【第一章:ノブレス・オブリージュ⑮】

 それはもう、融けてしまいそうなくらい暑い日のこと。



 僕たちのあの日の始まりは、東京の駅の前でのことだった。



「もしもし、悪いね」



「ぜんぜん構わないよ。そろそろ退屈になる頃だったし」



 僕たちの合流は、昼を過ぎてからだった。なぜなら午前中、僕らは別々に行動していたのだから。



 僕たちが合流することになった経緯は、意外にもシンプルなものだった。それらしい待ち合わせをしたわけでもない。ただ、お互いがたまたま近くを散策していた、というだけ。



 僕はなんとなく東京に出て、本屋を巡っていた。本屋巡りは面白い。いつも同じ本屋に行って、徐々に展示が変わっていく様を見るのもまた一興だろう。だけど、それ以上に、全く知らない本屋で全く知らない世界に出会うのも面白い。



 東京に限らず、少し遠くまで足を運んでは本屋を見つける。そこで出会った本を買って帰るもよし、空気だけを味わって静かに立ち去るもよし。それが僕の日課だった。



 一方で、彼女のほうはどうだろうか。彼女はそもそも、散歩が趣味なのだった。家からまず一歩踏み出す。そこで、次にどちらへ向かうかを決める。右か、左か。単純なことである。



 それを、気が済むまで繰り返していく。そこにバス停があれば、バスを待つか、それとも待たないかをなんとなく決める。駅があれば、下りに乗るのか上りに乗るのか、それとも乗らないのかをなんとなく決める。それは意に則するかもしれないし、沿わないかもしれない。特に意味もなく、どこかへ向かうことが趣味だった。



 つまり、僕の行先と彼女の行先が一致したのは、かなり奇跡的だったということだ。



 電話を介して同じ場所に集まるのには、それなりに時間が掛かった。お互いに未知の場所なのだから、集まろうにもどこがいいのか分からない。そんなわけで、目につく目印を道標にして、僕と彼女は昼下がりの半ば邂逅を果たしたわけだ。



 私服で会うのは、これがはじめてだった。



「なかなか、ロマンチックな出会いだね」



「まあ、ぼちぼちね」



 夏の東京。時節としてはバケーション、とにかく人に溢れた街だった。屋外にいれば人の群れに揉まれ、密度によって上昇した気温が不愉快に体を包み込む……。



「どこか屋内に入ろうか。昼食は終えた?」



「いや、まだ」



「なら、先に食欲を満たそう。さて、どこへ向かおうか」



 それから、食事の在りかを探す散策が始まった。

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