ep.6-3・実食、領都グルメ

「デプィユ男爵家ならびにラ・ラングストゥ商会には、サヴィニアック辺境伯家の名前で公式に抗議文を出させてもらう」

 ディートヴェルデはそう宣言し、男爵令息マルタンを見下ろした。


「そうだな、こちらからの要求を先に伝えておくか」

 ディートヴェルデの目は、今まさに獲物を仕留めんとする猛禽もうきんのようだ。獲物は既に目の前に転がっている。あとは息の根を止めるのみだ。


「ラ・ラングストゥ商会およびその関係者は今後20年間、サヴィニアック辺境伯領に踏み込んではならない」


 その要求はつまり、かの商会の終焉しゅうえんを宣告されたも同然の内容だった。



「んん"っ! ン〜〜!!?」

 男爵令息マルタンは顔を真っ赤にして、またじたばたと身悶えし始めた。


 そう、彼がわざわざ辺境伯領まで来たのは、商会の仕事のためだった。


 ラ・ラングストゥ商会は、大海老La Langousteという名前が示すとおり、皇国の沿岸部で獲れた海産物——主に海老や蟹などの甲殻類を内陸部を中心に売り歩き、その足で農作物や肉を買い付けて皇都で売るというサイクルで商売をしている。


 そして、皇国で一番内陸部に位置しており、農畜産業が盛んなサヴィニアック辺境伯領で大規模な買い付けをするのは、実に合理的な選択であり、自然な流れと言えるだろう。


 買い付けを済ませたらさっさと皇都まで帰れば良かったものを、要らぬ興味を示したせいで大恥をかいた上に、大口の取引先を失ったのだ。


 しかも辺境伯領に立ち入りできないため、領都ヴェルデンブール以外の都市に買い付けに行くこともできない。

 皇国の穀物庫とも言われる辺境伯領で仕入れをせずにどうやって商品を揃えるつもりなのか。


 不可能だ。


 もちろん他領でも農畜産業は行われているが、サヴィニアック辺境伯領ほど大規模ではない。

 輸出をしていても、その少ない枠は既に他の商会が持って行っている状況だ。


 ラ・ラングストゥ商会は皇都でも名のある商会の一つとして数えられるものの、所詮は新興商会であり、当代の主であるデプィユ氏が成功を収めたので男爵位に叙爵されたに過ぎない。

 商会としても貴族としても中途半端な存在だ。


 そんなラ・ラングストゥ商会でも皇国内陸部ここまで来て手ぶらで帰らずに済んでいたのは、サヴィニアック辺境伯領の有り余る農作物のおこぼれにありつくことができていたからだ。


 それを絶たれてしまえば、商会は混乱に陥るだろう。恐らくはこれまでの経営戦略を根本から変えなければならないのだから。

 良くて規模縮小、下手すると廃業に追い込まれる可能性もある。



 それにようやく気付いた男爵令息マルタンは、縛られ転がされた姿勢のまま、さめざめと泣き出した。

 自分の軽率けいそつな行動で家業を傾けることになったのだ。

 だが、今更気付いても、もう遅い。


 可哀想な簀巻すまき芋虫いもむし一瞥いちべつし、ディートヴェルデは現場に駆けつけた警備兵に事情を伝えて、今後の手配をする。


 男爵令息マルタンは投獄とし、迎えが来るまで拘束することとする。

 今回の事件に対する補償については、デプィユ男爵家との交渉次第にはなるだろうが、せしめた慰謝料は少なくとも広場周りの店に還元するつもりだ。


 屈強な“腕のあるものズロア”である牡鹿の獣人が簀巻すまき芋虫いもむしかついで行くのを見送ってから、ようやくディートヴェルデは安堵あんどの息をついた。


「悪かった、ティナ。嫌な思いをさせて……」

「貴方に責はありませんわ。わたくしが巻き込んでしまったようなもの……謝るのはわたくしの方でしてよ」

「でも……」

 なおも言いつのろうとするディートヴェルデが隣を見ると、セレスティナの目にいっぱいの涙が溜まっていた。


 ディートヴェルデはぎょっとして、わたわたと慌て始める。

「あっ、えっ、あっ……大丈夫か? 何処か怪我を?」


「いいえ、違う……違うの」

 ふるふると首を振った拍子に、セレスティナの目から涙が零れ落ちた。


「貴方が……わたくしのことで、代わりに怒ってくださったことが嬉しくて……でも、涙、出てきて……」

 セレスティナは、ディートヴェルデの胸にすがるように抱きつき、顔を埋めた。


「わわっ、と……ティナ?」

「……」

 無言で顔を伏せるセレスティナの肩が震えている。

 ディートヴェルデはおそるおそる彼女の体に腕を回し、ぎこちない仕草で抱きしめる。


このまま彼女を落ち着かせたいのはやまやまだが、しかし……。

「ヒュ〜」

「かっこいいぞ、坊っちゃん!」

「やれ! そこでキスだ!!」

「今なら押し切れるぞ! 行け!」

 周囲の野次にそろそろ耐え切れなくなりそうだ。


 首を巡らして周囲を見回し、やっぱり居合わせていた男に声をかける。


「ディル! 個室の手配頼む!」


 すると「は〜い、任されましたよっと!」なんて気安い返事が聞こえてきて、人混みの一角から濃い緑の髪の執事がくるりときびすを返す。

 その隣にチョコレート色の髪のメイドを伴っていたのを見て、ディートヴェルデは思わず苦笑する。もちろん苦々しさの割合が9割以上だ。




 間もなくディルから合図を受けて、急遽きゅうきょ用意してもらった店に入った。


 店は女性に人気のカフェテリアで、個室の席も用意されているところだ。


 普段は裕福なマダムを迎え入れているのだろうその個室は、屋敷の応接室によく似ていた。

 大きな窓からさんさんと光が降り注いでいる。しかし瀟洒しょうしゃなレース編みのカーテンが光をやわらげ、繊細な模様の影を落としていた。

 淡い色の壁紙は、ベージュ地に淡い青で植物の葉を複雑に重ねたアカンサス模様が描かれている。

 テーブルは木製で、飴色あめいろに磨かれた天板には薔薇ばら蔓草つるくさ模様を編んだレースのクロスがかかっていた。


 調度品はどれも品の良いものばかりだが、華美過ぎず落ち着いているのがディートヴェルデとしては好印象だ。


 ディートヴェルデはセレスティナをエスコートし、席に座らせた。


 柔らかなクッションのきいたソファだ。

 ハリのある弾力的な革張りソファが主流の貴族界隈には、あまり馴染みのないものである。

 しかしふわりと体を受け止めるような座り心地は、なかなかどうして悪くない。


 セレスティナを二人がけソファに座らせ、ディートヴェルデは横に並べられた一人がけに移ろうとした。

 だが袖を強く引かれ、半ば無理矢理に隣へ座らされる。


「えーと……ティナ? 二人で座ると狭くないか?」

 ディートヴェルデがやんわりと『隣に座るのは……』とたしなめにかかるが、セレスティナが無言でにらんでくるので口を閉ざした。


 今にも泣きそうな目でにらむのは良心が痛むのでやめてほしい……。



 ちらりとディートヴェルデが視線を走らせると、壁際に控えるように立つメイドのクロエが複雑そうな表情でディートヴェルデを見つめ返す。


 てっきり嫌味か非難の言葉が飛んでくるのかと思いきや、クロエはディートヴェルデに向き直り、深々と頭を下げた。


「お嬢様を助けていただき、ありがとうございました」

 微かに震える声は、恐怖と何もできなかった後悔に満ちているように聞こえる。


 もしあの場にセレスティナとクロエしか居なかった場合、あんなに高圧的かつ下品な男に対応できる自信がなかった。

 たとえあの男を下したとしても、周囲から後ろ指をさされたり嘲笑あざわらわれたりする結果に終わったかもしれない。


 そんな状況を収められたのは、ひとえにディートヴェルデのおかげだ。

 男で、この辺境伯領でも権力のある彼がいたからこそ、大事にはなったものの、穏当おんとうに収拾することができた。


 それが分かるからこそ、クロエは深い感謝の念を抱いていた。


 だが当のディートヴェルデは、不思議そうに目をまたたかせて首を傾げた。

「俺が勝手にやったことだ。むしろフォローが遅れて済まなかった」


「いえ、とんでもありません! 旦那様がいらっしゃらなければ、お嬢様がもっと傷付く結果となっていたかもしれません。ですから本当に……本当にありがとうございました」

 クロエは更に深くこうべを垂れる。


 クロエに「旦那様」と呼ばれ、ディートヴェルデは少し驚く。

 だが指摘するのも野暮ヤボなので、軽く首を振ってそれに応えた。


「……あー、その、なんだ……とりあえず、顔を上げてくれ。まずはお茶でも飲んで落ち着こう」


「では私がおれ致します」

 クロエがそう申し出ると、タイミングを見計らったようにディルがワゴンを運んできた。

 店の者に用意させたようだ。


 ディートヴェルデとセレスティナの目の前でアフタヌーンティーの準備が進められていく。


 少々皮肉なことではあるが、お茶を飲むのにちょうどいい時間帯だ。


 鳥かごのような3段のティースタンドには、2人分には多過ぎる量の軽食が載せられている。


 ワゴンに載せられたティーカップの数は4つ。それぞれに料理やお菓子を取り分けるための皿の数も4つ。


 それを横目に確認して、ディートヴェルデは二人に声をかけた。

「クロエ、ディル、二人も一緒に座らないか?」


「えっ!? いえ、私は……」

 クロエは驚き、遠慮の言葉を口にするが、ディルは役得だと言わんばかりの笑顔で席についた。

「それでは遠慮なく」


 執事であるディルが、なんの遠慮もなく主人と同じテーブルに座ったのを見てクロエはさらに驚く。

「ディル様、いったい何を……」


 ディルはにこにこと笑いながら、立ったままのクロエの顔を見上げた。

「ほらクロエちゃんも座りなよ。直々にお誘いいただいたんだから」


「しかし……」

 なおも渋るクロエに、痺れを切らした様子でセレスティナが声をかける。

「座りなさい、クロエ。せっかくの機会ですもの。皆でいただきましょう」


「……わかりました」

 ようやく納得したらしいクロエがストンとソファに腰を下ろす。

 ふかっとした座り心地に一瞬だけ表情に驚きが走るが、すぐに無表情に戻る。

 メイドのマナーとして、あまり表情は出さないようにしているのだろう。しかし、意外と表情に出やすいので見ていて面白い。


 全員が食卓についたのを確認して、ディートヴェルデは手を合わせた。

「いただきます」


 続いて3人も手を合わせる。

「いただきます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る