ep.2-1・いったいどういうこと?
「……は?」
ディートヴェルデは言葉を失う。
セレスティナが、ディートヴェルデの婚約者になるはずだった……?
全く理解が追いつかない。
「お父様ッ!!」
セレスティナが悲鳴のような声を上げる。
「それは話さないでとお願いしましたでしょう! 約束を破る気ですの!!?」
『ははは、すまない。つい言ってしまったよ』
「ついではありませんわ!! ああもう……!」
セレスティナは怒りを隠そうともせず、拳を握り締めた。握られた扇の骨がギリギリと悲鳴をあげている。
だが、すぐに諦めたように息を吐き、ディートヴェルデに向き直る。
「……ごめんなさい、ディート。変な話を聞かせてしまって……」
「いや……その……」
ディートヴェルデは未だ混乱の極みにあった。
セレスティナが自分と婚約する予定だったというのは、一体どういうことなのだろう。
しかもディートヴェルデの父親はそれを知っているのだという。それでいてディートヴェルデ本人には伝えなかったと。
しかしセレスティナは皇太子妃に選定されている。
ディートヴェルデとの婚約話が持ち上がったのが先か、皇太子妃に擁立されたのが先か。どちらが先なのか分からないが、少なくともディートヴェルデの知らぬ間に二人の縁談は進んでいたことになる。
「知らなかった……」
ディートヴェルデはぽつりと呟いた。
「ディートが知らないのは予想外でしたの。まさか辺境伯が貴方に話していなかったなんて……。けれど、一度白紙に戻った縁談を、殿下から婚約破棄されたからやり直すなんて虫のいい話、受け入れ難いでしょう?」
セレスティナの言葉に、ディートヴェルデは少し思案し、首を横に振る。
「それは別に構わない」
「……えっ?」
「辺境伯家の、しかも次男坊の俺なんかが結婚できるわけがないって諦めてたところさ。そこに君との婚約話が来たんだ。願ったり叶ったりだ」
ディートヴェルデの言葉に、セレスティナは驚いた顔を見せた。
「……いいの?」
ディートヴェルデはもう一度首肯する。
「むしろ大丈夫かと聞きたいのは俺の方だよ……ティナは、辺境伯夫人で収まっていい器じゃないはずだ。それこそ同格の公爵家や下っても侯爵家との婚約話が今後出てきたっておかしくない」
『しかし、皇太子による勅令がある。そこはどう覆すつもりかな?』
ギュスターヴの発言にディートヴェルデはハッとした。それをすっかり忘れていたのだ。
「それは……」
ディートヴェルデは口籠る。
特にこれといった具体案が思い浮かばなかったこともそうだが、自分のここまでの発言をセレスティナの父に聞かれていた事実にある種の気恥ずかしさも覚えていた。
黙りこくってしまったディートヴェルデを見てギュスターヴはニヤリと笑う。
『君がここまで娘を買ってくれているとは、父親として鼻が高いよ。やはり殿下よりも君に任せるほうが安心できそうだ』
「……ありがとうございます」
ディートヴェルデは素直に礼を述べた。
そして、体面を気にして、こう言い添えるのも忘れない。
「その……あまり滅多なことを言うものではないとも愚考致しますが」
***
カラカラと上機嫌な笑い声をあげながらギュスターヴは通信を切った。
娘を心配しての連絡だったが、思ったより楽しい会話になった。
てっきり父娘であの綿飴頭への愚痴大会になるのではないかと危惧していたところだったが、ディートヴェルデのおかげでそれだけは回避できた。それどころか有意義な対話になったので、とても満足している。
ギュスターヴにとって、ディートヴェルデは是非とも籠絡したい存在だ。
何と言っても、次期辺境伯という立場が魅力的だ。
広大な土地、皇国の食糧事情を支えるほど大量に生産される資源、隣国シュヴェルトハーゲンや大陸の中央を占めるエヴリス=クロロ大森林、さらには北方のシュヴィルニャ地方にも接するその立地……。
皇都の貴族が“田舎”だと馬鹿にするサヴィニアック辺境伯領は、商売人の目から見れば黄金郷と言っても過言ではないほど恵まれている。
ギュスターヴ自身、何も官職を得ていなかったら、サヴィニアック辺境伯家と養子縁組してでもその家に入りたかったほどだ。
しかし現実は残酷なもので、ギュスターヴは公爵であるだけではなく、皇国の財政を司る“大蔵卿”に任命されている。皇都の仕事を放り出して辺境伯領に行くわけにもいかない。
それに当代の辺境伯——つまりディートヴェルデの父が、なかなかの偏屈で、しかもかなり頭の回る人物であったのが不幸な点だろうか。ギュスターヴよりもいくらか年嵩で、恰幅が良く、穏やかな紳士然としているので、ひと目には穏健な貴族に見えるだろう。だが、辺境伯は皇都の貴族とは比べ物にならないほど腹黒……計算高く、世渡りに長けていた。
皇都の貴族たちを翻弄しつつ、辺境伯領を守り、皇国の食糧事情を支え続けている手腕をして、誰が言ったか“西の狸”。
そして、その“狸”に一番化かされている貴族こそが、他ならぬギュスターヴであった。
そんな有様にも関わらず、サンクトレナール公爵家とサヴィニアック辺境伯家の間に婚約の話が持ち上がったのは、ひとえにギュスターヴの努力が実った結果である。
辺境伯には息子が二人いるが、長男は皇城勤めになり、必然的に次男であるディートヴェルデが領地を継がなければならなくなった。
そこで持ち上がった問題が結婚である。
皇都の貴族に、娘を辺境に
そのため辺境伯もかつて婚約者選びに難儀したというエピソードはあまりにも有名だ。
そこで、ギュスターヴが娘セレスティナを嫁に出すことを提案したのである。
政敵とはいえ、繋がりがあることにデメリットは無い。
公爵家は辺境伯家との繋がりから商売のきっかけを掴むことができるし、辺境伯家は皇都の貴族との結びつきを強くすることにより領地とその権利を守りやすくなる。
そして辺境伯の次男ディートヴェルデに降りかかるであろう結婚問題を解決しようと試みたのであった。
まあ、それは皇太子により滅茶苦茶にされてしまったのだが……。
それは思い出すだけ不愉快な話題なので、後に語るとしよう。
そういったわけで、ギュスターヴにとってディートヴェルデは、公爵あるいは商売人の立場として、手元に置いておきたい便利な道具くらいの認識だったのである。
だが今日初めて言葉を交わして、より欲しいと思うようになった。
巷で流行りの小説ではこう言うのだったか——。
「ふっ……面白い男だ」
あれが娘婿になるのなら悪くない。
ギュスターヴは上機嫌に紅茶のカップを傾けた。
***
交易所で1時間半ほど休憩をとり、ディートヴェルデとセレスティナは再び辺境伯領へ出発しようとしていた。
「それにしても、わたくしたちが辺境伯領に着くまでにどれくらいかかるのかしら」
セレスティナがつぶやく。
それはむしろディートヴェルデの方が聞きたいくらいだった。
辺境伯家の船なら、3日間休まずエンジンを回していれば着くはずだった。燃料さえあれば疲れ知らずで動けるので、長距離移動に向いている。
しかし公爵家のゴンドラで辺境伯領まで行くのにどれほどかかるかは未知数だ。その優美さを引き立てるために交配された
それも皇都と違って整備の行き届いていない運河となればなおさらだ。
「そうだな……」
言葉を濁しつつディートヴェルデは答える。
「5日は覚悟してもらった方がいいかもしれない」
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