ep.5-2・街に行こう(2)

 玄関前に回したゴンドラに乗り込むと、エンジン動力のそれはゆっくりと動き出した。操縦しているのは若き執事ディルだ。


 領主の館をようする広い敷地を抜ければ、活気ある街並みが水路の縁を彩る。


 ディートヴェルデたちは商業区画の船着き場にゴンドラを停め、そこから視察を始めることにした。


 まずディートヴェルデがゴンドラを降り、万が一にもセレスティナが転んだり落ちたりしないよう細心の注意を払いながら彼女の下船を手伝う。


 そしてその後ろを当然のごとくクロエがついて来ようとしたのだが、セレスティナの一言でぴしりと固まった。



「クロエはついて来ないで」


「そ、そんな……お嬢様……!」

「今日はディートと2人で行きますわ。貴女はお留守番をしていてちょうだい」

「で、ですが……私はお嬢様の専属メイドです。おそばを離れるわけには……」

「大丈夫ですわ。領都で襲撃を考えるようなお馬鹿さんが居るなど思えませんし、ディートが一緒なら身の安全も保証されるはず」


 どうも買いかぶられているような気がして、ディートヴェルデとしては面映い気分になる。

 確かに男の方が頼りになると思われるのだろうが、ディートヴェルデはしがない貴族だ。他者を警護した経験なんてほとんどない。


 しかし領都ヴェルデンブールはディートヴェルデの庭も同然の場所だ。案内できるのはもちろん、賊が潜みそうなところもおおよそ見当がつくので、そこは任せてもらっても問題ない。


「貴女、こちらに来てから全く休暇を取っていないでしょう? 今日は主人たるわたくしが居ないのですから羽を伸ばしてはいかが?」

「そんなわけにはいきません! 私はお嬢様の影にして手足、片時も離れるわけには……」


「あら、一角獣ユニコーンにでも蹴られたいの」


「……へ?」

 クロエが呆気に取られたような声をあげる。

 セレスティナの発言の意図が分からない。


 そんなクロエの様子を見て、セレスティナはくすくす笑うと、半ば耳打ちするようにクロエに囁いた。


「わたくし、これからデートするつもりなのだけれど……3人目がいると少々不都合なのは、聡明なクロエなら分かりますわよね?」


 その言葉でようやくセレスティナの真意を悟ったのだろう、クロエの顔が赤くなった後に、さーっとあおめる。

「なっ……デ、デ、デ、デ、デートって……お嬢様!?」


 クロエが驚くのも無理はない。


 婚約した貴族の令息令嬢が逢引をすると言ったら、相手の屋敷を訪れるか、劇場に行くか、御茶会や舞踏会のような貴族御用達の社交場に出席するのが普通である。


 近頃は巷で流行している小説の影響で、お忍びの街歩きが令嬢たちの憧れとなり、逢引の選択肢にもなりつつある。

 しかし、そんな街歩きの間に襲撃されたり、使用人の目の無いところで二人が“間違い”を起こしたりしかねないということで、眉をひそめられるというのが現状だ。


 クロエもまた貴族の端くれ——子爵令嬢であり、由緒正しき公爵家に仕える使用人である。

 婚約しているとはいえ、辺境伯家の次男なんて胡乱な立場の男を、大切なお嬢様と二人きりになんてさせられない。


 キッとディートヴェルデを睨みつけ、威嚇いかくしてくるクロエを見かねて、今まで空気に徹していたディルが動いた。


 ちょいちょいとクロエの肩をつつき、振り向いたところへ一言二言ささやく。

 それを聞いてクロエは微妙な顔をしたものの、こくりと小さく頷いた。


「……承知いたしました。私は同行を取りやめ、本日は休暇をいただこうと思います」

 渋々……本当に渋々といった様子でクロエはそう告げた。

 先程までの抵抗が嘘だったかのようにゴンドラへ戻り、ちょこんと座席に座る。


 その様子を見て、セレスティナは「ふふん」と笑うと、ディートヴェルデの腕をとり、くるりと振り向いた。

 街並みを睥睨へいげいするように胸を張る。


「さあ、参りましょう」




 領都ヴェルデンブールには植物が至るところに生えている。

 壁に這う蔦や無造作に並べられた鉢植え、道端の土を割り、あるいは石畳の間から顔を出す草花。道路を舗装する石畳の隙間を埋める緑も模様かと思いきや、びっしりと生えた苔なのである。

 それなのに荒廃した感じはなく、生き生きとした自然にあふれる街並みは、セレスティナの目には新鮮に映った。


 ゴンドラから出て、自分の足で歩くからこそ分かることもある。


 この街の空気は水の匂いが薄い。

 海から離れているのはもちろん理由の一つだろう。皇都ほど水路が張り巡らされていないのも理由になるかもしれない。

 だが、それ以上に緑の匂いが色濃く漂っているような気がした。 街の中だというのに、庭園か森の中にいるかのような心地がする。


 潔癖なまでに清潔かつ整然とした皇都と比べてなんだかほっとするような雰囲気だ。


 そんなことを考えながらセレスティナはディートヴェルデに寄り添うようにして歩みを進めた。

 彼も少しは学んだのか、きちんとセレスティナに腕を貸してくれている。



 そんな二人を街の人々は物珍しそうに見ていた。

 彼らのささやきに耳をそばだてると、『あの坊っちゃんが……』『あれが噂の婚約者?』『すごく綺麗なひとね』『ひょっとして騙されてるんじゃないかしら』といった声が聞かれる。


 やはりディートヴェルデが女性を伴って出かけるのはとても珍しいことのようだ。


 セレスティナはそんな好奇の視線など歯牙にもかけない。

 人々からの視線など皇都で浴び慣れているからだ。好奇も羨望も詮索も嫉妬も、果ては侮蔑の視線だって常日頃から向けられてきたのだ。

 周囲でひそひそと噂されることくらいは慣れている。


 一方でディートヴェルデはというと、表情こそ平生を取り繕っているものの、少し申し訳なさそうに背中が丸まってきている。

 セレスティナの心情など知らず、「俺のせいで……」なんて勝手に罪悪感を抱いているのだろう。


(なんておこがましいのかしら)

 セレスティナは不満そうに鼻を鳴らすと、ばしんっとディートヴェルデの背中を叩いた。


「堂々と歩きなさいな。貴方がそうしたって、周囲をつけ上がらせるだけですわ」

「だけど……」

「次期辺境伯なら胸を張って然るべきですわ。それに貴方は今、かつて皇太子もついていた立場に立ったのよ。わたくしの婚約者という唯一無二の栄光ある立場に」

 セレスティナの言葉にディートヴェルデは瞠目し、しぱしぱと目を瞬かせた。


 確かにセレスティナの言う通りだ。

 そんな思いが湧き上がってくる。


「……そうだな」

 ディートヴェルデはそう呟くと、気を引き締めるように顎を引き、背筋を伸ばして、周囲を見回した。

 そこには変わらず好奇心や嫉妬の混じった眼差しがあったが、不思議と先ほどまでのような居心地の悪さは感じなかった。


「さあ、行きますわよ」

 そう言ってセレスティナはディートヴェルデの腕を引く。

 急に引っ張られてディートヴェルデは少しよろめいたものの、すぐに体勢を立て直すと、そのままセレスティナの歩幅に合わせて歩き出した。

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