ep.10-2・乱入に次ぐ乱入、そして錯綜(2)


「これ以上、お姉さまを悪く言うのはやめてください!」


 部屋の中に清涼な魔力が吹き込んだ。


「……へ?」

「何かしら」

「何事ですの!?」

「何が起きましたの!?」

 その場にいた全員が扉を注視する。


 そこには一人の少女がいた。

 まるで最上級の絹を染めて紡いだかのような黒髪、どこまでも透き通るような清水あるいは暗い深海を思わせるような青の混ざった瞳、顔立ちこそ幼げだが浮かべる表情は凛としている。何より、その身にまとう清廉な魔力こそが彼女を象徴するだろう。


 “青の神子”、一ノ瀬 彩葉イロハだ。




 “神子”の登場に唖然としていた一同だが、ともすれば皇族より貴い御方だ。

 令嬢たちはこれ以上ないほどに丁寧なカーテシーを。ディートヴェルデは椅子から立ち上がり、膝をついて跪礼にて敬意を表した。


「神子様!」

「なぜここに!?」

 アイルトルードとイルムトルードは気が動転したように目を白黒させている。どうやら“神子”の来訪は想定外だったようだ。


 だがそれはディートヴェルデも同じ。

 皇都にいるはずの“神子”が、こんな辺境まで来るなんて夢にも思っていなかったのである。


 唯一、セレスティナだけは大きな動揺を見せなかった。花の咲くような微笑みを浮かべ、そして駆け寄ってきたイロハと熱い抱擁を交わす。


「ああ、イロハ……!」

「ティナ様!」


 まるで長年引き裂かれていた親友のように親しげな二人を見て、アイルトルードとイルムトルードは混乱した様子を見せる。


 かくいうディートヴェルデも、実際に彼女たちの友情を目の当たりにして驚いていた。

 友人とは言うものの、てっきり皇太子と取り巻きのような上下関係があるものと思っていたのだ。だが抱きしめ合う二人を見ると、対等な関係なのだとわかる。


「驚きましたわ、イロハ。どうやってここまでいらしたの?」

「転移陣で飛んできました。本当はもっと早く来たかったけど……でも……」

 だんだんとしょんぼりしていくイロハを元気づけるように、セレスティナは彼女をもう一度抱きしめる。


「落ち込まないで。わたくしも、イロハにまた会えてとても嬉しいわ」

「ティナ様……」

 感動の抱擁だ。


 アイルトルードとイルムトルードは理解が追いつかないと言わんばかりに顔を見合わせている。



 一方でディートヴェルデは、イロハの話に違和感を覚えていた。

 転移陣を使うには申請が必要なはずだ。いくら“神子”に権力があり、希望が通りやすいと言っても、皇帝陛下や貴族たちが皇都から出ることを許すはずがない。


 イロハは水流神マイムケセドの加護を受けており、それは魔法の才能と並外れた魔力に表れている。


 それを考えれば《テレポート》で転移してきたとも考えられるが、《テレポート》は一度来たことがある場所、もしくは座標を指定しなければ上手く転移できないはずだ。場合によっては『いしのなかにいる』などの事故が起こることだってある。

 イロハが辺境伯領に、それも領主の館にピンポイントで転移するには、座標を示す目印か、転移陣そのものが必要になるが……。


 そこまで考えを巡らせて、はたと気付いた。

 “神子”と繋がりがあり、なおかつそんなものを設置できる人物は一人しかいない。


(この後、きっちり問いただしてやるか……)

 ディートヴェルデはそう心に決め、とりあえず今は目の前の状況の把握と対処に努めることにした。




「神子様。ようこそおいでくださいました」

 ディートヴェルデはセレスティナの隣まで歩み寄ってイロハに声をかける。


 するとイロハはハッとしたように慌ててセレスティナから離れ、ディートヴェルデに向き合った。


「あっ、こ、こんにちは! 突然お邪魔してすみません! 一ノ瀬 彩葉……じゃなくて、イロハ・イチノセです」

 イロハはぺこぺこと頭を下げながら挨拶する。


 “神子”に頭を下げられ、ディートヴェルデは慌てて止めた。さすがに辺境伯の次男ごときが“神子”に頭を下げさせるなんてあってはならないことだ。

「いやいやいや、頭を上げてください!」


「そうよ、イロハ。貴女は“神子”なのですから、そんなに腰が低くては周りの方が恐縮してしまいますわ」

「は、はい……」


 しゅんとした様子でイロハが頭を上げる。うるうるとした目も相まって、まるで仔犬のようだ。先ほどの凛とした表情とのギャップがすごい。

 こういうところが人を惹きつけるのだろう。ディートヴェルデはそう思った。


「神子様」

「イロハとお呼びください」

 ディートヴェルデが呼びかけると、即座に訂正されたので名前で呼ぶ。

「イロハ様」


「えっと……その“様”も外して欲しいのですけど」


 そうは言うものの、ディートヴェルデから見て“青の神子”は遥かに格上の存在だ。さすがに呼び捨てにすることはできない。

 対応に困っているとセレスティナが助け舟を出してきた。

「それは許して差し上げなさいな」

「分かりました。」


「立ったままも何ですから、お掛けになってはどうでしょうか。少々テーブルの上が散らかっていて恐縮ですが……」

 ディートヴェルデが椅子をすすめるとイロハは「ありがとうございます」とハキハキお礼を言って、ちょこんと腰掛けた。

 それから不思議そうな顔で言う。

「みなさん、座らないんですか?」


 “神子”に言われては……とディートヴェルデとセレスティナはもとの席に。アイルトルードとイルムトルードは空いている席に座る。



 先ほどの修羅場は何処へやら。なんだかふわっとした空気の中で、イロハが口を開いた。


「わたしがここに来たのは、ティナ様に会うためです。卒業パーティーで殿下に酷いことを言われて皇都を追い出されたって聞いて……。それに街に出てみたら吟遊詩人が変な歌ばかり歌っているし、もう心配で心配で……でも会えてほっとしました」


 そう言って、隣に座るセレスティナの手を握る。

 この二人、しれっと隣同士に座っていた。しかも椅子を近づけて、ほとんどくっつくように座っている。

 まるで仲睦まじい姉妹のようだ。


「ありがとう、イロハ」

セレスティナが微笑みかけると、イロハは頰を赤く染めて「えへへ……」と嬉しそうに笑った。


(……何コレ可愛い)

 思わず和んだディートヴェルデは悪くない。

 二人の周りには花が咲いているように見えた。気のせいかキラキラと光が舞っているのが見える気がする。


 だがそれで黙っていないのがこの従妹いとこたちだ。

 気の強い妹イルムトルードが猛然と言葉で噛み付く。

「神子様! その女は神子様と皇太子殿下との仲を引き裂こうとした悪女です! 邪法さえ使う悪の権化ですよ! そう近付いてはなりません!!」


 しかしイロハはセレスティナから離れようとはせず、イルムトルードを真正面からじっと見つめる。

「これ以上、ティナ様を悪く言うのはやめてくださいと言ったはずです」


「しかし……!」

 なおも言い募ろうとするイルムトルードだったが、イロハのあの複雑な青に彩られた瞳にじっと見つめられ、徐々に勢いを失くした。


「とはいえ、彼女を“お姉さま”と呼んだのはどういうことですか、神子様」

 少しばかり冷静さを取り戻したらしいアイルトルードが訊ねる。


 するとイロハは頬を染めて、セレスティナの顔を見た。


「ティナ様はこの世界で最初のお友だちです。右も左も分からないわたしにいろんなことを教えてくれました。それこそお姉さんみたいに常識やお作法、それから勉強まで教えてくれたんです」


「ふふ……懐かしい。イロハは素直で聡明な娘だから教えていてとても楽しかったですわ」

 イロハの言葉にセレスティナは嬉しそうに微笑む。


「それにわたしを守ってくれていたんです。馬鹿にしてくる人や嫌がらせをしてくる人、それからしつこく言い寄って来る人もいたので」


 しつこく言い寄って来る人、というくだりでディートヴェルデは思わず「ああ……」と納得の声を上げた。


「神子様に言い寄るですって? なんて非常識な方なのかしら」

 アイルトルードが眉を怒らせる。


「はい、ルシュ様——皇太子殿下が特に酷くて……ずっとつきまとってくるし、お友達を使って他の人をブロックするし、婚約者がいるのにプロポーズまでしてきて……」

 そこまで言ってイロハは、はあ、とため息をついた。


 アイルトルードはといえば、“非常識な方”と罵った相手がまさかの皇太子殿下だったことに驚き、言葉を失っている。


「それじゃあ、ちまたで流れている噂って……」

 イルムトルードが口元に手を当て、怯えたように口にした。

 暴走しがちとはいえ、彼女は決して愚かではない。あまり信じたくない可能性に辿り着き、困惑しているようだ。


 まさか皇太子が一方的に“神子”に言い寄っていたうえに、“神子”と結婚するためにセレスティナとの婚約を破棄するなんて。

 しかも追い打ちをかけるように悪評を流布るふさせて嫌がらせまでしているなんて……。


 従妹いとこたちは答え合わせを求めるかのように、セレスティナに視線を向ける。

「ええ、貴女たちの考える通りでしてよ」

 セレスティナはあっさりと肯定した。


 瞬間、従妹いとこたちは声にならない叫びをあげた。


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