ep.3-2・帰省と思惑と(2)

 お客人2人と使用人筆頭の2人が屋敷の中へ入っていったのを確認して、1分きっかり。

 待っていましたとばかりに玄関前に出ていた使用人たちがディートヴェルデを取り囲んだ。


「坊っちゃん! まさかあのご令嬢が……!?」

「いったいどうやって射止めたんですか!?」

「公爵家ってことは逆玉ですよ! 逆玉!!」

「坊っちゃんは一生モテないと思っていたのに……」


 わっと迫り来る波状口撃にディートヴェルデがたじたじになっていると、「こ〜らっ!」と救世主の一声が入った。


「坊っちゃんはこれから旦那様と奥様のとこに行かなきゃならないんだ。そのへんで離してやりな」


 輪の中に割って入ってきたのは、執事服に身を包んだ青年だ。

 光が当たってようやく緑と分かるほど色の濃い深緑の髪と、反対に新芽のような新緑に煌めく瞳。顔の造りこそ異なるが、作る表情は何処となくディートヴェルデと似ている。


「ディル!」

 助かったとばかりにディートヴェルデは彼の手を取った。


 周囲を取り囲む使用人の輪から抜け出し、逃げ込むようにして屋敷へ駆け込む。

 玄関先に残っている連中には荷物の運び込みを命じているから追いかけてくることもないだろう。



「おかえり、ディート。今回は随分のんびりだったな」

 若き執事ディル・クラウトはディートヴェルデの乳兄弟だ。そしてディートヴェルデ専属の執事でもある。


「まぁね……」

 そう答えつつディートヴェルデは凝り固まった肩を解すようにぐりぐりと回した。

「思いがけずお嬢様2人をエスコートすることになっちゃってさ……」

 ディートヴェルデの言葉に、ディルは、ふーん、と相槌を打ちながら、じろりとディートヴェルデを睨めつけた。


「で、実際問題、どうやって公爵令嬢なんて射止めたんだ?」


 ディルの言葉に、はぁ……とディートヴェルデはため息をつく。

「俺が何かしたんじゃなくて、あっちから来たの」

 むしろ俺は被害者だ!と主張するディートヴェルデを、ディルは胡乱げな眼差しで見やる。

「本当に何もしてないんだろうな? 吟遊詩人どもの与太話は嘘だって誓えるな??」

「は? 吟遊詩人??」



 この時代において吟遊詩人は現役の情報源である。

 真偽の程はともかくとしてセンセーショナルな事件やゴシップ、誰もが胸を躍らせるような冒険譚、人々の心をときめかせるロマンスなど、様々なことを歌に乗せて伝える。


 そして、現在ソルモンテーユ皇国で流行の話といえば……。

『皇太子が“真実の愛”とやらを神に示されて“青の神子”と結ばれた。』

『皇太子と“神子”の恋路を邪魔した悪女が身分も富も奪われた上で追放された。その行方を知るものはない。』

『卑しく粗野な山賊が貴族の屋敷に入り込んで美しい令嬢をさらった。今も捜索が続けられている』

という3篇である。



「いや、本当に3つ目は何なんだよ……元の話を作りやがったのは誰なんだ……」

「じゃあお前が令嬢をさらったわけじゃないんだな?」

「当然だろ。さらってたらゴンドラなんて借りれないし、船を水棲馬ケルピーを用意するなんて不可能だ」

「……それもそうだな」

「むしろあっちから頼まれたから連れてきた」


「なら最初の2つは?」

「それは本当」

「おいおい、一体どういうことなんだ……」

「まあ、その辺りを含めて説明するつもりだ。お前も同席するだろ?」

「ああ、おれの父さんも居るだろうしな」

 ディルの父はこの屋敷の家令だ。辺境伯の傍で仕えることも多い。


 ディルと会話しているうちに談話室に辿り着く。客人が来ていると言うこともあり、ここで集まって話をすることにしたようだ。


 ディートヴェルデは深く息を吸い込んだ。相手が実の親といえど、辺境伯とかしこまった会話をするのは何歳になっても緊張してしまう。

「行くぞ」

 ディートヴェルデが声をかけると、ディルが心得たように談話室の扉をノックした。


 中からの返事を聞き、ギィッと重たげな扉を開け放つ。

「ディートヴェルデ様がお越しになりました」

 先ほどの気安い雰囲気と打って変わって、ディルが完璧な執事然とした振る舞いを見せる。

 その変わり身の速さに感心するのも束の間、辺境伯との対面を目前にして気を引き締める。



 談話室は丸いドームのような空間だ。

 その半面は大きな窓を大胆に配置した壁になっている。ステンドグラスを交えた窓は陽光をふんだんに取り込み、談話室を明るく暖かな部屋としていた。


 部屋の中央には丸テーブルが1つ鎮座しており、その周りに椅子が4脚置かれている。

 ティーセットも4人分用意されており、招待されるのがディートヴェルデとセレスティナだけであろうことが窺えた。


「やっと帰ったか、ディート」

 サヴィニアック辺境伯ハッケネスはそう声かけると、仕草だけでディートヴェルデに着席を促す。

 お言葉に甘え、ディルに椅子を引いてもらい、ディートヴェルデは腰掛けた。

 ディルが斜め後ろに控えたタイミングで、辺境伯夫人ミレーヌが微笑みながらディートヴェルデを労った。

「おかえりなさい、ディートくん。長旅ご苦労さま」

「ええ、ただいま戻りました」

 ディートヴェルデは礼を返し、それから視線を正面に戻した。


「さて……」

 つい先ほどまでの和やかな雰囲気から一転、ハッケネスは剣呑な空気をまとう。


「やってくれたな、ディートヴェルデ」


 わざわざきちんとした名前を呼ぶということは、怒っている証拠だ。


 それもそうだろう。

 平穏無事な学園生活を送っていたはずの息子が、よりによって卒業パーティーで皇太子に目をつけられ、政敵の娘を婚約者として連れ帰ってきたのである。

 面倒事が嫌いな彼にとっては頭の痛い問題だろう。


「まずはお前の口から説明してもらおうか」

「ええ」

 ディートヴェルデは背筋を伸ばし、事情説明を始めた。


 卒業パーティーにおける皇太子の“婚約破棄宣言”という暴挙。それも『“青の神子”に惚れたから』なんていう自分本位極まりない理由で、である。

 半ばでっち上げに近い証拠で婚約者セレスティナを糾弾きゅうだんし、皇都どころか国外追放を目論もくろんでいたこと。

 それを受けたセレスティナがディートヴェルデのもとにやってきて『辺境伯領へ連れて行って』と依頼してきたこと。

 皇太子がおふざけ半分にディートヴェルデとセレスティナの婚約を、わざわざ“皇国憲章第6条3項”を行使してまで命じたこと。


 それらをディートヴェルデは淡々と説明した。たった一晩の出来事だというのにいろいろありすぎだ……。


 そして翌朝、辺境伯家の船を見かけたセレスティナが押しかけて来て、勝手にうちの船を貨物船にしたことも話す。



「なるほど……元凶はあの羽毛頭か」

 一連の話を聞いたハッケネスはそうつぶやくとぐったりと椅子に身を預ける。


 スッと表情の抜け落ちた顔を見るに、次に登城したら皇帝や大臣たちにどんな嫌味を浴びせてやろうか考えているのだろう。


「でも良かったわねぇ。ディートくんにお嫁さんができるかどうか心配だったの。これで心配事が1つ減るわぁ」

 ミレーヌがふわふわと笑いながらそんなことを言うものだから、場の空気が弛緩する。


「母さん……流石に気が早過ぎるよ」

「あら、いいじゃないの。可愛らしいし賢くて凛としてて素敵なお嬢さんじゃない。ディートくんにちょうどいいんじゃないかしらぁ」

 どうやら母親の目から見て、ディートヴェルデは頼りない息子に見えているようだ。


(俺は兄さんとは違うんだけどな……)

 そうため息をつき、ちらりと窓の外に目をやった。


 いつの間にか庭の様相が前と変わっている。この前 帰省したときは紫陽花なんて植えられていなかったはずだ。春らしく淡い色の薔薇を植えていたと記憶している。

 きっと兄がふらりと帰省したときにやったのだろうとディートヴェルデは目星をつけた。


 辺境伯家の長男である兄は、爵位を継ぐことなく庭師になってしまった。だが彼が雇われているのは皇宮なものだから、誰も文句を言えないのである。

 そして兄もまた“緑の指”の持ち主なので、植物の扱い——特にその美しさを十二分に引き出すことにかけて、まさしく天才的な才能を持っていた。


 ただしその代わりといっては何だが、生活能力というものが恐ろしく低かった。

 誰かに促されなければ食事を忘れ、誰かに整えてもらわなければ衣服はだらしなく、誰かに世話をしてもらって初めてまともに生きることのできる男だったのである。


 流石にそれと比べられたくはない。 


 しかし兄弟の母親であるミレーヌからすれば、どちらも可愛い息子に変わりないのだろう。

 どちらも同じくらいダメダメな男の子だと認識している節がある。


「ディートくんはしっかりしてるようで抜けてるから、あれくらいしっかりした娘が安心よねぇ」

「……」

 ディートヴェルデは困ったように眉を下げた。

 ミレーヌに悪気がないのは分かっているが、息子としては複雑だ。


「まあ、その話はあとでゆっくりとしようじゃないか」

 ハッケネスがやんわりとミレーヌの言葉を遮り、ちらりと扉に目を向ける。

 すると見計らったように扉が開いた。

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