ep.6-2・実食、領都グルメ

 二人は会話もそぞろに、夢中になって食事をしていたのだが、ふと視線を感じて顔を上げると、広場の向こうからじっと見つめる青年の姿があった。


 年の頃はディートヴェルデと同じくらいだろうか。

 亜麻色の髪に青い瞳、女性に好まれそうな優しげで甘いマスクの持ち主だ。

 だが貴族のみてくれだけを真似たような安っぽい正装と胸を反らした高慢そうな姿勢が、そこはかとなく嫌味な成金っぽさを醸し出している。


 目が合ったと感じた瞬間、青年はずかずかと足音荒く二人に近付いてきた。目の前を行き交う人をちっとも気にせず、乱暴に押し退けながらやってくる。

 そしてわざとらしいほど胸を反らしてセレスティナを睥睨へいげいした。


「やあやあ、そちらにいらっしゃるのは皇国の金庫番の呼び声高いサンクトレナール公爵家の御令嬢、セレスティナ様ではありませんか」

 青年はまるで舞台俳優のように声を張り上げ、わざと周りにも聞こえるようにセレスティナの名前を呼んだ。


「皇太子を怒らせ、辺境伯領くんだりまで落ちぶれたとは聞いていたが、こんなところで貧乏臭い飯にがっついているとはね……“理想の淑女”が聞いて呆れる!」


 “辺境伯領くんだり”。

 “落ちぶれる”。

 “貧乏臭い飯”。

 明らかに馬鹿にしたような言葉選びはディートヴェルデの神経をこれでもかとばかりに逆撫でる。

 今すぐにでも殴り飛ばしたいところだが、先に手を出したら不利になるのは自明の理。相手が攻撃の意思を見せたところで取り押さえるのがベストだろう。


 大勢の人の前で立場を明かされ、さらに侮辱ぶじょくされたにも関わらず、セレスティナは冷静さを保っていた。

 汚れないよう食べ物をそっとベンチに置き、ハンカチで口元を拭いながら立ち上がる。


 そしてザッと地面を踏みしめると、目の前の青年より堂々と胸を反らし、冷ややかな眼差しで見下ろした。


 セレスティナは青年より背が低いので、実際には見上げているにも関わらず、“見下ろす”という言葉がふさわしいほどの威圧感がある。



「あら、そう言う貴方はラ・ラングストゥ商会の会長、デプィユ男爵の御長男マルタン様ではありませんか。わざわざこんなところまでお越しになるなんて、自称・大商会の跡取りは随分とお暇なようですこと」


 セレスティナがそう切り返すと、青年——男爵令息マルタンはぴくりと眉を動かして鼻を鳴らした。


「相変わらずお高く止まっているようで。山賊にさらわれたって聞いたのでてっきり洞窟なんかで慰み者にでもなっていると思ってましたが……」

 そこで男爵令息マルタンは意味深に言葉を切り、ディートヴェルデに視線を向けた。

「おや、山賊の男でもたぶらかしたのですか? オークの臭い飯に比べれば田舎の貧乏飯もご馳走同然でしょうね」

 差別的な表現をこれでもかと盛ったような台詞に、周囲の空気がざわりと波打つ。


 サヴィニアック辺境伯の子息であるディートヴェルデの顔すら知らない無知蒙昧さもそうだが、鬼人族オルクスを山賊というニュアンスで呼ばわり、領民たちが心を込めて作った素朴で味わい深い料理を“貧乏飯”とさげすむ精神性は、貴族の品格が疑われるほどに酷い。


 そしてディートヴェルデにとって何よりも許し難いのは、卑猥ひわいな言い回しでセレスティナを侮辱ぶじょくされたことだった。スラム街のゴロツキですら口にしないような低俗な表現で、だ。


 ついさっきまでにぎやかだった広場が静まり返る。

 早くコイツをつまみ出せ……という無言の意思が広場全体から発せられていた。


 サヴィニアック辺境伯領は皇国の国境、3つ国に接する交通の要所であり、多様な種族が暮らしている。

 それゆえ他種族への差別発言をしようものなら一発で街から蹴りだされるのが当たり前だ。


 だが、マルタンが男爵令息であることが問題だった。


 皇国の法律では、貴族に対する傷害は重罪に問われる場合があるためだ。特に平民から貴族に何らかの危害を加えた場合、問答無用で極刑もあり得る。


 つまり、ここで領民たちが彼に暴力を振るうと、犯罪者になってしまう可能性が高い。

 それが彼らの行動を鈍らせる要因となっていた。


 そんな領民たちの良心のおかげで辛うじて生きているにも関わらず、マルタン本人だけがそれを察していない。


 周囲の人々が放つ殺気など微塵みじんも気に留めず、男爵令息マルタンはセレスティナを更に煽るような発言を続けた。


「ああ、そうだ。良いことを考えた。貴女が地面に頭擦り付けて頼んでくれたら、そこの山賊から貴女を買いあげて差し上げますよ」


 その言葉にディートヴェルデは絶句した。

(セレスティナを“買いあげる”? コイツは何を言っているんだ……??)

 理解の及ばぬうちに、男爵令息マルタンはぺらぺらと講釈を垂れる。


「特別に我がラ・ラングストゥ商会で雇ってやってもいいし、めかけとして家に置いてやってもいい。そうすればこんな田舎でくすぶらず皇都に返り咲ける。こんな良い話はないでしょう? どうです、泣いて喜んでもいいですよ」

 自分の言葉が正しいに違いないと疑いを微塵みじんも抱いていない様子でセレスティナを見つめる男爵令息マルタン。


 それに対するセレスティナの反応なは深い深い溜め息だった。


「嫌よ」


 端的に断られ、男爵令息マルタンは鼻白む。

「何ですって……?」


「だから、嫌と言ったの。貴方の耳は飾りでして?」

 セレスティナは冷ややかな眼差しのまま首を傾げた。豊かな金髪が肩から流れ、さらりと揺れた。


「そもそも貴方は立場というものを全く理解していないようですわね。男爵令息ごときがわたくしをめかけに……? 笑わせないでくださる? お断り以外の返事は無くてよ」


「何を……! 山賊に拐かされけがされた時点でお前なんて公爵家の恥になったんだ! とっくに勘当かんどうされてるに決まってんだろ!!」

 逆上した男爵令息マルタンは上っ面だけの上品な言葉遣いもかなぐり捨てて怒鳴りつけた。


 どう見ても『自分の主張が曲げられずに引っ込みがつかなくなった結果、ギャン泣きしながら逆ギレしている幼児』そのままの振る舞いである。


「そこを助けてやろうという僕の厚意も分からないのか! このば、ッ——!!」


 だがセレスティナに対して“検閲が入るほど酷い暴言”を浴びせようとしたので、ディートヴェルデは近くの植物に生命属性の魔法グロースをかけ、男爵令息マルタンの頭に巻き付かせた。


 猿轡さるぐつわになるどころか頭蓋骨がきしむほどぎちぎちに縛られ、男爵令息マルタンはほとんど音にならない呻き声をあげながらもだえ苦しむ。

「ン"ッ!? ゥ"〜〜ッ!!!」

 地面をのたうち回りながら頭に巻き付いた植物を外そうと手をかけるが、力を込めるほど巻き付く力も強くなっていく。


 周囲の領民たちも、まさかディートヴェルデが手を出すとは思っていなかったようで、唖然あぜんとしていた。


 セレスティナも目を見開き、信じられないという顔でディートヴェルデの方を振り向く。

 そして彼の表情を見てさらに驚くことになった。


「黙って聞いていれば、領地だけでなく領民やティナにまで……随分と好き勝手を言ってくれたな」


 底冷えするほど冷たいのに、爛々らんらんと燃えるような怒りに満ちた金色の瞳。獲物を仕留めると決意した猛禽のような瞳だ。

 その顔からは、ごっそりと表情が抜け落ち、感情が読めなくなっていた。


 それくらいディートヴェルデが怒っている。


 それを察して、セレスティナは背筋がぞくりとした。

 まだ共に過ごした時間が少ないとはいえ、いつも温厚な彼がここまで激昂する姿を見たことがなかったからだ。


 ディートヴェルデはさらに《グロース》を唱えて、男爵令息マルタンの体を雁字がんじがらめにする。

 まるで芋虫のようになった彼を転がすと、こちらから目をそらさないよう地面に縛り付けた。


 はぁ……、とディートヴェルデは深いため息をつく。

「俺が山賊だって? 上級貴族の顔すら覚えてないとは嘆かわしいな……」

 そう言いながらディートヴェルデは手袋を外した。


 露わになった指先、その爪がムラのない緑一色に染まっているのを見て、この無知な男爵令息にも、目の前の男ディートヴェルデが何者か分かったらしい。

 男爵令息マルタンは目を見開き、狂ったように暴れだした。


 ソルモンテーユ皇国で、爪を緑一色に染めるのを許されているのは、“緑の指ドヮヴェール”の二つ名を持つサヴィニアック辺境伯およびその縁者だけだ。


 田舎貴族とあなどられはするものの、土属性の陽の側面——生命属性の魔法において右に出るものが居ないほど優秀であることは知られている。

 特に植物にまつわる魔法に関しては。


 それは数年前、皇宮の専属庭師となったディートヴェルデの兄——ジークハルト・“ドヮヴェール緑の指”・ド・サヴィニアックが手がける庭園を見ればよく分かることだろう。



「ぅ"ーッ!! ウ"ゥーッ!!!」

 男爵令息マルタンは駄々っ子のように体をジタバタさせて藻掻もがいている。

 まるで『僕は悪くない! 知らなかっただけだ!!』と言いたげだ。その無知ゆえにこんな状況になっているというのに。


 だがこの広場にいる者全員がこの愚行を目撃し、あるいは聞くにえないやり取りを耳にしている。

 彼を擁護ようごするものはきっといないだろう。


「ゥ、ウ"……」

 暴れるのにも疲れたのか男爵令息マルタンがぐったりとし始めたタイミングを見計らって、セレスティナが勝ち誇ったように笑う。


「それと貴方の勘違いを正しておきますけれど、わたくしとディートは婚約関係——それも、皇太子殿下がお認めになった婚約でしてよ。この件は我が父サンクトレナール公爵も合意されておりますわ」


 皇太子殿下と公爵の名前が出て、男爵令息マルタンは目を見開いた。

 彼の言動は皇族と公爵の決めたことに対し侮辱ぶじょくしたも同然の行為である。

 今後、己に降りかかるだろう事態を予想して男爵令息マルタンはあおめた。

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