ep.3-3・帰省と思惑と(3)

「サンクトレナール家ご令嬢セレスティナ様がお越しになりました」


 談話室に現れたセレスティナは先ほどまでの旅装とは異なるドレスに身を包んでいた。


 緑を基調とした色合いは辺境伯家のイメージに合わせてのものだろう。


 皇都で流行っているようならフリルをふんだんに使い、異なる生地を何重にも乗せた華美なドレスではなく、白のドレスに濃緑のベルベットを1枚重ねたようなシンプルなスタイルだ。

 しかし布を手繰って作ったプリーツはドレスに繊細な輪郭を与え、控えめに裾を飾るレースはさりげなく優美な雰囲気を演出する。まだ昼間だからか、首元まできっちりと覆っているので、色気よりも凛とした雰囲気がより強くかもし出されていた。



「お待たせしてしまい、誠に申し訳ございません。サンクトレナール家の長女セレスティナと申します。どうぞよしなに」


 スカート部分をつまんで軽く持ち上げると、片足を引き、軽く膝を曲げてみせる。

 淑女の行う挨拶、カーテシーだ。

 その間もセレスティナは背筋を真っ直ぐに伸ばし、それでいて足元がふらつくこともない。

 まるでお手本のような淑女の礼である。



 それを見てミレーヌは「まあ!」と感心したように声を上げた。

「とても優雅なカーテシーね。素敵だわぁ!」

「ありがとうございます」


 ハッケネスは先ほどからの不機嫌そうな様子を隠さず、セレスティナに着席を促す。

「座ってくれたまえ」


「失礼いたします」

 セレスティナはふわりと椅子に腰掛け、ビスクドールのようにぴんと姿勢良く座る。


 初めて一緒にお茶を飲んだ時も思ったが、やはり彼女は非の打ち所の無い完璧な令嬢だ。

 ディートヴェルデは感心する。

 社交界でも持てはやされ、同性ながら令嬢たちにも大変よく好かれていた理由がよく分かる。



 セレスティナが座ったのを確認して、紅茶と軽食が用意される。

 今回は正式な対面という名目があるからか、本格的なアフタヌーンティーの様式を取るようだ。


(とはいえ、これは半分嫌がらせに近いだろ……)

 ディートヴェルデは父の底意地の悪さに辟易へきえきする。


 下段のサンドイッチはまだいい。食事の時間に食べるような具材がたっぷり入ったクラブサンドではなく、野菜をメインとした軽く摘めるようなものだ。


 中段のスコーンも基本を踏襲していると言える。

 辺境伯領で育った小麦を使っているので香りが違う。さらに辺境伯領の広大な土地で奔放に育った牛から取れたミルクは、クロテッドクリームに加工してなお後味がスッと軽く、爽やかだ。これは自慢できる。


 問題は上段。基本に従うならペイストリーを置く段である。

 いつものお茶会ならば、どっしりと濃厚なバターの香るパウンドケーキやサクリと軽い食感のパイ、ひんやりと冷たいムースなどを並べている。


 ところが今回上段を飾るのは、いかにもパイ生地がカリッと硬そうなミルフィーユに、クリームが溢れそうなくらいたっぷり詰まったシュークリーム、極めつけは飾り切りされたフルーツだ。


 どれも食べづらいために敬遠されるメニューである。


 ミルフィーユは勢い余ってフォークと皿が衝突する、ミルフィーユそれ自体を弾き飛ばしてしまうなんて事故を起こしがちだ。


 シュークリームは扱いを間違えればクリームが垂れてみっともないし、最悪ドレスを汚してしまうかもしれない。


 そして生のフルーツは、純粋にフォークとナイフのみで食べるのが難しい。かといって手を使い、かぶりつくような真似は貴族としてどうかと思われる。

 たとえ手を使っても如何に品位を崩さず食べられるかが問われる。


 そんなわけでディートヴェルデは気遣わしげにセレスティナを盗み見たのだが、彼女はいかにも堂々とした態度を崩さなかった。

 「まぁ、美味しそうですわ!」

なんて歓声さえあげてみせる。


(この分なら心配要らないかな……)

 ディートヴェルデはほっとしたようにすっと手を合わせた。そして父母にならい口にする。

「いただきます」



 そうしてなごやかな(?)お茶会が始まるかと思われたが——。

「ねぇ、聞かせてくださる? セレスティナさんはディートくんの何処が気に入ったのかしら?」

 ミレーヌがしょぱなからぶっこんできた。


「ん"っ!……ケホッ、ケホッ」

 ディートヴェルデは思わず口に含んでいた紅茶を吹き出しかける。

 危ないところだった。なんとか寸前で堪えて飲み込んだものの、思い切りむせ込んでしまった。


 いきなり不調法ぶちょうほうしかけたディートヴェルデをハッケネスがにらむ。


 セレスティナは少し困ったように微笑み、ディートヴェルデの方へ振り向いた。


 いかにも困ったという顔をしているが、作っているな……とディートヴェルデは察した。貴族の子女から言い寄られた場面や良からぬ誘いを受けた場面で、お断りするときに浮かべる表情だ。

 だが心なしか目元は柔らかく視線は温かいように感じる。


 セレスティナは再び前を向くと、ミレーヌへ答えた。

「皇都からこちらへ参るまでの5日間ディートと一緒に過ごしてきました。彼はわたくしはもちろん従者にも優しくしてくださいましたわ。気遣いも前の婚約者と比べれば段違いで……」


 セレスティナがディートヴェルデを“ディート”と呼んだのを聞いて、ミレーヌが「きゃっ」と黄色い声を上げる。

「そのお話、詳しく聞きたいわぁ」


 前のめりになるミレーヌをハッケネスがやんわりとたしなめた。ディートヴェルデに対する態度とは大違いだ。

「そこまでにしないか、ミレーヌ」

「でもぉ……」

「我々はまだ名乗ってもいないのだぞ」

 そこまで言われてハッと気付いたのか、ミレーヌは口を手で押さえて頬を染めた。

「あら、ごめんなさい。つい、気がいてしまってぇ……」



 場の空気を引き締めようと、ハッケネスが咳払いする。そして仕切り直すようにセレスティナの方へ体ごと向き直った。


「紹介が遅れてしまったな。既に知っているだろうが、私がサヴィニアック辺境伯ハッケネスだ。こちらは妻のミレーヌ」

「よろしくねぇ」

 堅苦しい口調のハッケネスに対して、ミレーヌはあくまでふわふわと軽い調子で返す。


「御丁寧にありがとうございます」

 セレスティナは軽く会釈する。


「改めまして、サンクトレナール家長女セレスティナと申します。ふつつか者ではございますが、どうかこの家に名を連ねることをお許しいただきたく参りました」


「それでは本当に我が家に輿こしれすると……?」

 いぶかしげな顔をするハッケネスに、セレスティナは堂々と答える。

「はい」

 端的だが、疑いようもない肯定の言葉だった。


 その言葉を受けてハッケネスが苦虫を噛み潰したような顔をする。


 きっとここで少しでも躊躇ためらったり嫌がるような素振りを見せるようなら、追い出そうと画策していたに違いない。


 ところがセレスティナは考える素振りもなく即答してみせた。初めからそのつもりだったと言わんばかりに。

 それはもう迷いのない、いっそ清々しいほどの潔さだった。


 これにはディートヴェルデも驚いてしまう。


 ゴンドラで旅をしている時も、特にこの婚約のことを不安がっていた様子は無かったが、まさかそこまで覚悟を決めて乗り込んできているのだとは思わなかった。



「どうぞ辺境伯の妻としての務め、ご指導ご鞭撻べんたつのほど、どうぞよろしくお願い致します」



 そう申し出られては流石の“西の狸”も嫌とは言えなかった。

 公爵家の令嬢がこうも下手に出るとは思っていなかったのである。


 てっきり父——“皇都の狐”のように嫌味ったらしく高慢な様子の少女を想像していた。

 しかしまだ猫を被っている可能性があるとはいえ、セレスティナは慎ましくも芯の強い、理想の淑女然としていた。


 ハッケネスも社交界の噂として、セレスティナの評判こそ聞いていたが、なるほど実物を目にすれば信じざるを得ない。


 そして、その地位も美貌も気品も兼ね備えた“理想の淑女”との呼び声高い令嬢が、皇太子の無茶苦茶な命令が元とはいえ、嫁探しにも困るような息子と婚約させられた。

 これを好機と見るのは当然のことだった。



 “西の狸”とあだ名されるハッケネスにとって“皇都の狐”ことサンクトレナール公ギュスターヴは気に入らない相手だ。

 しかし彼の持つ影響力——国内最大の商業組織であるラ・メール商会の頭領であること、皇国内外問わず人脈が広いことは無視できない。

 生産業を主とする辺境伯領では、いかに販路を開拓し安定させるかが領民たちを養う上での最重要課題である。


 だからといってギュスターヴに擦り寄るのは辺境伯の矜持が許さない。

 そのため皇国における食料生産の大部分を辺境伯領が担っていることを盾に——つまり、『貴族含め国民を飢えさせたくなければ……』と皇帝および大臣らを脅すことで影響力を獲得し保ってきた。


 だが今回、セレスティナとディートヴェルデの婚約により、サンクトレナール公爵家とサヴィニアック辺境伯家の結びつきができれば、より影響力を増すことも可能だろう。


 こうもハッケネスが皇国における影響力を求める理由は実にささやかなものだ。

 辺境伯領を保全することである。



 この広大かつ豊かで、他国へのアクセスもしやすい領土を狙う者は少なくない。


 例えば交易路を開拓しようとする者——まだこれくらいなら可愛いものだ。


 例えば新たな街を作り、その長の座に収まろうとする者——少々厄介だが、街一つくらいなら自治を任せてやっても良い。農民というのは意外に強かだ。気に入らなければ一揆でも起こしてそいつを引きずり下ろすだろう。


 例えば広大な土地に離宮を建て、行楽地として開発しようと目論む者——一番厄介なのがこれである。わざわざ食糧供給を減らしてまで貴族の遊び場を作ろうなどと愚かなことを考える連中がいるのだ。


 そういった連中に好き勝手されないためにも、ハッケネスはじめ歴代の辺境伯たちは尽力してきたのである。



 そこで今回の件だ。

 皇太子妃候補にまで上り詰めながら問題を起こして婚約破棄された娘など、どう考えても面倒事の種にしかならない。

 しかし家に迎え入れることで得られるメリットもある。それもかなり大きなメリットが。

 彼女も息子を気に入っている様子だし、婚約ひいては結婚させるのも悪くはないだろう。



 そんな思考を回すことわずか15秒。

 ハッケネスはしかめ面を緩め、初めて笑顔を見せる。


「良いだろう。歓迎するよ、セレスティナ嬢」

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