ep.9-3・ドレスは淑女にとっての鎧である(3)


 ——そして現在。


「まあ、どうしてもやりたいと言うなら、それはそれで良いと思いますが……」

 アンリはふんと鼻を鳴らし腕を組む。


「僕の思うに、少し力み過ぎなのでは? それと魔力の加え方が雑です。つる、葉、花——それぞれ異なる量の魔力を要するのですから、全部均一に注いだら、そりゃあ溢れてぐしゃぐしゃになるわけです」


 さすがは秀才の分析力だ。

 皇太子およびその取り巻きの中でも、アンリは人一倍勉強していたし、参謀のような役割も果たしていた。


 学院時代、基本的に独りだったディートヴェルデからすると、こうやって同級生からアドバイスを受けるなんて初めての経験だ。


「ありがとう。次は気をつける」

 素直に感謝を伝えると、アンリは一瞬だけ面食らった顔をした。

 だがすぐに表情を取り繕い、眼鏡をかちゃかちゃと押し上げる。


「く、口ばかり動かしてないで、さっさと実践してみたらどうですか」

 そんな口を叩いているが、おそらく彼なりの励ましなのだろう。


 ディートヴェルデはもう一度 《グロース》を唱え、アンリが教えてくれた通りに調節を試みた。

 全体的に魔力量を絞りつつ、花冠の土台になるつるへ魔力を注いで輪を作り、花や葉をバランス良く配置するイメージで生やしていく。


 最初よりずっと慎重に魔力を操作したおかげか、ようやく輪っか状になり、花冠としての体裁が整ってきた。


 アンリは出来上がった花冠を持ち上げ、検分する。

「……まあ、及第点ですかね」

 そんなお墨付きを貰えたのは大きな一歩だろう。


 表情には出さないまでも喜びオーラを漂わせるディートヴェルデに「ですが……」とアンリは釘を刺す。


「式典でこれをやるなら、もう少しスムーズにできた方がいいでしょうね。感覚をつかむためにも毎日繰り返し練習することをおすすめします」


「……分かった」

 やってみて分かったことだが、このレベルの魔力操作をするのはなかなか疲れる。それを毎日やると思うと少し気が重い。

 だがアンリの言うことは最もなので、おとなしく従おうと心に決めた。


「ありがとう、アンリ」

 改めて礼を言うと、アンリは困惑したように視線を彷徨わせ、せわしなく眼鏡をかけ直す仕草をする。


「こ、こんなの礼にも及びませんよ。万が一にもセレスティナが恥をかくようなことがあっては困りますからね!」

 憎まれ口を叩くその頬が赤くなっているのが見えた。もしかして照れているのだろうか?


 ディートヴェルデはこらえ切れずに「ふふっ」と含み笑いをする。


「な、何笑ってるんですか! もう……僕はこれで失礼します。練習、ちゃんとやっておいてくださいね!」

「ああ」

 ディートヴェルデはひらひらと手を振ってアンリを見送った。


 それから周りに転がっている失敗作ボールに気付き、頭を抱える。

「……どうやって片付けよう、これ」






 その晩はパペトゥリ伯はじめ使者としてやってきた文官たちを招いての晩餐会ばんさんかいとなった。


 辺境伯夫人ミレーヌとセレスティナが手配したおかげだろう。どの料理も喜ばれ、終始なごやかな雰囲気で会食は進む。

 旬の野菜のサラダに始まり、胃に優しいポタージュ、辺境伯イチオシのサヴィニア牛を口の中で解けるほど煮込んだシチューに、辺境伯領自慢の小麦で作ったパン、それから旬の果物で作ったデザートと大森林の秘境で育ったコーヒー。

 辺境伯領の恵みを一身に受けたような料理の数々を堪能し、客人たちは満足のうちに晩餐会ばんさんかいは幕を閉じた。


 セレスティナが提供する側に立ち、なおかつ指示を出すのは初めての経験だったが、大成功と言えるだろう。



 若き文官たちは度重なる疲労もあるが、体に満ち満ちる栄養と満腹感に微睡まどろみを覚え、すぐに客室へ引き上げていった。

 皇都でもなかなかお目にかかれない美食の数々に、上質なワインもたらふく飲んだのだ。

 きっと良い夢を見られることだろう。


 一方パペトゥリ伯は、さすがの年の功と言うべきか、あるいはこういった無茶振りに慣れきっているのか、晩餐会ばんさんかいが終わった後も辺境伯ハッケネスに食後の語らいを求め、残りのワインを手に書斎へ消えていった。

 どちらも国政に精通しており、なおかつ国のやり方に不満を抱える同士である。

 愚痴を吐き出し合いすっきりするまでにはかなりの時間を要することだろう。


 辺境伯夫人ミレーヌは、客人が食堂から去るのを見届けると、人目もはばからず「ふわ〜あ」と大きな欠伸をした。

「なんだか疲れちゃったわぁ。わたし早めに寝ようかしら。あの人たち、下手すると朝方までくだ巻いてるでしょうし」

 書斎の方へ流し目を送りつつ、そんなことを言いだす。

 そして使用人により食器がすべて片付いたのを確認してすぐに「おやすみなさ〜い」と自室に帰っていった。本当に自由な人だ。 


 残されたセレスティナとディートヴェルデはもう少しだけ一緒に過ごしたいとは考えていたものの、お互い慣れないことをして思ったより疲れていたらしい。

 名残惜しくもそれぞれの部屋に帰り、休むことにした。





 やがて夜も更け、月が南中の天に高く昇った頃——。


 アンリは与えられた客室からそっとバルコニーへ続く窓を開けて外の様子を窺った。

 真夜中ゆえ人の気配はない。明かりもほとんどなく、屋敷の近くの庭園にいくつかランプが灯っている程度だ。


 《コレクト・サウンド》をかけて周囲の様子を探り、誰もいないことを確認すると、アンリはするりと窓から抜け出し、貴族子息らしからぬ動きでバルコニーから飛び降りた。


 そして午後のうちに目星をつけていた場所へ歩き出す。



 そう、彼が庭でディートヴェルデと出会ったのは本当に偶然だったのである。下見のため散策していたらうっかり行き合ってしまったのだ。


 迷路のように複雑な小径こみちをなぞり、少しばかりひらけた場所へ出る。

 ガーデンチェアやテーブルがあるところを見るに、ここもお茶会を開く場所として作られたのだろう。だが地面に敷き詰められたレンガの隙間から草が伸びてきているところを見るに、使われなくなって久しいようだ。


 日の明るいうちにチェアもテーブルも避けておいたので、空間は広く空いている。


 アンリは《リコンストラクション》を唱えて地面を平らにならした。レンガ同士が溶けるように変化すると互いに隙間なく繋がり、1枚の板のように地面を覆う。これで隙間から草が顔を覗かせることもないだろう。


 それから懐からスクロールを取り出す。

 これは彼が皇都を出るにあたり、ある人物から託されたものだ。


 複雑に折りたたまれたそれを広げ、地面に敷く。するとそこに描かれていた魔法陣がほのかに光を放ち、地面に焼き付いた。試しに魔力を通して回路が欠落無く繋がっていることを確認する。自身の仕事が済んだことを確かめたアンリは足音を殺し、その場を立ち去ったのだった。

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