救われたい

天川裕司

救われたい

タイトル:救われたい


俺は自律神経失調症・パニック障害だ。

これは病気ではないと言われるが、

それでも実際になると本当に苦しい。


世間でも、この自律神経失調症・パニック症で

苦しみ続けている人は多いと聞く。

他の人の場合はどうか知らないけど、

俺の場合は頭痛と腹部不快感、そして心臓の苦しみ、

下腹部の張りや苦しみ、

大体この4つが交互でやってくるのだ。


頭痛は首凝りから来ていると前に診断されたこともあり、

あとは目疲れで、わんわんと焦点が

合わなくなるところから

この頭痛に至る症状が始まる。

もう決まっているのだ。


これまで、精密検査を何十回受けてきた。

途中から主治医が「もう受けても意味がないと思うけど?」

と言ってくれたが、それでもパニック障害特有の

不安と恐怖に押し迫られることから、

アンコントロールでその恐怖が心と体の中で膨れ上がり、

自分から受診した。


本当に異常なしの時は心からほっとして、

神様とその主治医に何度も感謝した。

でもその症状はまるで後遺症のようにほとんど変わらず、

やってくるときは必ず来る。

ちょっとでも不調を感じれば、

そいつは俺を逃すことなく、必ず苦しめてくる。


もうこの繰り返しで10年以上やってきてるんだ。

今は腹部不快感に悩まされ、これも前の時と全く同じ症状。

数日前は心臓の苦しみがやってきて、

その前は首凝りからの頭痛がまだやってきていて、

その間に下腹部の張りや不調がまたやってきて、

これもこれまで10年以上、

何度も経験させられながら苦しめられつつ、

もう俺は不安と恐怖に怯えることも、

苦しみ続けることにもほとほと疲れてしまった。


不思議なのは、腹部不快感の時は

心臓の苦しみがすっと収まり

心臓の苦しみの時は腹部不快感が急に収まり、

首凝りからくる頭痛の時も同じく、

それまでずっと心臓の苦しみや

腹部不快感に悩まされていても、

それらが本当にすっと消えてくれる。


必ず交互にやってくるのだ。俺の場合。

「頭痛終わったか?じゃあ次は心臓の苦しみ行くぞ?心臓の苦しみ終わったか?じゃあ次は腹部不快感行くぞ?」

こんな感じで。


だからもう疲れた。本当に疲れ尽した。

「もう嫌だ。早く楽になりたい」

「神様、この苦しみと不安と恐怖を全部どこかへやってください」

「そして天に召される時は不安・恐怖・苦しみに気づく事もないほど、瞬きするほどの、一瞬でお願いします。今すぐ引き上げてください」

これがもう口癖のようになってしまった。


自分の腹を思いっきり殴りつけて

不安と恐怖と苦しみを紛らわせたり、

実際ベランダに出て、

何度も身を投げようとその真似をしてみたり、

薄仰のクリスチャンながら自傷行為、

自らこの世を離れるようなそんなあらぬ事まで考え、

それを真似したりして、

とにかくしつこすぎるこの苦しみ、全く治らないこの苦しみ、

この世でのしがらみ、苦しみばかりの毎日に

ある時は心底から嫌気が差す。

この嫌気が差す時は、日常の時々である。


もう、苦しみの無い世界に行きたい。

神様から生まれた人間・息子として、

その恵みと喜びの通りに、いつでも喜び、平安で、

こんな不安や苦しみや恐怖と二度と出遭いたくない!

こんなの、全部、払拭してほしい!


神様の御心について何度も聴かされた事はあるが、

俺の正直がそう叫ぶのだ。

やっぱりそう叫び、それが本能のように正直となる。

「俺はまだ救われてないのか?」

こんな事を、本気で考える毎日でもある。


他の牧師や教会員は本当に立派だ。

どうやってこんなのをクリアしてるのか?

俺には無理だ。無理だ!無理だ!

それだけ心底から疲れ果てて居た。

何度も何度も言うように疲れ尽して居た。


疫病が流行り始めた時でも似たような症状に襲われ、

全く世情が何も分からなかったせいか、

余計に恐怖と不安が膨大に膨らんでしまい、

これもパニック障害のなせる業と知りながらも

やはりアンコントロールで、

あの時は多分もっとひどい症状に襲われていた。


実際に37度4分から7度5分ほどに熱発し、

吐き気を伴いながら実際トイレに

何度も駆け込んだ事から、今と同じように

腹部不快感にも当然襲われて居ただろう。


自律神経失調症用の薬を飲んで

それがすぐに治ってくれた時は、

本当に嬉しかった。感謝した。

その時は自律神経失調症の症状が

こんなになるとは知らなかったから、

心療内科へ行く選択肢も乏しかった。

とりあえず行って良かったと思う。


でも、同じことがその後も、

いやその前からずっと繰り返されている。

繰り返すのだ。

この症状の特徴は繰り返しである。

治る人も居れば、治らない人も居る。

治らない人の場合は、

生涯懸けてそれと付き添うことになる。

これも初めから主治医に教わったこと。

主治医はそれでも「絶対治る」と励ましてくれ、

その時でも感謝した。


最近まで同じような検査を繰り返して来た。

もう嫌だ。

もうこんな苦しみ・恐怖・不安に遭うのは嫌なんだ!


人間じゃなく、天使に生まれたかった。

堕天しない天使。ずっと神様の傍に居る天使。

こんな苦しい目に遭うぐらいなら人間なんか…

こんな事を実の母親に何度も言ったほど、

俺は苦しみの中で

かなり大きな親不孝までさせられたのだ。


自分の臆病が憎い!

アンコントロールでやって来る

この苦しみと不安と恐怖が憎すぎる!


なんで美味しい物やしたい事は全部体に悪いのか?

一体この世界のどこに平安なんか…!平和なんか…!

そんな事を延々、優に100万語以上の言葉を以て

これまでずっとノートに綴って来ていた。


宅トレ・ウォーキングは毎日当たり前にして居る。

食習慣にしても出来るだけをもって改善してみた。

疫病の世情を踏まえ行動テリトリーもなるべく抑え、

お金を稼ぐ仕事にしても、

自律神経失調症・パニック症から在宅ワークしか

続けられない状態で、出来るだけ日常の

細々した事に本当に幸せを見るように心がけ、

一般的に見られたら

かなり乏しい生活をして居るのだろう。


それにしても、なんにしたって

人の世界では、人のする事には限界がある。

歳をとれば寿命が近づく。

幾ら健康にしがみ付こうとしてもやはり限界がある。

これは周知の事で、皆それなりに知って居る事だろう。


そんなある日。

ついに疫病に罹った時、

俺の中に妙な安心感が芽生えたのだ。


覚悟に近い安心感?

高熱が出て、どこで自分が何をして居るのか

全く分からない状態で、朦朧としながら、

病院に何度か電話をしても

「これまでのように対応はもう出来ません。今来たって意味がないですよ。明日の朝にしてください」

と同じく断られ、その夜は、もし悪化すれば

死んでもおかしくない状況を通らされたのだ。


でも「これでもう怯える必要(こと)も無くなる」

…と朦朧とした意識の中で覚悟が芽生え、

おそらく朦朧として居た事から

痛みや不安・恐怖が薄らいでくれたのだ。

「このまま天国へ引き上げてください…」

なんとなく本気でそう祈り願い求める自分を知り、

それは知らされたようで、

その時の事を今でもはっきり覚えて居る。


これはもうずいぶん前の話になるけど、

今でもはっきり覚えて居るのだ。


今は、これまで同じような

自律神経失調症のような症状に苦しみ悩んで居る俺。

して居ると、あの時の自分が心の中で甦る。

甦ると言うより、相手をしてくれるために

こちらへ顔を向けてくれるのだ。

そして一言、「大丈夫」と言う。


正しい信仰にしがみ付こうと

理解する心も踏まえながら、

そんな感覚のようなものに救われる事も

信仰の糧に成る…苦しみの中で、

本当にしつこく続いている今のこの苦しみの中で、

そう信じさせられた俺が居る。


神様とイエスが常に共に居てくださる。

奔放で、薄仰で、わがまま気まま勝手な俺ながら、

そんな形でしか祈れない自分を思い知る。思い知らされる。

必ず人を救うのは他人ではない。


神様とイエスの聖霊の働き。

誰かが救ってくれても、

それは神様がその人を遣わし、

聖霊の働きをもって救ってくださる。

この事を、今ここで改めて知らされた俺だった。

すべては神様に感謝である。

どんな時でも、神様に感謝できる力と心が与えられるように。


動画はこちら(^^♪

https://www.youtube.com/watch?v=g9Fgu3UEuaE

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救われたい 天川裕司 @tenkawayuji

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