ep.2-3・いったいどういうこと?(3)
「先ほどは大変失礼を致しました。幼少のみぎりよりセレスティナお嬢様にお仕えしております。クロエ・ド・カルージュと申します」
メイドはそう名乗り、折り目正しくお辞儀をしてみせた。
両手首を前で縛られているが、とてもそうは見えないほど優雅に振る舞う様は、彼女が高度な教育を受けた淑女であることを示している。
名前から分かる通り、クロエもまた貴族の娘だ。
カルージュ家は子爵位にあたる家だったか。サンクトレナール公爵家の寄子にあたる。
チョコレート色の髪と空色の瞳は、どことなく黒猫を思わせる。
クロエの顔立ちは華やかさよりもシャープな印象が強く、ツンと澄ましているとクールな美貌が引き立つようだ。
典型的な“黙ってたら美人”というやつだろう。
先ほどクロエが話した通り、何故か一部ではセレスティナが皇都を去った経緯が『皇太子殿下に婚約破棄され、辺境伯領への輿入れを命じられたから』ではなく、『皇太子殿下の冗談を真に受けた辺境伯家の男に誘拐されたから』と曲解されて伝わっているらしい。
恐らくセレスティナの名誉を守ろうとした人間が流したのだろう。
しかしあの婚約破棄から始まる騒動は多くの貴族の子女が目にしている。
嘘の噂を流したところで、真相が広まるのは時間の問題ではないだろうか……。
ディートヴェルデはそう考えているが、クロエがすっかり騙されたことを考えると、界隈によってはディートヴェルデが悪者に仕立て上げられている可能性も十分にあり得る。
「それでは、あの綿飴頭……ではなく皇太子殿下は本気で“青の神子”に求婚したと? お嬢様を蔑ろにして……?」
「ええ。
「
「
「……っ、はぁぁぁああああ」
全ての事情を聞いたクロエは、藁屋根でも吹き飛ばしかねないほど深いため息をついて、がっくりと項垂れた。
それもそうだろう。何しろクロエは幼い頃からセレスティナに仕えてきたのだ。
彼女の美しさを、聡明さを、積み上げてきた努力の程を、誰よりも知っている。
ゆえにセレスティナが皇太子妃になることは、クロエにとってこれ以上ない喜びのはずだった。
だが、蓋を開けてみればどうだろう。綿飴で包まれて育ったような皇太子はわがまま放題でセレスティナに迷惑をかけまくり、挙げ句の果てには『他に好きな女ができた』などと嘯いて一方的に婚約破棄したというではないか。
更には屁理屈をこねて国外追放まで目論んでいたという。
辺境伯家の者であるディートヴェルデが助け出してくれなければ、一体今頃は何処を彷徨うハメになっていたことか。
「このクロエ一生の不覚……どうやら狙う相手を間違えてしまったようでございます」
突然物騒なことを言い出したクロエを見て、ディートヴェルデが如何とも言い難い苦い顔をした。
「それは……やめておいた方がいいと思うが」
「何故です? お嬢様を貶めるような真似をされたというのに、指を咥えて眺めていろと? 到底許せません。器に問題のある綿飴頭と他人の物を掠め取るような泥棒猫には制裁を下さなくては!」
「その軽率な行動で大切なお嬢様に迷惑をかけるとしても、か?」
「……」
ディートヴェルデの問いかけに、クロエは口を噤んだ。
何か反論しようとしている気配を感じて、ディートヴェルデは更に畳み掛ける。
「たとえクロエが2人へ制裁を加えたとして、世間から見たティナの評判はどうなると思う? 『婚約破棄の報復に配下を嗾けた』と思われるのがオチだ。『狭量』だと思われるかもしれないし、『表立って抗議できないから裏からコソコソと手を回した』と思われるかもしれない。あくまで憶測の範囲だが、クロエの行動はそのままティナの評判に繋がる。それは肝に銘じていた方が良いぞ」
少々熱くなり過ぎて視界が狭まっているようだが、頭の回るクロエのことだから、もう理解してくれただろう。
クロエはしばらく考え込んでから、渋々といった様子で頷いた。
「……承知致しました。お嬢様に仇なす者を野放しにせねばならないのが誠に口惜しいですが、今は堪えることと致します」
「そうしてもらえると助かる。それで……」
ディートヴェルデがこれからのことを話そうとすると、セレスティナが口を挟む。
「クロエ。わたくしたちを追いかけてきたのは良いけれど、屋敷の者にはちゃんと伝えて来たのかしら?」
「……」
「……はぁ……」
沈黙で返したクロエを見て、今度はセレスティナがため息をつく。
「貴女が熱心なのは認めますけれど周りが見えなくなるのは悪い癖でしてよ」
どうしたものかしら……、と思案するセレスティナを見兼ねてディートヴェルデは声をかけた。
「文を出すのはどうだ? 通信用魔導具を使うほど緊急でもないだろう?」
情報をやり取りする方法はいろいろある。
まずは直接伝令を出すこと。
ヒトでも動物でもモンスターでもいい。
次に郵便を頼ることだ。
情報と伝聞を司る
伝令と比べて相手に届くのは遅くなるが、確実に届くことは保証されている。
それから魔導具。
通信用魔導具にも種類があるが、概ねは声を直接相手に伝えることができる。
ディートヴェルデとセレスティナが交易所で使ったような声と姿とをお互いにやり取りするものや、触媒を介して命令を伝えるペンダントなどが挙げられるだろうか。
今回は『クロエが屋敷を飛び出してディートヴェルデとセレスティナについて来てしまった』という簡単な伝言を残せれば良い。なので再び魔導具を借りるほどのことではない。
「でしたら次の交易所から文を出しましょう。急がせれば夕方には皇都に届くはずですわ」
「そうだな」
「先ほど休憩したばかりだけれど、次で停めてもよろしくて?」
「もちろん」
そもそもこのゴンドラはディートヴェルデの持ち物ではない。
公爵家のもの、つまりセレスティナのものにあたる。ゆえにディートヴェルデとしては、進路や行程に口を出す気はない。
目下の目標はセレスティナと無事に辺境伯領まで帰ることにある。
特に期限が決められているわけでもない。ゆっくり帰ったって構わないだろう。
ゆったりと流れる運河の流れに任せるようにゴンドラは進む。
クロエからの事情聴取も終わり、室内には沈黙が降りていた。
水面から伝わる波や水草がゴンドラを撫でる微かな揺れが感じられるほど、3人の間に会話が無かった。
沈黙に飽きたのだろう。しばらく窓から外を見ていたセレスティナが切り出す。
「辺境伯領に到着した後は、わたくしたちはどうしたらよろしいのかしら?」
確かに何の段取りもしないまま皇都を出て辺境伯領に向かっている状態だ。
滞在する場所は何処か、嫁いだとして花嫁は何をして過ごさなくてはならないか、クロエを使用人として雇えるか 等々……不安なこともたくさんあるだろう。
「そうだな……」
ディートヴェルデは現時点での予定をセレスティナとクロエに伝える。
「まずは領都であるヴェルデンブールに向かう。辺境伯の屋敷がそこにあるから、基本的にセレスティナたちはそこに滞在することになるかな」
「そう……辺境伯と夫人にはそこで挨拶することになるのかしら」
「ああ。そんなに厳しい人ではないから、畏まる必要はないよ」
上は公爵から下は1代限りの男爵まで……数多くの貴族のひしめく皇都と違って、辺境伯領の貴族といえばサヴィニアック辺境伯家とその縁類だけしかいない。
大口の取引をしている商人や領内の町村を治める豪農を相手にするときは多少気を使うが、宮廷で求められるようなややこしい儀典儀礼や古めかしい しきたりは必要ない。
そのおかげか辺境伯家の人間は
それはディートヴェルデの両親——辺境伯と夫人も例外ではなく、ディートヴェルデは幼い頃は彼らの
つまるところ、この息子にして、この親ありというわけである。
「それは会うのが楽しみになりますわね」
セレスティナがふと微笑むのを見て、ディートヴェルデも口元を綻ばせる。
早速トラブルに見舞われてはいるものの、辺境伯領への道程は比較的順調と言える。
(これ以上、何も起こらないと良いなぁ……)
ディートヴェルデは窓の外を流れる景色を見ながら、ぼんやりとそう思うのだった。
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