公爵令嬢が薄い本を書く話

 ボイッチェラント帝国には一つの噂がある。

 噂と言っても周辺国家のしかも上位貴族の中でという狭い社会でのみ囁かれる与太話ではあるが。


 それはボイッチェラント語で綴られた奇妙な魔導書。他の魔導書と区別する為『幻のボイッチェラント魔導書』と呼ばれている。


 魔導書とは豊富な魔力を持つ人間、つまり王族や皇族、それに連なる貴族にしか扱えない本である。魔力を通した本人にしか見えない様々な情報が得られるというものだ。


 幻のボイッチェラント魔導書の特徴は、まず本そのものだ。装丁は立派だが頁数が極端に少なく非常に薄い。そして奇異なのは本を読んでいる者の様子である。頁をめくることなく、本を開いたまま愉悦に満ちた顔を浮かべて眺めているだけだという。

 


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「まぁ出来上がったの?」

「お待たせして申し訳ありません。完成しました」


 私はボイッチェラント帝国、第二皇女エファフラウン・ボイッチェラント、相手は隣国の第三王女殿下。二人は幼い頃より親交があり、また隣国の貴族学院へ私が留学中、親友と呼べる仲にまでなった。

 二千年以上続く伝統と格式高い隣国、比べてボイッチェラント帝国は父が旧体制を革命によって倒し建国して日が浅い、ま、言うなれば新興国家ね。


 そんな成り上がり国家の、名ばかりみたいな皇女の私に心を開いて親しくしてくださる第三王女殿下は、それはもう女神様みたいなもの。陛下を始め、王妃様、王太子殿下も私に良くしてくださるわ。


 あらは一ヶ月前のこと。定例行事となったお茶会で、第三王女殿下が私に相談なさったの。


 隣国には時折り『神使』と呼ばれる人が異界より舞い降りることがあります。過去に数人現れた彼らは神より授かった強大な力を持ってるそうで。

 ええ、それは私もよく知ってますわ。

 だって実物に会ったことあるもん!


 あれは隣国の貴族学院に留学して二年目の春。第三王女殿下がいつになく元気ない様子で私にこう告げたの。


「ごめんなさい、エファフラウン。あなたに申し訳ないお願いがあるの」

「殿下、いかがされました?」

「実はね、今代の神使がね、あなたを呼べって」

「いつもお話されてる種馬野郎ですわね?」

「まぁ!エファフラウンも辛辣ね」

「事実を述べたまでですわ。神から与えられた武具の力で開拓を進めて、周囲に住む少数民族を集めては移住させ、その度に孕ませまくって、今では小国規模にまで増えてますでしょ?」

「有り体に言えばそうですわね」

「確かに権力者としての義務という側面ではありますが、それにしても年端もいかない娘まで見境なしなところが」

「エファフラウン、それ以上はいけませんわ」

「……ですわね。承知致しました。その者の元へご一緒します」


 森の中へ入ると広大な畑が広がり、集落が点在していました。そこで働くのは若い娘ばかり。様々な種族。数人男を見かけたものの、私たちとはかけ離れた外見の種族。案内された建物にその『神使』が女性に囲まれて待ってました。 


「スローライフが……」

「農業をのんびりと……」

「神様に武具をもらって……」

「皆が子種を欲しがって大変で……」


 何とも知性も教養も大したことない話題。どうやら前世で病死した後、神と出会って強力な武具を授かってこの世界に転移?してきたとのこと。個人には過ぎた力を持っただけの凡夫ですのね。


 こちらでは見かけない特徴的な顔や髪や瞳の色。それ以外さして特徴もない殿方ですが、隠しきれない傲慢さが言葉や態度の端々に見て取れます。


 第三王女殿下や私の身体に遠慮なく注がれる好色な視線……露骨ですね。品格を疑います。舞踏会で私を取り巻く貴族のご子息達でも、そこまで不躾なことは致しませんわよ?


 しかも彼はこうまで言いました。


「王女と皇女、泊まっていくんだろう?」


 この神使、魔王や竜族とも対等な関係を築いてるそうですが、あまりに無礼な態度ではなくて?

 王女殿下と一緒に丁寧にお断りしてことなきを得ましたけど、彼の周囲に侍る女達の非難するような視線には呆れました。


 その後も度々呼ばれました。その度に泊まりをお断りしたら、ある時メイド達が私に何やら言ってきました。メイドが他国の皇女に直言ですか。無礼だこと。新興国家ゆえに侮られているのでしょう。


「これ以上村長を怒らせない方がいいですよ?」


 まぁ!脅迫されましたわ!


「私には婚約者もおりますし……」


 続く言葉を飲み込んだ。

 我が帝国の魔法科学技術は世界一です。それの恩恵で陸海空軍も世界最強と自負しております。ここを一瞬で焦土に変えることも出来ますのよ……。ええ、言っても全くの無駄でしょうけど。


 一度だけ、断りきれず宿泊することにしたら、夜中にあの神使が寝室に入ってきました。護衛が私のダミー人形を使って彼の狼藉を阻止しましたが、私は怒りに手が震えるのを抑えられませんでした。何というゲス野郎、こほん、見下げ果てた殿方です。


 貴族学院での留学を終え、帰国した私に衝撃的な報せが入りました。第三王女殿下があの神使に乱暴されかけたという驚きの出来事が!


 国王陛下が直に動いて事なきを得たとのことですが、神使相手に強くは出られず。神使の持つ武具は竜をも屠る威力。それを手に暴れられることを想定したら、逆らうわけにはいきませんものね。


 私、決断しました。

 貴族学院時代の数々の無礼、私の大切な大切な第三王女殿下への不埒な振る舞い。ただ神に与えられた武具を自分の力と勘違いしてる愚か者。


 よろしい。

 ボイッチェラント帝国の魔法科学の粋を集めた兵器であなたに相応しい処遇を与えて差し上げますわ。

 王女殿下にも確認しました、彼を失うことで想定される王国の不利益を。答えは『ごく一部で流通してる珍しい酒が少量』のみ。そのような嗜好品、他にいくらでも代わりはありますわね。


 これは第三王女殿下と私だけの秘め事。国王陛下やお父様……いえ皇帝陛下が知らなくても良いのです。


 私は魔法科学技術省長官に命じました。


「鷹は舞い降りる。古の王国へ」


 静止衛星が神使とそれを囲む座標を特定、変換魔導波を照射、情報の塊と変えた後、こちらのデウ・スエク・スマ・キナーへ転送。


 ほら、出来ましたわ。


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「これが噂に聞いた幻のボイッチェラント魔導書……」

「ええ。どうぞ殿下、開いてください」


 王女殿下が表紙を開くと、そこに幻影が現れる。私には見えないけれど、完成時に確認済み。

 本の上に展開する幻影。

 それはあの神使と彼の妻達が男女の営み真っ最中。あら!既に悲壮感に満ちた顔ね?


 我が帝国の魔法科学は人間を小さな人工空間に固定する技術を開発しましたの。魔導書という形でね。

 元々は病気などで死期が迫った研究者が死後もその膨大な知識を伝えたいと願った場合、それを後世に伝える記録媒体。本人の希望があれば、すぐに天へ召してもらいますが。


 ある日、単独行動を永久に繰り返すだけの存在にしてしまう実験事故が起こりました。例えば、座る立ち上がる、ただそれを延々と繰り返す存在。


 これは刑罰の一つとして採用となりました。魔導書と化した彼らは一定の行動だけを繰り返す幻影存在。またこちらのことも見えているようです。


 これの研究も進み、どういう行動を取らせるかこちらで入力出来るまでに、また対象も複数指定が可能となりました。帝国の魔法科学は世界一ですの。


「エファフラウン、神使が何か叫んでいるみたい。読唇術が出来る部下を呼びますね」


 すぐにやって来た殿下の部下が読み取った内容に私たちは笑みを隠せません。


「タスケテ タスケテ タスケテ」


 これがいつ頃


「コロシテ コロシテ コロシテ」


 に変わるのか、その日まで王女殿下には楽しんでいただきましょう。

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