか、ルシュリエディトがしつこくつきまとっていたイロハのこともあまりよく思っていないという噂は有名だった。


 そんなレヴィアテレーズが“青の神子”のもとを訪れた理由とは何だったのか。


 しかし、そんなことより気になることがあった。

「話の腰を折るけれど、ごめんなさいね、イロハ。少し気になったのだけれど……レヴィといつの間に親しくなったの?」


 そう、レヴィアテレーズはイロハのことをよく思っていないとの噂だ。にも関わらず、イロハは彼女のことを『レヴィ様』と親しげに呼んでいる。

 このギャップはいったいどういうことなのだろう。


 イロハは何度かぱちくりと瞬きをして、それから嬉しそうに微笑んだ。



「レヴィ様とは、ティナ様が大好きな同士ってことでお友だちになったんです」



「……なんですって?」

 セレスティナはイロハを抱きしめたまま、思わず聞き返していた。


 レヴィアテレーズとイロハが友人になるだなんて予想外すぎる展開だ。

 しかもそのきっかけがセレスティナだという。


「神殿での暮らしに少し慣れてきた頃、レヴィ様が来ました。それで、『つまらぬ争いに巻き込んでしまい申し訳ない。神殿に身を寄せるにあたり差し障りはないか』と心配してくれました。それから近況をお話するためにお茶をしたとき、ティナ様の話をしたら喜んでくれたんです」


 セレスティナとしては、レヴィアテレーズが喜ぶ顔があまり想像できない。


 幼い頃ならまだしも、10歳を超えた頃からレヴィアテレーズはあまり笑わなくなった。感情を抑え、冷静沈着という言葉そのままに振る舞うようになった。

 それもこれも兄ルシュリエディトが軽薄な振る舞いをやめなかったせいなのだがセレスティナがそれを知るよしはない。


 とにかく、セレスティナの知るレヴィアテレーズは大人びたクールな少女なのだ。


 昔は「ねえさま」と呼んでくれたのに、いつからか「義姉上あねうえ」になり、寂しく思っていたところである。

 きっと兄が嫌いなので、その婚約者であるセレスティナとも距離を取りたいのだろうと思い込んでいたが……。


「レヴィ様、いつも言っていました。『兄上さえいなければ、ティナともっと遊べたのに』って。本当はドレスを選び合ったり、お芝居を見に行ったり、お茶をしたり……そういうことがしたかったみたいです」


 全て初耳である。


「わたくしと? ……それは知らなかったわ……」

 困惑するセレスティナをよそにイロハは続ける。


「だからルシュ様が婚約破棄して、これからはもっと一緒におしゃべりしたり、遊んだりできるって楽しみにしてたみたいだったんですけど……」


 そう。そうなのだ。

 よりによってルシュリエディトが皇都追放、さらにはディートヴェルデとの婚約を命じたために、セレスティナは辺境伯領へ赴くことになったのである。



 そこまで聞いて、ディートヴェルデはだんだんと身の危険を感じ始めていた。


 もしかしなくても、皇女殿下に恨まれているのでは……?

 そんな懸念がむくむくと湧き上がる。


 何しろレヴィアテレーズの視点から見ると、ディートヴェルデは皇太子の命令とはいえ“大好きなお姉さま”と無理やり婚約を結び、更に辺境まで連れ去った下衆野郎である。

 これでは恨まれて当然だ。


 冷や汗をかきつつ、顔色を悪くしていくディートヴェルデに気付いて、セレスティナが気遣わしげに彼の顔を覗き込んだ。

「ディート、どうしましたの? 顔色が悪く見えるけれど……」

「いや、気にしないでくれ」


「もしかしてレヴィから恨まれるかも……なんて考えているのかしら」

 考えていたことをぴたりと言い当てられて、ディートヴェルデは閉口する。そんなに分かりやすかっただろうか。


「レヴィのことでしたら気にしなくて良くってよ」

 セレスティナは自信ありげにそう告げた。それに便乗するようにイロハも「大丈夫です!」と断言する。


「もしもレヴィ様がディート様に怒ったら、わたしも一緒に説得します。こんなにお姉さまが幸せそうなんだから、お兄さまはとっても素敵な人だってレヴィ様も分かってくれるはずです!」


 そう言ってもらえるのは嬉しいが、女性二人に守ってもらうのは少々情けない気もする。

 それに「そんな情けない男にセレスティナを任せておけるか」とレヴィアテレーズが逆に怒り出しかねない。


 うーん、と難しい顔をするディートヴェルデに、セレスティナが呆れた様子でため息をついた。

「まったく……。あなたときたら、本当に心配性ですわね」

「皇女殿下を敵に回すと考えたら、そりゃあ不安にもなるだろう」 


「逆ですわよ。レヴィはあなたを恨むほど狭量ではありませんわ。それにレヴィはあなたを勢力下に取り込みたいと考えているはずでしてよ」

「えっ!?」

 はっきりと言い切るセレスティナに、ディートヴェルデは驚きのあまりセレスティナの顔を2度見した。


 全く理解していない様子のディートヴェルデにセレスティナは呆れつつ、説明を加える。

「辺境伯領は皇国の食糧庫と言っても過言ではないのよ。ならその元締めである辺境伯家を懐柔したいのは当然でしょう」

「あー、それなら納得はできるが……」


 確かに辺境伯家にアプローチをかけてくる人間はいる。多くは皇族や公爵クラスの貴族たちだ。


 しかしながら辺境伯当主であるハッケネスがそういった上位の者たちに対して退かぬ媚びぬ省みぬという強硬な姿勢を崩さなかったため、勢力下に加えることが叶わなかったのである。


 ならば……と矛先をディートヴェルデに向けるのは至極当然と言えた。

 影が薄く、常にぼんやりしている印象の息子ならば簡単に取り込めるだろうという算段だろう。

 しかし意外にもディートヴェルデもそんな誘いを飄々と躱してきたので、狙っていた者たちは業を煮やしているに違いない。


「だが、それとこれとは別問題じゃないか?」

「くどいですわよ、ディート。そんなに心配なら直接訊ねるのが良いのではなくて?」


 セレスティナはイロハの方を振り向いた。イロハは驚いたように目を見開き、すぐに笑顔になって「ティナ様、すごいです!」とセレスティナに抱きついた。


「レヴィがわざわざイロハを辺境伯領ここに来させたきた意味を考えておりましたの。ただ逃がすだけならいくらでも場所はあったはず。それなのにわたくしのところへ送ったのは伝言も兼ねていると考えれば至極自然ですわ」


 セレスティナの言い分では、近々レヴィアテレーズが辺境伯領へ来るということだろうか。


「待て、待ってくれ……まさか皇女殿下が辺境伯領ウチに来るのか!?」

「ええ、そのようですわね」

 慌てるディートヴェルデに、セレスティナはとびきりの微笑みを浮かべて頷いた。


「きっと婚約披露パーティーにいらっしゃるはず。その方向で計画を立て直しましょう」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る