ep.4-2・ディートの庭園(2)

辺境伯領ここで商売を致しますわ!」



「……へ?」


 きょとんとした顔のディートヴェルデに、セレスティナは熱弁を振るう。


「だから商売を致しますの。わたくしとて、いつまでも暇を持て余すのは本意ではありませんわ。お義母かあさまも『好きなことをすれば良い』とおっしゃっていましたし、せっかくですから事業をこちらにも広げようと思いまして」


「確か皇都でも事業を持ってたんだっけか?」

「ええ。流行りのドレスや輸入品の化粧品が中心でしたわ」

 セレスティナの言葉を、ディートヴェルデは間の抜けた顔で聞くことしかできない。


「ええと……辺境伯領ここでやるってことは、辺境伯領ウチで材料を調達して、なおかつ販路も開拓すると……?」


「そうなるでしょうね」

 楽天的ともとれるセレスティナの発言に、ディートヴェルデは懸念を抱く。


 この辺境伯領で暮らしているのはほとんど平民なうえ、ドレスを着るような機会もほとんどない。さらにドレスはもちろんのこと、輸入品の化粧品なんて高価なので、平民にとって簡単には手が出ないはず。

 そんな事業を辺境伯領でやっても成功するとは思えない。


 ディートヴェルデのそんな微妙な表情を読み取ったのか、セレスティナは小さく首を振って否定した。


「あら、皇都と全く同じビジネスをするつもりはありませんわよ。せっかく辺境伯領まで来たのだもの。ここで原材料を調達して皇都や外国向けの商品を作るつもりですわ。領内には皇都の流行の品——平民向けのものをおろすという方向で考えていますの」


 滔々とうとうと具体的なビジネスプランを語るセレスティナの瞳は生き生きとしている。

 パーティーで愚かな皇太子を見つめていた気冷めた瞳でも、辺境伯領行きのゴンドラの中で見せた怒りと不安の入り混じった瞳でもない。それは初めて見る、セレスティナの年相応の輝きに満ちた瞳だった。


「もちろん利益は辺境伯領に還元するつもりですわ。ですから……」

「わかった。俺も協力する」

 セレスティナの言葉を遮って、ディートヴェルデは力強く頷いた。


「……えっ?」

 何故か戸惑っているセレスティナを他所に、ディートヴェルデは言葉を続ける。


「ティナがやりたいことは可能な範囲で、でも全力で協力する。ティナがこんなところで燻ったままなのは勿体無い。それにティナが辺境伯領ウチの物を取り扱ってくれるなら、それ以上に心強いことはないよ。俺には商売を思い付くだけの頭もないし、物を売りに行くだけのコネもない。むしろティナの手を借りたいと思ってた」


 情けない話だが、ディートヴェルデに商才というものは無いに等しい。

 さすがに安く買い叩かれたり、ぼったくりに遭ったりしないだけの金銭感覚や危機管理能力はあるが、自分ではどうしようもない部分が多過ぎる。


 だが、自分で事業を回せるだけの商才があり、皇国内外問わず広い人脈を持つセレスティナが協力してくれるなら、そんなディートヴェルデの欠点を補って余りあるほどの強みになってくれるだろう。


「頼りないと思われるだろうけど、俺はティナの婚約者だ。甲斐かいしょうをみせるのは当然のことだろ?」


 セレスティナは呆気にとられたような顔をしていたが、次第に頬を染めていく。


「あなたって人は……」

「ん?」

「あなたは『女がしゃしゃり出るなんて生意気だ』なんて思いませんのね」


「?」

 何故ここでその台詞が出てくるのか理解できず、ディートヴェルデは眉をひそめる。


「それ、誰に言われたんだ? まさか殿下……?」

「……」

 セレスティナは答えない。だが沈黙が正解だと告げている。


「……はぁ」

 ディートヴェルデはため息をついてガシガシと頭を掻いた。


 いかにも皇太子殿下の言いそうなことだ。

 皇国それ自体が保守的、もとい旧時代的な価値観に染まっている節があるが、皇太子ルシュリエディトはそんな保守派の家臣たちに甘やかされて育ったような皇族らしい皇族である。


 更に言えば、彼はかなりプライドが高く、人の手を借りることを良しとしない……というより、その手柄を譲ってくれない者や自分より賞賛を集める者をひどく嫌う。蹴落とすか、抑圧するか、あるいは徹底的に無視し続けるか——とにかく何かしらの形で相手をおとしめようとするのである。


 それが女性なら顕著だ。それは優秀とうたわれる妹姫レヴィアテレーズ皇女がいるせいかもしれないが……。


 まさか将来ともに国を治めることになる皇太子妃——といってもまだ婚約者だが——に対してもそんなことをしていたとは……。

 皇族としての器に疑義を問われるだけはある。


 実際、家の権力を女性が掌握することも珍しくはない。平民の言葉で言う“かかあ天下”というやつだ。

 外に働きに出て、家のことをロクにやらない旦那より、家事はもちろん家の財政を把握してやりくりする女性ほど畏怖されるものはない。貴族にだって“恐妻家”がいるくらいだ。


 きっと皇太子は『女に助けられるなんて』とか『俺を差し置いて国政に口を出すなんて』とか、くだらないプライドのためにセレスティナを抑圧していたのだろう。

 それでセレスティナはこんなことを言い出したに違いない。



「俺はそんなこと言わないよ。農村ってのは基本的に“かかあ天下”でさ、男よりも女の方がよっぽど強いもんなんだ。俺の父さんだって母さんには頭が上がらないくらいだし」


 そう、あの“西の狸”ことサヴィニアック辺境伯も妻ミレーヌに対してはデレデレしてばかりのただのおじさんになってしまう。

 一方、普段はほわほわしているミレーヌだが、その実態は眠れるドラゴンそのもの。怒らせると非常に大変なことになる。それもあり、辺境伯は全く頭が上がらないというわけだ。


 そしてそのヘタレっぷりをしっかり継いでしまったのがディートヴェルデである。

 幼い頃から『嫁の尻に敷かれてそう』と評されていたし、彼自身も年齢が長じるにつれて『嫁の尻に敷かれそう』と自覚するに至っている。


 そのため、ディートヴェルデにはセレスティナに対して『女のくせに……』なんてあなどる心は全く芽生えなかった。

 むしろ自分は領地を維持する努力はしつつも、ティナの援護に回ったほうが良いのではないかと思ったほどだ。


「俺はほら……こんなだろ? ティナほどはっきり物を言う勇気はないし、そんな革新的なことを考えられるほど頭も柔らかくない。ティナの方がよっぽど優秀だ。だからさ、ティナが思うようにやればいいと思う」


「……ありがとうございます」

 セレスティナは静かに微笑む。くるりとディートヴェルデに背を向け、そっとハンカチを取り出した。


 その様子を見てみぬふりをすることにして、ディートヴェルデはザクザクと土を踏みしめ、果樹園に踏み込む。


 今の旬といえば、畑に植えているメロンもそうだろうが、あれは人を慰めるには少し豪奢が過ぎる。


 枝がしなるほどたわわに実をつけたそれに目をつけ、ディートヴェルデはその果実を手に取った。


 またザクザクと土を踏んで温室の一角に向かう。

 そこは簡易な炊事場のようになっており、蛇口とナイフ類が一式と数は少ないが皿が置いてある。一応コンロと鍋もあるが、それほど使う機会は多くない。


 ディートヴェルデはペティナイフを手にして果実の薄皮を向き、一口大に切り分けた。できるだけ綺麗な皿を選び取って並べ、手を汚さず食べられるようにピックを刺す。


 生粋きっすいのお嬢様に差し出していいか分からないが、何もしないという選択肢はない。


「これ、食べてみな」

「……え?」

 セレスティナは差し出された皿を前に困惑する。


 白くみずみずしい果肉のそれは、芳しい香りを立たせていた。その匂いから桃なのだろうと分かる。


 ディートヴェルデの意図が分からず戸惑うものの、彼が差し出すのをやめないので、セレスティナは仕方なくピックを手にした。

 おそるおそる口へと運び、その小さな口に含む。


 瞬間、彼女の目が見開かれた。

「美味しい……」


 まるで舌の上で溶けるかのようだった。

 柔らかな果肉は噛み締めると果汁を溢れさせて、ほどけるように消えてしまう。

 皇都で食べていた桃と同じものとは思えない。


「柔らかくて傷みやすいから、ここまで熟したのを出荷するのは難しいけど、地元だと最大限熟してから食べるんだ。……ほら、前に硬い桃しか食べたことないって言ってただろ?」


 ディートヴェルデの言葉にセレスティナは「ふふふ」と笑う。

 慰めているつもりなら、なんて不器用なのだろう。しかし、そんな彼の優しさが心地良い。


「……ありがとう」

 そう呟いて、セレスティナは再び果肉を口に運んだ。


 甘くかんばしい味覚がじんわりと広がる。今まで食べてきたどんな果物よりもそれは美味しくて、そしてなんだか優しいような味わいがした。

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