ep.4-1・ディートの庭園
「……退屈ですわ」
辺境伯領に滞在して5日が経った。
新天地に来てまだほんの数日とはいえ、セレスティナは既に暇を持て余していた。
「よろしいのでは? 良い骨休めになると思うのですが……」
専属使用人のクロエはそう言うが、セレスティナはもともと暇を持て余すのが嫌いなタイプだ。
皇都にいた頃は、学院に通っていたこともあり、勉強に時間を割いていた。
そして皇太子妃としての教育のため礼儀作法やダンス、学院では教わらない他国の教養などを学ばなければならなかった。
さらに社交のためにサロンに顔を出したり、夜会の準備をしたり、ドレスや装飾品を買い求めたり——。
毎日が忙しく、それに慣れきっていたセレスティナには今の状況はとても耐えられるものではなかった。
確かにセレスティナも、はじめ3日ほどは、休暇ができたと喜んでいた。
だが、だんだんと何もしないことへの不安と焦燥が募ってきたのである。
何かすることはないかと義母ミレーヌにそれとなく尋ねてみたのだが——。
「あら、ここでは好きなことをすればいいのよぉ。貴女ほどしっかり教育を受けた娘に改めて家庭教師を雇ったって、きっと皇都で教わったことばかりでつまらないでしょう。それに貴女はまだ来たばかりなのだから、まずは体を休めてちょうだいね」
言外に何もしなくて良いと告げられてしまった。
それでも何かしたいという意志を伝えると、ミレーヌはふわりと笑みを浮かべる。
「それじゃあ、ディートくんに聞いてみたらどうかしら。お昼には屋敷に戻ってくるはずよ」
そうして昼食を摂りに戻ってきたディートヴェルデへ不満を叩きつけたわけである。
「このわたくしを退屈なまま放置するなんて何事ですか!」
もちろんディートヴェルデには
良かれと思って数日そっとしておいたのに、まさか怒られるとは思っていなかったのだ。
そっとしておいたとは言っても食事こそ一緒に摂っていたし、お茶の時間だって一緒に過ごしている。
だが、それ以外で部屋を訪ねたり、話しかけたりということはなかった。
確かにセレスティナはディートヴェルデの婚約者として連れて来られたので、今後 辺境伯夫人になることを考えれば、領内を歩き回って視察したり、街の人間と交流を持つのも必要かもしれない。
しかしそれはもう少し後のことだと思っていた。
まだ屋敷内のことだって把握していないだろうに、外に出すのは不安だ。
言葉を尽くして説明しつつ、ディートヴェルデは考え込む。
果たして彼女の行動を制限するのは正しいことだろうか。
だが、生まれも育ちも皇都という生え抜きのお嬢様を辺境伯領に解き放つ方が危ない気がしてならないのだ。
その土地柄、辺境伯領に住むのは圧倒的に平民が多い。
辺境伯家の他に爵位を持つ貴族がいるとしたら、それは辺境伯家の縁類か国境に展開している護国騎士団の騎士だろう。
そして、平民の中には貴族を敵視する者が少なからずいるのだ。
血税を搾り取り、農作畜産を下賎な仕事と見下し、それでいて生産されたものを享受する……そんなイメージを築き上げてきた皇族や皇都の貴族には特に厳しい。
辺境伯家はずっと昔からこの土地を治め、皇都からのめちゃくちゃな要求を跳ね除けてきたので、まだ領民からの信頼があり、この土地に在ることを許されている。
つまり、セレスティナを外へ出して、万が一のことがあると困るのである。
だがセレスティナが暇を持て余しているのは事実であり、現に不満をぶつけられている状況だ。
うんうんとディートヴェルデが考え込んでいると、通りがかったミレーヌが何でもないことのように言った。
「あら、ディートくんのお庭に連れていけばいいじゃない」
「庭……庭園があるんですの?」
耳聡く反応したセレスティナがディートヴェルデの顔を見上げた。
「まあ……兄さんのと違って、俺の庭は見てもあんまり面白くないとは思うが……」
「良くってよ。案内してちょうだい」
セレスティナにぐいぐいと腕を引っ張られて、ディートヴェルデはよろけながら後を追う。
ミレーヌはそれを見て楽しげに微笑むのだった。
***
ディートヴェルデがセレスティナを連れてやってきたのは、広い庭の一角にある大きな温室だった。
だが貴族の邸宅にあるような円形の屋根に曲線を描く壁、鳥籠を思わせる
直線的なフレームに透明なガラスが嵌め込まれた、まさにガラスの箱と言うべき代物だ。
その中も庭園などではなく、直線的に野菜や果樹が並べて植えてあり、まるで畑のような光景が広がっている。
「ようこそ、俺の庭園へ」
ディートヴェルデが苦笑気味に紹介する。
「庭園って言ってもこんなところしかないから、紹介するつもりはなかったんだけど……」
庭園といえば、綺麗に刈り込まれた木々に色とりどりの花々、池に小川、東屋などが美しく配置されているものだ。
だがセレスティナの目の前に広がるのは、そんな洗練されたものとは程遠い。どんなにかガッカリしただろうかと不安に思ったのだが——。
「すごい……」
セレスティナは予想に反して目を輝かせていた。
「ここは何をするところなのかしら。ただの畑ではないようですけれど」
「ああ、ここはいわゆる試験場だよ。野菜や果物の品種改良や栽培方法の研究なんかをしてる」
「貴方が自らしていらっしゃるの?」
セレスティナの驚きように、ついディートヴェルデの口元に笑みがのぼる。こんなに興味を持ってもらえるとは思っていなかった。
「ああ。辺境伯領は農業が生命線だからな。それにここでの生産量が皇国全体の食糧事情に直結する。だからちょっとでも育てやすいものや味の良いものを作りたくて始めたんだ」
ディートヴェルデとしては、少々照れくさいものはあるが、こうやって誰かに自分のしていることを話すのは初めてかもしれない。
それをセレスティナに聞いてもらえることが純粋に嬉しい。
「素晴らしい取り組みですわ。なのにどうして貴方は外にアピールをしないの?」
「アピール……?」
ぴんときていなさそうな顔をするディートヴェルデに、セレスティナは「はぁ……」とため息をつく。
「
ある国で例えるなら文部科学大臣と呼ばれる役職に当たる。
ある国で例えるなら厚生労働大臣といったところか。
ディートヴェルデの手がける植物の品種改良は、純粋に学問的な価値のある事業であり、その結果もたらされるだろう食糧事情の改善や新たな薬品の開発は国民の健康に変化をもたらすと考えられる。
それゆえ
ディートヴェルデは、セレスティナに言われてはじめてそんな制度があることを知った。
父親である辺境伯もだが、そもそも国政をあまり信用していないところがあるので選択肢に挙がらなかったとも言える。
「仕方がないからわたくしが申請してあげましょうか? どうせお金の出処は
「えっ!? いや、いいよ……そんなことに手間かけさせるわけにはいかないし……」
ディートヴェルデが遠慮するのを見て、セレスティナは何処か不満そうに頬を膨らませる。
「それくらい手間にもならなくってよ。わたくしも幾つか申請を出すつもりですから、一つくらい増えたところで問題ありませんわ」
じゃあ、それなら……と言いかけて、ディートヴェルデは引っかかりを覚えた。
「ティナの申請したいことって……?」
ディートヴェルデが尋ねると、セレスティナは、よくぞ聞いてくれましたわ!とばかりに胸を張った。
「わたくし、決めましたの」
ふふんと鼻を鳴らし、セレスティナはディートヴェルデを真っ向から見つめる。
「
——————————
【備考】
ソルモンテーユ皇国は頂点に皇帝を戴き11人の大臣(通例○○卿と称される)により国政が運営され、評議会によって審議されています。
各卿の名称および職務は以下のとおりになります。
・
宰相にあたる。皇帝が政をするとき補佐をする。例えるなら官房長官。
・
皇家の身の周りの世話や後宮の管理等を行う。
・
財務と徴税(税の回収)を司る。経済の流れを調整する役目も持っている。例えるなら財務大臣。
・
戸籍管理を担当する。それに関連して徴税(国税調査や税率の設定)、徴兵を担当するのも
・
国内の儀式典礼、賓客の接待を司る。宗教関連の手配や交渉もここが行う。
・
司法を司る。また法制定もここが担当。例えるなら法務大臣。
・
国防を司る。皇国の保有する軍・騎士団のほとんどを掌握する。例えるなら国防大臣。
・
他国との交渉や国外の情勢を探る。例えるなら外務大臣。
・
教育について制定し、各分野の進歩を目的に研究を行う機関の長を務める。例えるなら文部科学大臣。
・
国土の管理と街道・防壁などインフラを統括する。例えるなら国土交通大臣。
・
国の医療や公衆衛生、福祉を司る。例えるなら厚生労働大臣。
・評議会
国政を審査する機関。新たなる法律の制定・撤廃、国家予算を用いる事業の是非などを審査し適用を認可する。
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