ep.2-2・いったいどういうこと?(2)


「辺境伯領までは、5日は覚悟してもらった方がいいかもしれない」



「そう……」

 ディートヴェルデの言葉に、セレスティナはあっさりと納得した。


「驚かないんだな」

 思わずディートヴェルデは訊ねた。


 皇都暮らしの令嬢にとって5日にも渡る行程は酷だろう。

 もっと強く拒否反応を示すかと思っていたが、彼女は平然としていた。


「思ったより近くですのね」

「近い?」

 ディートヴェルデは首を傾げる。

「ええ、だって……10日はかかると思っておりましたもの」

 セレスティナの言葉に、ディートヴェルデは思わず吹き出した。

「10日って……それだけ西に行けば山脈の麓に着くぞ。あるいは大森林に突っ込んでるかもしれない」


「まあ、そうなんですの?」

 セレスティナは目を丸くする。

「ああ、そうだ。……知らなかったか?」

 ディートヴェルデは呆れたように苦笑した。

「ええ。辺境は遠いところとばかり思っていましたから、水棲馬に牽かせてもそのくらいかかるものだとばかり……」


 セレスティナの勘違いも無理はない。


 辺境伯領は、皇国内において皇都と真反対の位置に存在する。

 一応は大運河で繋がっているものの、国土を横断する運河の端から端まで移動しなければならないとなれば、遥かなる旅路だと思われるのも当然だ。


 今でこそ転移陣などで移動が便利になったものの——否、便利になったからこそ、距離感覚が失われつつあることも否めない。

 高いコストを払って転移陣を使えば、皇都ロークレールから遥か彼方の山脈に輝く聖都デフィデリヴェッタまで瞬きの間に移動することもできるのだ。

 もちろんそんな長距離を移動するための対価を支払えるのは王侯貴族くらいしかいないだろうが。


 おかげで貴族や金持ちの中には道のりとかかる時間の感覚が養われていない者も少なくない。

 “近く”と言われれば1時間で行けると思うし、“遠く”と言われればとことん遠くだと思ってしまうようだ。



***


 2人が交易所を出ると、店舗の真正面にゴンドラが回されていた。


 しっかり休憩を取ったおかげだろう、色艶の良くなった水棲馬ケルピーがぶるると鼻を鳴らし、前脚で水を掻く。

 気合十分といった様子にディートヴェルデは笑みをこぼす。元気な生き物は見ているだけで嬉しくなる。


「行きましょう」

「そうだな」


 セレスティナをエスコートしてゴンドラに乗り込もうとした瞬間、寒気を感じてディートヴェルデは身を翻した。


 同時にサクッと音を立てて壁に何かが刺さる。

「何だ!?」

 ディートヴェルデはセレスティナを庇うように立ちながら周囲を見回す。


 壁に刺さったのは銀のフォークだ。

 貴族の食卓に並んでいてもおかしくない輝きを持つ代物だ。

 先端が丸く削られているはずのそれが根本近くまで深く刺さっているのを見て、ディートヴェルデは冷や汗を垂らした。


 こんなタイミングで、しかも貴族を狙って襲撃するなんて、どんな命知らずだ?

 飛んできた方向へ目をやるが、そこは河の水面。船にでも乗らなければ襲撃は——。


「危ないッ!」

 さらなる危険な気配に、ディートヴェルデは咄嗟に手をかざして魔法を使った。


 水面からのたうちながら緑が伸びる。鞭のようにしなるそれは一瞬のうちに細かな網目を作ると、2撃、3撃と飛んできたものを防いでみせた。


 《グロース》。陽の土属性すなわち生命属性の魔法だ。


 “陽”と“陰”により輪郭のついた世界から見出された4つの元素、“火”、“水”、“風”、“土”には、それぞれ陽の側面と陰の側面が存在する。

 “火”は火炎と炎熱。

 “水”は流水と冷気。

 “風”は瓢風ひょうふうと雷雨。

 “土”は生命と鉱石。“土”の陰陽を司るこの2属性はかけ離れた性質を持つため、それぞれ別の属性として扱われている。


 《グロース》には指定したものを成長させる効果がある。

 ディートヴェルデは水草に魔法をかけて成長させ、更にそこへ《イールド・メッシュ》を重ねがけして網目を作成し、簡易的な壁を作ったというわけだ。



 ディートヴェルデをはじめ、サヴィニアック辺境伯家には生命魔法に秀でる者が多い。

 “緑の指ドヮヴェール”というミドルネームが示す通り、己の手指のごとく植物を操ると言われている。



「《ディテクト・ライフ》」

 周囲の生命を探知する魔法をかけ、襲撃者の気配を追う。


 ぼわ……と意識に上ってくるのはひとつひとつの生命だ。

 ディートヴェルデの場合、心音を聞くのが一番イメージに近い。

 力強い水棲馬ケルピーの生命、水中で微かに息づく小魚や貝類、水草の生命、それから周囲に複数感じる人間の生命——幾人かは襲撃に狼狽してさっさと立ち去り、幾人かは固まってしまっている。


 だが、そんな中でただ一人、川面を走る船を足場にこちらへ飛びかからんとする生命があった。


 見れば、髪を振り乱し、丈の長いメイド服のスカートをはためかせながら1人の少女が飛びかかってくるところだった。


 キッチンナイフと思しき刃物を両手に持ち、真っ直ぐにディートヴェルデの方へ向かってくる。


「そこのお前ッ、お嬢様を離しなさいッ!!」


「……はぁ!?」

 あまりの物言いに、ディートヴェルデは素っ頓狂な声をあげる。


「お嬢様をさらわせなどさせませんッ!」

 そう叫ぶ彼女は覚悟のキマった目をしていた。


 どうやらディートヴェルデを誘拐犯か何かだと勘違いしているらしい。そして大切なお嬢様を救う勇者が自分であると信じて疑っていないようだ。


「何でそうなる……」

 文句は言いつつも、ディートヴェルデは身の安全に対して余念がない。


「《グロース》」

 新しく水草を成長させる。

 茎からわさわさと葉を茂らせるムジナモを選んだので、巨大化したときのインパクトは大きいはずだ。


 案の定、触手の化物のようになった水草を見て襲撃メイドが慌てる。

「ちょ……何なのよ、これェッ!!?」


 慌てて飛び退き、それでもディートヴェルデに一矢報いたい気持ちは変わらなかったようだ。大して周りを確認することなく飛び込んでくる。


「ええい、お前さえ倒せば万事解決です!!」


 もちろん、そんな隙を見過ごすディートヴェルデではない。

 ディートヴェルデは今しがた魔法で編んだ水草の壁を網のように撓ませると、追い込み網よろしく襲撃メイドの体を受け止める。そのまま端を引っ張り、巾着袋のように締めて閉じ込めた。


「きゃああっ」

 悲鳴をあげてもがく襲撃メイドだったが、彼女の力では脱出できまい。


「ティナ、俺は不審者を衛兵に引き渡すから先にゴンドラへ……」

 まずは婚約者の安全を守ろうとしたディートヴェルデに、セレスティナがぴしゃりと言い返す。

「必要ありませんわ」

「……え?」


 呆気にとられるディートヴェルデを他所に、セレスティナはカツカツとメイド入り巾着袋に近付くと、ノックするようにゴスゴスと拳を入れ始めた。



「クロエ……クロエ? わたくしの声が聞こえるかしら」


 するといくらかして、巾着袋の中から喜色満面といった声が聞こえてくる。

「お嬢様! セレスティナお嬢様なのですね!?」


「ええ、そうですわ。わたくしが分かるようで何より」

「はい、当然にございます。このクロエはお嬢様の影にして手足ですから。お嬢様あるところに私もあり。貴女の下とあらばどこにでも馳せ参じます」


 セレスティナと襲撃メイド——クロエの会話を聞き、ディートヴェルデもようやく事態のとっかかりを掴み始める。


 どうやら襲撃メイド——クロエはセレスティナの使用人のようだ。

 それも“影”、“手足”と自称するほどなので、よほど身近に仕えているに違いない。この皇都追放劇でついて来れなかったので、後から慌てて追ってきたものと思われる。


 だが、何故ディートヴェルデを襲撃したのだろうか?



「頼もしいわね。ところで……貴女はどうしてこんなことをしでかしたのかしら」

「こんなこと、と申されますと……?」


 心底わからないと言いたげなクロエの口調に、ディートヴェルデは思わず苦笑する。

 なるほど辺境伯家の次男は襲撃しても怒られないものと思われているのか……。


 セレスティナもひどく呆れた様子でため息をついた。

「あのねぇ、クロエ……わたくしは、どうして貴女が“わたくしの夫”を傷つけようとしたのかと聞いていますのよ」


「お、お、お……夫ですって!!?」

 あからさまに慌てた様子の声とともに、巾着袋がガタガタと揺れ始める。ひどく動揺しているようだ。


「そんなまさか……既に夫君として認めておられるとでも……? 考え直しくださいませ、セレスティナお嬢様。相手は皇太子殿下の戯れを真に受けて、公爵家の屋敷に押し入り、お嬢様を拐かすような野蛮極まりない田舎貴族ですよ! 到底お嬢様とは釣り合いません。さあ、早く目を覚まし、クロエと共に屋敷まで帰りましょう」


 ディートヴェルデは黙って2人の話を聞いていようと思っていたが、とんでもない珍説を披露され、つい口を挟んでしまった。

「いや、ちょっと待て。何処でそんな話を聞いた? 俺がティナを拐かしただって……???」


 案の定、クロエは機嫌を損ねてしまったようで、ツンとした態度で返事をする。

「む……その声は、お嬢様を拐かした下手人ですか。貴方と話すことはございません。口を閉じなさい」


「クロエ」

 セレスティナが窘めるように言うと、クロエはしぶしぶといった感じで謝罪した。

「ふん……申し訳ございませんね、ダンナサマ」

 明らかに悪意がこもってそうだが、まあ良いだろう。これくらいの意趣返し、ディートヴェルデにとっては慣れっこだ。


 セレスティナは何か言いたげにディートヴェルデの顔をちらりと見て、またクロエの閉じ込められた巾着袋に向き直る。

「さては、そんな話を吹き込んだのは貴女の母ルフィーナですわね……全く、そんなにしてまで、わたくしを皇室に入れたかったのかしら」

 セレスティナは苦い顔でしばし考え込んだ後に、ディートヴェルデの方を振り返る。


「事情を説明したいのですけれど、この娘をゴンドラに載せてもいいかしら」

「構わないよ。移動しながらの方が無駄は省けるしな」

「ありがとう。それでなのですけれど……」

「手を縛っていいなら袋から出しても良い。手を縛られるのが嫌だ、もしくは俺と一緒に乗るのが嫌だと言うなら袋に入れたまま貨物船だ」

 ディートヴェルデが半ば脅すように言うと、巾着袋がガサガサと揺れた。

「手を縛って構いません。いいから早く出しなさい!」


「やれやれ……頼むから船の中ではおとなしくしてくれよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る