ep.3-1・帰省と思惑と
ディートヴェルデの祈りが届いたのか何なのか、初めのトラブル続きが嘘のように、辺境伯領まで何事も無かった。
そうして、皇都を出発して5日目の朝、一行は辺境伯領の領都ヴェルデンブールに辿り着いたのだった。
「やっと着いたな」
ディートヴェルデはどこか疲れた口調でそう言いながら、窓の外を指した。
一行の前には巨大な石煉瓦が積み上げられた城壁がそびえ立っている。
堅牢を形にしたような石積みはしっとりと柔らかな苔に覆われ、方々から生えた蔦が幾重にも重なり合って作り出す複雑なアラベスク模様に彩られている。
これこそ、サヴィニアック辺境伯領随一の都市ヴェルデンブールが誇る“緑の城壁”だ。
その有り様から分かる通り、古くから存在し、こうして城壁の表面がすっかり緑に覆われるほど長い年月、この街を守ってきた実績がある。
一行を乗せたゴンドラと貨物船は運河の支流に入り、城門へと差し掛かった。
門塔は巨木の如くどっしりとそびえ立ち、閉ざされた門扉は巨人の盾の如く何者も通さぬと言わんばかりの威容を示していた。
ディートヴェルデはゴンドラの匣から出ると、器用に船縁を渡り、船頭と並んで甲板に立った。
そして、門番から見えるように右手を掲げる。空っぽの手のひらに光が瞬いたかと思うと、緑が芽吹き、生長し、複雑に絡み合って1つの形を作る。
《グロース》の応用だ。
一度に複数の植物を生長させることにより、10秒も立たぬうちに、ディートヴェルデの手には辺境伯家の紋章が描かれた盾が掲げられていた。
銘をつけるとすれば“緑の盾”といったところだろうか。種々の葉や花が持つ質感や模様を使い、彩色された彫刻のように複雑な意匠を作り出している。
辺境伯領
「お帰りなさいませ、ディートヴェルデ様!」
「ああ、今日もご苦労さん」
ディートヴェルデが労うと、門番は破顔し、そしてすぐに他の門番へ向かって叫ぶ。
「みんな! 坊っちゃんがお帰りになったぞ!!」
その一声で門塔が騒がしくなった。先程は影も見せなかった控えの門番たちがこぞって窓から外を覗き、やんややんやと囃し立て始める。
「見ろ、坊っちゃんだ」
「随分遅かったじゃあないか」
「ん? ありゃあ公爵家のゴンドラじゃないか?」
「本当だ。
「誰が来てるんだ? あのお狐公爵か?」
「こりゃあ辺境伯様が荒れるぞぅ」
野次馬根性丸出しの連中を見て、ディートヴェルデは呆れたようにため息をつく。
「こら、無駄口叩いてないで早く門を開けろ」
“坊っちゃん”の苛立ちを感じ取ってか、「ハッ!」と歯切れの良い返事をして門番たちが動き出す。
まるで梢に隠れた小鳥の群れのように門番たちが頭を引っ込めたかと思うと、程無くして城門が開き始めた。
いつもなら通用口くらいしか開けないのだが、公爵家のゴンドラがあるので大盤振る舞いするつもりらしい。重厚な門扉が大開きになり、その向こうに領都ヴェルデンブールの姿があらわになる。
街全体が1つの城のようであった。
緩やかな丘の上に建つ館とそれを囲むように建てられた街並み。
幾重にも建ち並ぶ城壁は、この街が何度でも拡張して発展してきた証だ。
このように城壁を有する都市が辺境伯領には幾つか点在しており、それらは城塞としての役割を持っている。
かつて光の加護を強く受けられる夏のみに農作ができて、闇の影響が強くなる冬は魔物が
今でこそ1年を通して農作や畜産が可能になり、魔物対策も進んできたおかげでわざわざ冬に移住する必要も無くなったが、今も領民の心の拠り所であり、有事の際の盾として在り続けている。
皇都の貴族たちが悪し様に言う“ド田舎の辺境”という印象を裏切る光景に、セレスティナとクロエはしばし言葉を忘れて見入った。
苔
むしろこの街が古くからあると歴史を伝えているように見えるのだから面白い。
ゴンドラは城門をゆっくりと通り過ぎ、街の中央へ向かって街中の水路を進み始める。
そう、ここはソルモンテーユ皇国。皇都ほど緻密な水路網は引かれていないが、辺境でも領都ともなれば、おおよその区画へ向かう水路くらいは作られている。
「ここはとても賑やかですのね」
「何かお祭りでもやってるんですか?」
興味津々といった様子で窓の外を覗くセレスティナとクロエに、ちょうど甲板から戻ってきたディートヴェルデが答える。
「このあたりは商業区だ。領都の中でも人通りが一番多いし、行商も集まってくる。いつもこんな感じだよ」
大運河から入ることのできる正門は都市の南にある。出入り口に近く、交通の便もいいことから、商店や露店なんかが集まり、商業区を形成していた。
ここには辺境伯領で生産された農作物のほか、ソルモンテーユ皇国の港から運ばれた海産物や舶来品、北方のシュヴィルニャ地方で発掘された遺物、山脈1つ越えた向こうのエヴリス=クロロ大森林で生産された薬草や木材、隣国シュヴェルトハーゲンで採掘された鉱石などさまざまな物が集まってくる。
行き交うのも人間だけでなく
領都の中心へ向かうにつれ、街の様子は落ち着いた雰囲気になっていく。
ある城壁をくぐった時点で、周りの景色が広い公園のような様相を呈し始めた。
皇都なら皇宮の周りは貴族の邸宅が建ち並ぶ高級住宅街になるのだが、こちらはむしろ閑散として森や林のようになっている。庭園と呼ぶにも野趣が過ぎる印象だ。
「本当にこちらですの?」
セレスティナが
「さっきの城壁からこっちが領主の土地——要はうちの敷地だな」
ディートヴェルデの言葉に「まあ……」とセレスティナは目を見開いた。
郊外の屋敷なら敷地の外に森があることも珍しくはないが、街の中にあってこうも広大な森林もとい庭園を持つのは珍しい。
「もうすぐ家に着くぞ」
ディートヴェルデが言った矢先、ゴンドラは木々が途切れて
そこは開けた広場のようになっており、真ん中には噴水がある。その周りをぐるりと回れるように、道と水路が引かれている。
屋敷の玄関には使用人が数人ほど待ち構えており、ゴンドラが着岸すると深々と頭を下げる。
「お帰りなさいませ、ディートヴェルデ様」
「ああ、出迎えありがとう」
そして彼らはセレスティナたちのことも温かく迎えた。
「ようこそお越しくださいました、セレスティナ・デュ・サンクトレナール様、クロエ・ド・カルージュ様」
「歓迎感謝致しますわ」
「私にまで御丁寧にありがとうございます」
2人が礼を返すと、使用人筆頭である執事長とメイド長が1歩進み出て、
「家をあげて歓迎致します。お二方、どうぞこちらへ。お部屋へ案内致します」
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