ep.4-3・ディートの庭園(3)
「……それにしても、本当に美味しいですわね、これ」
桃を食べつつセレスティナが感心したようにつぶやく。
「そのまま出荷ができないのなら加工するのはどうかしら。ジャム……いえ、コンポートが良いかしら。それともここでスイーツにしてしまうのも……シャーベットやゼリー寄せも悪くないですわね」
セレスティナの思考は完全に桃をどう商品化するかでいっぱいのようだ。
先ほどまでの悲壮感はどこかへ行ってしまったらしい。すっかりいつも通りになった彼女にほっとして、ディートヴェルデは口元を緩めた。
「やっぱりティナはそうやってるのが一番だな」
ディートヴェルデの一言にセレスティナはハッとする。商売になる気配を感じて、つい夢中になってしまった。
恥ずかしそうに頬を染めつつ、こほんと咳払いをする。
「こんなに美味しいのに、どうして売り物にしないのかしら」
「既に売り物にはしてるけど、出荷するのはまだ硬いうちだからなぁ……」
「つまり持ちうるポテンシャルを発揮できていないってことでしょう? それは勿体無いと思わなくて? 素材がいいのですから、もっと商品価値を上げていけるはずですわ」
そう言って再び考え込むセレスティナ。ディートヴェルデも彼女が言うことはもっともだと思う。
確かにこれまでは原材料を
パンひとつ取っても、皇都で作られた白パンより、辺境伯領で作ったバゲットの方が、小麦の香りが豊かでカリッ、もちっと食感も良い。
生産者の欲目もあるかもしれないが、よほど腕の良い料理人でなければ皇都で食べられるものは、辺境伯領ほど美味しいとは思わなかった。
「加工品か……」
辺境伯領でも果物のジャムや砂糖漬け、それからベーコンやソーセージといった加工食品は作っている。
だがそれは庶民の保存食という側面が強いし、皇都で売ろうにもブランド力が無いのであまり売れないのだ。
「辺境伯領の作物を加工して、わたくしのブランドで出してはどうかしら。近頃は農薬や保存薬なんかを使わない“自然”な食品が皇都で流行りつつありますの。そこに便乗する形で市場に参入する算段ですわ」
「“自然”かぁ……生長促進魔法は使っても大丈夫か?」
「もっともらしい理由をつけて『味が落ちる』なんて評する人もいましたけれど、マンドラゴラにならない限りは構いませんわ。だってその人、魔法を使ったものと使ってないものの区別もついていませんでしたもの」
「へ、へえ……」
どうやって調べたのか聞くのが怖かったので敢えて深堀りはしなかったが、やはり魔法も使わないのが良いと考える者もいるらしい。
確かに生長促進魔法は植物の育つ時間を短縮し、より多くの収穫を得ることができるが、魔力量を間違えると大きさに対して味の伴わない粗悪品ができたり、魔力を蓄え過ぎてマンドラゴラというモンスターになってしまうケースもある。
ある程度コントロールに
魔法が使えない、あるいは属性が噛み合わない者向けに、魔力配合の肥料も売ってあるが、これもなかなか調節が難しい。
しかしそれほど手間をかけずに植物がよく育つことから素人に好まれやすい。そうして出来上がった大味な野菜や果物を、美食家と呼ばれる類の人間が嫌煙するのである。
そんな理由もあって、生長促進魔法のイメージはとても良いとは言えなかった。
だがディートヴェルデは生命属性の魔法に長ける“緑の指”である。この試験場を作り上げていることからも分かる通り、その魔法の扱いはお手のものだ。
そしてこの辺境伯領に住むのは、下手するとそこらの貴族より代を重ねているプロフェッショナル農家である。
生長促進魔法や農薬の量を見誤るわけがない。
つまり、魔法が使えるなら皇都の人間が言うところの“自然”な食品は生産できる。
はて……、とディートヴェルデは思考を巡らせた。
この事業に回せそうな品目とそれを生産している農家を頭の中でピックアップしていく。
貴族向けの農場をいくつかラ・メール商会に卸すためのものにしても良いかもしれない。
どうせ貴族向けに輸出しても余って捨てられるのがオチだ。それくらいなら有効活用した方が良いだろう。
セレスティナの言った通り、彼女の——ラ・メール商会のブランドなら、売り出すまでの売り込みや流通ルートの確立といった手間を省くことができる。そうすれば商品開発と販売に専念することもできるだろう。
悪くない。
いや、とてもいい条件だ。
乗らない手はない。
ディートヴェルデのやることといえば農家の説得になるが、そこは辺境伯としての信用を武器に戦っていくしかない。
生産物に誇りとこだわりを持つ農家だって少なくない。
さらにこれまで作ってきたものを守り、これまでと同じように流通させるのが正解だと信じる保守的な農家だっている。
そんな彼らに新しい方法を提案しこの事業に加担してもらうのはなかなかの難題ではあるが、不可能ではないはずだ。
「ティナ、この商売イケるぞ……たぶん」
「どうして自信がございませんの? わたくしが計画してますのよ。完璧に決まっているでしょう。……けれど、市場調査は必要になるでしょうね。良ければ領地視察もしたいわ」
「分かった。案内する。日程は……」
「それは道すがら話しましょう。もう日も傾いてきてましてよ」
セレスティナの言うとおり、時間は夕方に差し掛かろうとしていた。
温室の中は常に一定の温度を保っているし、ガラス張りのおかげで明るいので分かりにくいが、外に出ると温度差や風でびっくりしてしまうかもしれない。
ディートヴェルデは先に温室を出て、それから執事のようにセレスティナのために扉を開いた。
「あら、ありがとう」
「これくらい礼には及ばない」
にこりと微笑むセレスティナにディートヴェルデは軽く返事をして、それから二人は肩を並べて屋敷に向かって歩き出した。
屋敷に帰ったらお茶の時間だろうか。桃を摘んだからお茶請けは軽いものにしてもらおう。
ディートヴェルデがそんなことを考えながら歩いていると、ちょんちょんと腕をつつかれた。
振り返ると、セレスティナが不機嫌そうな顔でディートヴェルデを睨んでいる。
「どうした?」
呑気に尋ねるディートヴェルデに、「はぁ……」とセレスティナは深いため息をついた。
「いいこと、女性と歩くときはエスコートしなさい。紳士としての常識ですわよ」
言われて初めて気付く。そうか隣に令嬢を連れているならエスコートして然るべきだ。
ディートヴェルデには近しい令嬢がいないため気が付かなかった。慣れていないとも言う。
年の近い女の子といえば親戚か使用人くらいのものだし、皇都や他の領地の令嬢からは『田舎者』と見下されて相手にされなかったので、いまいちどう振る舞えばいいのか分からないのだ。
「……すまない」
エスコートするときはどうするんだったかとディートヴェルデがまごまごしていると、セレスティナが彼の右腕を取り、するりと腕を組む。
「こういうところも覚えていかなくては。いずれ わたくしをエスコートしなければなりませんのよ。どうかわたくし恥をかかせないでくださいね」
「わ、わかった……」
袖越しとはいえ女性の細腕が触れているという事実に、ディートヴェルデは柄にもなく緊張していた。
(あら、案外
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