ep.9-2・ドレスは淑女にとっての鎧である(2)


 セレスティナとミレーヌがドレスを選んでいるのと同時刻——。


「……上手くいかないな」

 ディートヴェルデは苦々しい表情でつぶやいた。


 目の前には雁字がんじがらめになったつる植物の塊が転がっている。傍目はためには草を丸めて球にしたようにしか見えない。ぎゅっと目の詰まって弾力もあるボールは子供が遊ぶのにちょうどいいだろうが、ディートヴェルデが求めているのはこんなものではない。

 

「よし、もう一度……《マス・グロース》」

 手のひらに並べた種子に魔法をかける。

 生命の力がこもった魔法は種子を発芽させ、葉を茂らせ、花を咲かせ——。

「うわ、育ち過ぎだ……!」

 今度は表面に花がびっしりと咲いたボールができてしまった。


 大きく華やかな百合の花に、可憐に咲くつる薔薇バラの花、淡くけぶるようなカスミソウ……と様々な花の咲くそれはある種のインテリアにも見える。温室に吊るしたら見栄えがするかもしれない。

 だがこれもディートヴェルデの目的のものではない。


「やっぱり花をちょうどいいだけ咲かせるのは苦手だ……」

 思わずそんな弱音がこぼれてしまう。


 ディートヴェルデは生命魔法の使い手だ。それは生まれつき緑色の爪を持つ“緑の指”であることからも明らかである。ディートヴェルデの場合は左手の親指がそうだ。


 “緑の指”は代々テヴァネツァク神の加護を受けており、生命魔法の扱いに長けている。加護を宿す指は人それぞれだし、色味だって人によって異なる。

 しかし生まれつき色のついた指を奇異の目で見られることも珍しくない。そのため、常にすべての指の爪を緑色に塗る慣習があった。


 ただの迷信でしかないが、加護を受けた指を失うと本人の力が大きく弱まるという話もある。すべての爪を緑色に塗るのは、どの指に加護があるのか他者に知られないためという意図もあるのかもしれない。



 そして、ひとえに生命魔法に長けるといっても、何が得意かなんて人それぞれだ。

 ディートヴェルデのように植物を操る《グロース》のような魔法が得意な者もいれば、《キュア》に代表される回復魔法を得意とする者、《タイガー・スプリント》、《ゴリラ・マッスル》など強化魔法を得意とする者など様々である。


 さらに言えば、《グロース》を得意とする中でも、ディートヴェルデは植物の生長を促進させて大きくしたり収穫量を増やしたりするのが得意だ。

 しかし過剰に生長させ過ぎてしまうこともあり、今まさに振り回されているところである。


 一方で花を美しく咲かせたり、意図した形に生長させて満開の期間を長く保たせたりなんて繊細な調整は、兄であるジークハルトが得意としている。その能力を評価されて皇城の庭師に登用されたほどだ。



「兄さんならこれくらい片手間で作れるんだけどなぁ……」

 もう何個目になるか分からないボールを作りながら、ディートヴェルデはガーデンチェアに座り込んだ。

 そう、彼が魔法を練習しているのは庭の一角だ。それほど遠くに行く気力もなかったので、屋敷から近場のところでやっている。


「……はぁ」

 ため息をついていると、ざくっと芝を踏みしめる音が聞こえた。

 さっと振り向くと、足音の主はとっさに隠れようとしたようだ。だが存外に鈍くさかったらしい。大して身を隠すこともできず、ディートヴェルデに捉えられた。

「アンリ?」


「誰かと思ったら貴方でしたか」

 まるで偶然出会ったかのように言い放つが、隠れるのに失敗していたところを目撃しているだけに、少し間が抜けて見える。

 だがアンリは虚勢を張った様子でディートヴェルデと目の前に転がる植物の固まったボールとを見比べた。


「魔法の練習ですか?」

「ああ、そんなところだ」

「子どもの遊び道具を作っていたってわけじゃあなさそうですね」

「まあ……そうだな」


 言葉を濁すディートヴェルデを尻目にアンリは転がっていたボールを持ち上げようとする。だが見た目に反してみっちりと中身の詰まった重さに驚いて、「重ッ!」と短い悲鳴を上げながら取り落とした。


「本当に何作ろうとしてたんですか、これ!? まさか花冠とか言いませんよね……?」

 わざわざ明言しなかったのに、アンリにぴたりと言い当てられてディートヴェルデは閉口する。


 そう、ディートヴェルデは花冠を作る練習をしていた。

 婚約披露パーティーの余興として魔法で咲かせた花冠をセレスティナに贈ろうと思っていたのだ。


 しかし冠を形作るつるは育ち過ぎてぐしゃぐしゃの毛玉のようになり、花は咲いたものの数が多すぎてびっしりと表面を埋めるほど。

 どうも魔法の効果が過剰なあまり失敗しているようだった。


「こんなものセレスティナの頭に載せたら、彼女の首がへし折れるでしょうが! 馬鹿じゃないですか!?」


 早速発揮されるアンリの毒舌に、ディートヴェルデはげんなりとしてしまう。ついつい表情がしなびてしまうのも仕方のないことだろう。


「だいたい花冠にどれだけ花を盛るつもりだったんです?」

「百合と薔薇バラとカスミソウとアネモネとガーベラと……」

「多い多い多い……! 明らかに多過ぎでしょ!! まずは種類を絞りなさい。盛りだくさんに盛ろうとするからこんがらがるんですよ」


「じゃあどうしろと」

「セレスティナに飾るんでしょう? 一種類か二種類で十分なはずです。素材はかなり良いんですから」

「セレスティナを素材とか言うな」

「あ〜〜もう、面倒くさい! とりあえずつる薔薇バラひとつでやってみなさいよ。ほら、早く!」


 アンリに促され、ディートヴェルデは再び魔法を使ってみせる。

「《グロース》」

 緑色の魔力が渦巻くのと同時に手のひらの種子が芽生え、生長し、あっという間に葉を茂らせながらつるを伸ばしていく。そして——。


「いや、どうしてそうなるんですか……」


 立派なボールができていた。さっきまでと違うのは、つるが密集しているのは表面だけで、中は空洞になっていることだ。


「あなたが作りたいのは花冠、つまり輪っかですよね? 何をどうしたら球になるんですか? ふざけてるんですか??」


「そう言われてもだな……」

 ディートヴェルデは口を尖らせる。



 農作物の生長を促進するにあたり、ディートヴェルデは割と大雑把おおざっぱに《グロース》をかけていた。

 許容量以上の魔力を注ぎ込むと植物はたちまちマンドラゴラになってしまうが、逆に言えば、そのラインさえ守れば望んだ結果を得られる。


 しかし花冠を作るには蔓を輪っかの形に生長させ、輪っかの上や外に向けて花を多過ぎず少な過ぎずという塩梅あんばいで咲かせなければならない。更に言えばセレスティナが怪我をしないよう棘を無くす必要だってある。

 そうやって植物の本来の形から歪め、意図した形にするには繊細な魔力操作を必要とする。



「苦手なパフォーマンスなら避けたほうがマシなのでは? 失敗する方が面子に関わると思うんですけど」

 アンリがド正論を叩きつけてくる。

 正直言ってディートヴェルデもそうしたいと思っている。だが退くに退けない理由があった。





 時は少しだけさかのぼる——。


 婚約披露パーティーの打ち合わせを終えたあと、ディートヴェルデはセレスティナをドレスルームへと案内していた。


 辺境伯婦人たるミレーヌの部屋に隣接しており、ドレスをはじめとする衣服を収めたクローゼットと着替えを行う部屋を兼ねている場所だ。


 もちろん男であるディートヴェルデはその部屋に入れないため、入り口でセレスティナと離れなければならない。

 セレスティナがメイドたちに出迎えられる姿を見届けてきびすを返した瞬間、目の前にミレーヌが立ちはだかっていたのだった。一切の気配も感じさせずにこんなにも近くまで接近されたのはある種のホラーだった。


「ディートくん、今回はねぇ、比較的シンプルなデザインで仕上げようと思っているの」

 ディートヴェルデが何も聞かないうちからミレーヌが語りだす。

「アクセサリーもイヤリングとネックレスだけにして、頭には何も付けずに空けておくつもりよぉ」


「うん、良いと思う。ティナの美貌が引き立つんじゃないかな」

 ディートヴェルデは適当に相槌を打った。

 セレスティナならシンプルなドレスも上品に着こなすだろう。むしろイメージ戦略を考えるなら、派手な装いより清楚な路線で打ち出した方が噂とのギャップが作れて良いはずだ。


 ミレーヌの言わんとすることを半ば予想しつつ、ディートヴェルデは気付かないふりをして、そそくさと立ち去ろうとした。

「じゃあ、俺は戻るから。母さんもそろそろドレス選び、手伝った方が良いんじゃないか?」


 スッと横に避けて歩きだそうとした瞬間、がしりと腕を掴まれた。たおやかな貴婦人の腕とは思えないほどの力で握りつぶされ、骨がぎりぎりと音を立てているような錯覚に陥る。


「ディートくん」

 名前を呼ばれ、ミレーヌの方を振り返ったディートは思わず「ひぇっ」と小さな悲鳴を上げた。


 いつもにこやかな笑顔を浮かべるミレーヌが、真顔でディートヴェルデの顔を見上げていたのである。


 微笑みに細められていた目はしっかりと開かれ、金色の瞳がディートヴェルデを射抜く。温和で柔らかな雰囲気の消えた美貌は、鋭角的な凄味を漂わせていた。

 獲物を見定めた猛禽類……否、滅ぼすべき敵を認めたアイシクル・ドラゴンのような相手を震え上がらせるほど凶悪な顔つきに、ディートヴェルデは体を硬直させた。


「ドレスだけでは足りないのよ、ディートくん。セレスティナさんを想うなら、誰が見てもそうと分かるように行動で示しなさい。……そうねぇ、やっぱりあのドレスじゃあ寂しい雰囲気が拭えないから、華を添えてほしいわぁ」

 ミレーヌの言葉にディートヴェルデはこくこくと首を縦に振る。

 彼女の言う『華を添える』は間違いなくダブルミーニングだ。本物の生花でセレスティナを飾り立てろという命令である。


 ドレスや装飾に生花を使うのは贅沢の証だ。


 パーティーに合わせて生花を仕入れ、なおかつしおれないよう魔法をかけるか加工したうえで、装飾に用いる。

 紳士の襟に挿すブートニアなら小さな花瓶に活けるようなものなので簡単だが、淑女の髪飾りやドレスの装飾に使うとなると、また勝手は違ってくる。縫い付けたところから花が裂けてしまうかもしれないし、柔らかな茎では髪束を支えられないかもしれない。

 また、落ちた花弁が床を汚したり、他の招待客が転倒する原因になったりすることも考えられる。

 それらの問題をクリアし、なおかつ華やかに仕上げるだけの手腕を必要とする。


 それゆえ生花で飾り立てることは貴族でもそうそうできないほどの贅沢だと考えられている。


 ミレーヌの思惑としては、ディートヴェルデが自ら花冠を作りセレスティナに贈ることで、辺境伯家に嫁入りすることを歓迎していることと、生花で飾り立ててやるほど彼女に心を傾けていることをアピールするのが目的だろう。


「お兄ちゃんにもできたのだもの。あなたにもきっとできると信じているわ」

 いつものほんわかとした表情でウインクされたら、やはりディートヴェルデは頷くしかなかった。



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