ep.1-4 皇都を出て(4)

 二人が揃って紅茶を飲み干した頃、見計らったようなタイミングで従業員がワゴンを押して入ってきた。


 てきぱきとテーブルの上が片付けられ、まっさらになったところへ、ゴトン、と通信用の魔導具が置かれる。


 通信用魔導具の形は卓上サイズの振り子時計によく似ている。

 時計盤にあたる部分には丸い硝子面、振り子部分は重りが空になっており、側面にいくつもの歯車が付いている。


 これは地球で言うテレビ電話によく似たもので、丸い硝子面に互いの姿を映し出し、リアルタイムに声をやり取りすることができる。


 ただし原動力となる魔石をそれなりに必要とする燃費の悪さから、それなりの余裕がないと所有も運用もままならないという欠点がある。

 そのため個人で持つとしたら貴族や豪商に限られる。


 平民が利用を考える場合は、情報も権能として有する瓢風ひょうふう神アヴィルティファレトの神殿に赴き、料金を払ってレンタルするという方法が取られていた。



 セレスティナは振り子の重り部分に魔石をんだ。

 そっと振り子を揺らし、魔導具の横の歯車をくるくると回して波長を合わせる。


 やがて丸い硝子面にモヤが浮かぶと、ぼんやりと何かの像を結びだした。


 無事に繋がったようだ。


 硝子面に映る像は徐々に輪郭をはっきりさせ、男性の姿を映し出す。


 身なりの良い紳士だ。金を紡いだような輝く金髪に青空を切り取ったような澄んだ空色の瞳を見るに、セレスティナの血縁者であることは間違いない。

 その若々しく甘やかな美貌を見るに、彼女の兄だろうか。



「お父様!」

 セレスティナがそう呼びかけたのを聞いて、ディートヴェルデはぎょっとする。


 魔導具の硝子面に映っているのはセレスティナの父——サンクトレナール公爵ギュスターヴだというのか。


 その顔貌は若々しく、とてもではないが成人を迎える子を持つ親には見えない。

 更に言えば、この紳士こそが皇国の財政を司る大蔵卿であり、大商会を率いる頭目でもある。



 ギュスターヴはその柳眉を曇らせ、憂いを帯びた顔を見せた。

『ティナ、ようやく連絡をくれたか……皇都を出てから音沙汰ないものだから、心配していたよ』


「あら、お父様ったら……まだ今朝別れたばかりですのよ。大袈裟に過ぎますわ」

 意外にもセレスティナはさばさばと返し、ふと気付いたように硝子面を凝視した。

「お父様……今日は登城されておりませんの?」


『ああ。愛娘が皇都を追われて辺境へ旅立つというのに、どうして仕事ができようものか……! 本当は仕事を放り出してでも辺境まで付き添いたかったのだが、ね』

 公爵はそう言って嘆息した。


 どうやら彼は、娘の追放劇にひどく心を痛めているようだ。

 大臣の一人にも関わらず出仕を取り止めているのは、それが理由らしい。

 あるいは皇太子が婚約破棄を敢行したことに対する抗議活動のつもりだろうか。


 しかし、それも無理からぬことだ。

 皇太子妃となるはずだった娘が、よりによって辺境伯の次男に降嫁させられたのだ。


 正確には、セレスティナはまだ王族ではないので降嫁というのは正しくない。だが、公爵家から辺境伯家に嫁入りだなんて、実質同じことだろう。


 それを思えば、彼が嘆き悲しむのも当然のことと言えるが、言葉に比してそれほど悲痛な空気を醸していないところが不審な点ではある。



 公爵はガラス面の向こうで視線を巡らせ、ディートヴェルデに目を留めた。

「ああ、君が辺境伯家の……ディートヴェルデくんと言ったかな」


 名前を言い当てられたことにディートヴェルデは驚く。

 影薄く振る舞っていたおかげか、辺境伯家に男子が二人いることこそ知られているが、ディートヴェルデの名はあまり知られていない。大抵は“辺境伯家の次男坊”で済まされる。

 なのに何故自分の名を知っているのか。


「君はもうご存知かもしれないが……セレスティナの父、ギュスターヴ・デュ・サンクトレナールだ」


「……ご挨拶が遅れました。お初にお目に掛かります。ディートヴェルデ・ドヮヴェール・ド・サヴィニアックと申します」

 ディートヴェルデは胸元に手を当て、一礼した。


 まさか向こうから名乗り出るとは思わず、やや戸惑う。


「突然のことで驚いたろう? 私も驚きだよ。まさか皇太子殿下がこのような暴挙に出るとは思いも寄らなかった……」

 そう言うと、ギュスターヴは肩をすくめた。

 だがその表情はさもありなんと言いたげで、いっそ薄ら笑いすら浮かべている。


 娘が皇太子妃から降ろされたというのに、それほど悲壮感がない。


 やはりセレスティナとディートヴェルデが婚約することに対して、抵抗が薄すぎる気がする。


(気味が悪いな……)

 居心地の悪い気分になりつつ、ディートヴェルデは身動ぎした。

 公爵から目を付けられているというだけで蚤のような心臓が縮み上がりそうだ。


『皇太子殿下の蛮行はさておき……次期辺境伯殿とお近付きになれるのは望外の幸運だった。これからは姻族としてよろしく頼むよ』


 ギュスターヴは朗らかな笑みを浮かべる。

 その顔は高貴なる水流の神マイムケセドの微笑みにも見えたし、恐るべき闇陰の神ツェルイェソドの妖しい笑みにも見えた。


「あの……」

 ディートヴェルデは失礼を承知で口を挟む。


「俺としてもセレスティナ様と婚約を結ばせていただけることはこの上なく光栄なことです。しかし大切な公爵家の娘——それも皇太子妃にまで推された方を、たかだか辺境伯家の男と婚約させるなど……よろしかったのですか?」


『ほう……?』

 ディートヴェルデの言葉に、ギュスターヴは面白そうな顔をして片眉を上げた。

『随分と殊勝な態度だ。君の父君とは大違いだな。あの狸は息子を見習うべきだ』


 父親を“狸”呼ばわりされ、ディートヴェルデは苦笑する。


 ディートヴェルデの父、当代のサヴィニアック辺境伯は、辺境に籠りっきりのくせに宮廷で上手く立ち回っていることで知られる。

 皇都の貴族たちを翻弄しつつ、辺境伯領を守り、皇国の食糧事情を支え続けている手腕をして、誰が言ったか“西の狸”。


 ちなみに皇国に狸はいない。隣国・紫宸龍宮にいるという噂がある程度だ。


 そして、その“西の狸”と最も激しくやり合っているのが、他ならぬ“大藏卿”ことギュスターヴである。


 ちなみにディートヴェルデの父は、彼のことを“皇都の狐”あるいは“東の狐”と呼ばわっていた。



『それはさておき……私はティナが辺境へ行くことはそれほど反対ではなかったよ。むしろ渡りに船というところだ』


「……どういう意味でしょうか」

 ディートヴェルデは怪しく思った。

 セレスティナは皇太子妃に内定していたはずだ。

それを覆してまで彼女を辺境へ送るなど、普通なら考えられない。


『ああ、私が初め目論んでた通りに事が進んだのでね、良かったと言っているんだ』


 ますます意味がわからない。


 ギュスターヴにはこの事態が見えていたとでも言うのだろうか。

 だが皇太子による婚約破棄は予想外だという反応だった。

 ではどうしてセレスティナを辺境伯領に向かわせるつもりだったのだろうか。


 ディートヴェルデは困惑する。

 ギュスターヴはそんな彼を見て、おかしそうに笑った。


『そんな反応をするのも無理はないね。あの“狸”のことだ。あの話を微塵も話題に出さなかったのだろう』


(あの話って、何の話だ……?)

 困惑するディートヴェルデをよそに、何故かセレスティナが慌て出す。


「お父様、あの話はおやめになって」

『何故だい? ティナだって乗り気だったじゃないか。今のうちに話しておいた方が互いのためさ。なあ、ディートヴェルデくん?』

「えっ……」

 突然振られて、ディートヴェルデは戸惑った。


 確かにギュスターヴの言う通り、この件について何も聞かされていなかったのだから、どう答えるべきか困ってしまう。


「ディート! お父様の言葉に耳を貸すことはありませんわ。お忘れになって」

 セレスティナが語調を強め、ディートヴェルデの方へ身を乗り出す。


 しかしギュスターヴは、そんな娘の様子を意に介さず、楽しげに続けた。




『いいかい、ディートヴェルデくん。我が娘、セレスティナは、君の婚約者になるはずだったんだ』

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