ep.6-1・実食、領都グルメ
「や……やっと終わった……」
へろへろの様子で商会の建物を出たディートヴェルデ。
午前いっぱいを書類仕事に費やしたおかげで、すっかり
いつも畑仕事をしている傍ら、
事務作業というのは農作業とは異なる方向性で神経を使うし、農作業よりずっと頭を使いながら文字を書くという、ちまちまとした単純作業を重ねなければならない。
おかげで、普段使わないあれやそれが悲鳴を上げていた。
一方でセレスティナはけろりとした様子でディートヴェルデの隣を歩いている。
彼女は商売人だ。帳簿を付けることにも慣れているのだろう。
書くスピードはもちろんだが、計算も非常に速い。
目の前で書類の山が消えていくところを目撃したディートヴェルデはセレスティナの事務能力の高さに舌を巻いた。
「すっかりお昼を回ってしまいましたわね。何かお腹に入れておきたいところですけれど……」
「ひとまず商業区の広場に行ってみよう。あそこなら露店も多く出ているし、レストランも何軒かある。そこで探せばいいんじゃないか?」
「えぇ、そうですわね」
二人は連れ立って歩き出した。
領都ヴェルデンブールは、皇国の食料庫とも言われるサヴィニアック辺境伯領の中心地。この領地で生産されたものが集まる交易の一大拠点でもある。
それゆえ市場に行けば、棚から溢れんばかりの野菜や果物、山積みの穀物、店先をカーテンの如く覆わんばかりに吊るされた肉に、潤沢なミルクから作られたバターやチーズなど大量の食料品が道を圧迫するほどに並んでいる。
売られているのはそれだけではない。
木製の生活用品や色とりどりの花々、魔力も豊かな土地で育った薬草、それらを加工したさまざまな物が並んでおり、見る者の目を楽しませてくれる。
そんな市場の様子を横目に大通りを抜け、セレスティナとディートヴェルデは広場に辿り着いた。
中央に鎮座する噴水の周りには、屋台が立ち並び、食欲を刺激する匂いを辺りに振りまいている。
肉の焼ける音、目にも鮮やかな菓子細工の数々に、ほこほこと立ち昇るスープの湯気——さまざまな食べ物が二人を誘惑する。
「何か食べたいものは?」
「そうですわね……すっかりお腹も空いてしまいましたし、いくつか回るのはどうかしら」
「それは名案だ」
セレスティナから『貴方のおすすめを』とオーダーされたので、ディートヴェルデは少し思案する。
まず店先で丸い鉄板を火にかけている屋台へ向かった。
台にはレタスや千切りのキャベツ、鮮やかなパプリカなどサラダが山盛りに盛られ、海老や茹でた鶏肉といった具材も並んでいる。
店主は二人が近付いて来るのを見ると、丸い鉄板にとろりと生地を垂らして焼き始めた。
土をならすトンボのような道具で生地を広げると、薄くパリパリとした生地ができ上がった。うっすらととうもろこしが香るところを見るにトルティーヤのようだ。
「いらっしゃい、坊っちゃんにお嬢さん。何を巻きましょうかね?」
店主のおすすめを頼むと、生地にレタスを重ね、紫キャベツと千切り人参、ルッコラ、茹でて細く割いた鶏肉を山盛りに載せて、ソースをかけ、器用にくるくると巻く。
「さあ、どうぞ。こぼさないように気を付けて」
半分に切ったサラダラップをそれぞれ受け取り、ディートヴェルデは「いただきます」と早速かぶりついた。
シャキシャキとした野菜に酸味のあるソースがよく合う。
ちらりとセレスティナを見ると、彼女は少し戸惑った様子だった。
無理もない。これまで貴族のお嬢様として育ってきたのだ。食べ物にかぶりつくなんて初めての体験だろう。
「こうやって食べるんだ」
見本を見せるようにディートヴェルデが大口を開けてかぶりつけば、セレスティナは意を決したように真似をした。だが大口を開けるのは
その様子はなんだか野菜をぽりぽりとかじる兎に似ている。
思わず笑みを漏らすと、セレスティナはむっと頬を膨らませた。
「失礼ね」
「ごめんごめん」
ディートヴェルデは素直に謝ると、セレスティナと一緒にしゃくしゃくとサラダラップを食べ進めた。
「サラダをこうやって食べるなんて考えもしませんでしたわ。これなら手軽に食べられますし、切ったときの断面がきれいだもの。きっと皇都でも通用しますわね」
嬉々として考察するセレスティナの姿に、ディートヴェルデはついつい笑みをこぼしてしまう。先ほど「笑うな」と注意されたばかりだというのに。
セレスティナの言うとおり、サラダはふつう皿に盛られているものだ。皇都では、生野菜をサラダにして食べられるのが裕福な証ともされている。
だからこそ、サラダをこんなにカジュアルに楽しめる料理が新鮮に映るのだろう。
サラダラップを食べ終わり、セレスティナはぐるりと広場を見回した。
今のはフルコースでいう前菜だ。次はスープなんてどうだろうか。
「スープか……他にも食べるならそうだな……」
ディートヴェルデが次に向かったのはいくつもの鍋をほこほこと沸かしている屋台だ。
店主のおすすめはオニオンコンソメスープ。
舌の上でとろけるほどじっくり煮込まれた玉ねぎの甘みが、コンソメの旨味を引き立てている。
ふぅふぅと息を吹きかけて冷ましながらスープを口に含むと、セレスティナはほわぁと表情を綻ばせた。
「美味しい……」
「ここのスープは手間を惜しまず煮込んであってさ、特にオニオンスープが絶品なんだ」
「えぇ、とても。野菜の自然な甘味が口いっぱいに広がりますわ」
ディートヴェルデは、うんうんと大きく首肯する。
どの店もそうだが、野菜の品質にもこだわっているので、野菜本来の味わいが楽しめる。
前菜、スープときたら次は魚料理と言いたいところだが……。
「ここは魚介類があまり無いのでしょう?」
「ああ、皇都ほどは食べられてないな。こっちは川魚を焼いて食べるくらいしかレパートリーがない」
「そう……」
内陸に位置するサヴィニアック辺境伯領では、あまり漁業が盛んではない。旬の川魚やサーモンを
「そう……でしたら次は肉料理なんてどうかしら。メインにふさわしいものはありまして?」
「肉料理か……じゃあ、あの店なんてどうだ?」
ディートヴェルデが指差したのは、くるくると巨大な肉の塊が回っている店だった。
それだけでなくもうもうと熱気の立ち上るグリルで肉と野菜の串焼きと、ソーセージも焼いている。
「まあ、あれは何?」
興味津々といった様子でセレスティナが目を瞬かせる。
「牛の丸焼きを焼いているの? それとも何か魔獣かしら……?」
「行ってみるか?」
ディートヴェルデが訊ねると、セレスティナはこくこくと頷いた。よほど興味があるようだ。
屋台の店主はゴツゴツとした“
「やあ、坊っちゃんにお嬢さん。ドネルケバブを食べていくかい? それともシシケバブが良いかな? スジュク(スパイス入り熟成ソーセージ)もあるよ」
肉の焼ける香ばしい匂いと香辛料の匂いのおかげで目移りしてしまう。
セレスティナは迷い無く肉の塊を差した。
「こちらをくださる? これは何の肉をお使いになっているの? 丸焼きにしているのよね?」
次々と質問をぶつけるセレスティナに、むふーと鼻息を荒くして店主は答えた。
「これは黄砂連合でも定番の屋台料理、ドネルケバブさ。味付けした薄切り肉を重ねて塊にしているんだ。肉の種類と味付けは一子相伝の秘密だから『教えてくれ』って言うのは勘弁してくれな」
先制するようにそう断りを入れて竜人族の店主はぱちりとウィンクをする。
「それは残念ですわ」
セレスティナは本気で心底残念そうに肩を落とした。
そんな彼女を横目に、ディートヴェルデはパンに挟んだドネルケバブとスジュクのグリル焼きを買った。
ドネルケバブは、ピタパンという平べったいパンにレタスと薄いトマトと一緒に挟まれている。
店主の心遣いなのか、野菜は少なく肉は山盛りだ。
肉は柔らかくじゅわりと肉汁が溢れるほどジューシーで、スパイシーなソースとの相性も抜群。いくらでも食べれてしまいそうだ。
スジュクはサラミに似た質感の熟成ソーセージで、全体的にぎゅっと引き締まった肉の旨味が凝縮されているようだ。こんがりと焦げ目の付いた皮にぱりっと歯を立てれば、パリッと心地よい音とともに皮が弾けて、肉の旨味が口の中に広がる。
単体で食べても美味しいが、野菜やパンと組み合わせても美味しそうだ。朝食に良いかもしれない。
「美味しい……食べ方ははしたないけれど、屋台の食事ってこんなに美味しいものでしたのね」
セレスティナは感心したようにつぶやき、はむっとまた一口かぶりつく。
先程より恥じらいが薄れたのか、しっかりと口を開けて肉をかじり、もぐもぐと頬張っている。その姿もやっぱり小動物のようで、見ていて飽きない。
そんな様子を微笑ましく見つめつつ、ディートヴェルデも自分の食事を食べ進める。
食べ物を両手に持つのはさすがに不調法なので、広場の中心にある噴水近くのベンチに座って食べている。
ここからなら広場に出ている屋台の様子が見られるし、行き交う住民を眺めることもできる。
市場視察にはうってつけというわけだ。
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