青の章 4話目「暗底の先に」
あれからどれほど時間流されて沈んでいったのだろう。
いまだに視界は暗闇の中にあり、ただ意識だけはかろうじてそこに留まっているような感覚。
自分はどうなったんだったか。
嗚呼、そうだ。
自分はおそらく死んだのだ。
単純明快な結論。
そこに至るまでの過程は滅茶苦茶であったけれど、結論そうなのだろうなという
長い時間、空を漂流し、加速し続けながらどこかの湖面へと落下激突。
そうして全身に電撃が走り続けているかのような痛みを受けて、最期はそのまま湖に沈んでいったのだ。
・・・自分の人生とはいったいなんだったのだろう。
頭の片隅でどうか夢であってくれないかと考えることもあったが、あの痛みと水中を沈み続ける感覚は間違いなく現実のものだった。
最後に見たのは動けぬ自分の下に迫る黒い影。
多分、見る者が見れば死神や悪魔の類だというに違いない。
特に信心深いわけではなかったと思うが、あれはきっとそういう類の
嗚呼、こうしている今でさえ自分が死んだのだということをまだ受け入れられずにいる。
ただ、状況的に考えてまず助かることはないだろう。
仮に、誰かが偶然あの湖に通りかかったとして自分を救い上げて、そこからさらに適切な治療がすぐ施せるとは思えない。
どうしてこんなことに・・・
・・・
ふと、
視界の端に明かりが灯った。
暗闇しかなかった世界に一点、小さな光が灯っている。
あの光は一体・・・
気付けば自分はその光へ吸い込まれるようにして、暗闇の世界を前に進んでいた。
なぜかはわからない。
ただ、自分にはそれが希望の光か何かに見えていたのかもしれない。
あるいは、不思議とその光景に既視感を覚えていたからかもしれない。
なんとなく、こういった
どこかで似たような経験をしていたのだろうか。
・・・
そうして光の下まで歩いてきた。
近付くまでわからなかったことだが、その光はよく見ると手の形をして伸びていた。
大きさも丁度、人の手程度の大きさで、形はなんというか握手を求める時に手を差し出すような格好になっている。
・・・掴んでみるべきだろうか。
実際、このまま暗闇の空間にいてもよくわからない自責の念に駆られ続けるだけ。
それならば一か八か、この手のように見える光を掴んでみてもいいのではないだろうか。
少なくとも、まだ決まったわけではないがおそらく自分は死んだのだ。
ならば、これ以上に状況が悪くなるようなことはきっとないだろう。
そうして軽く自分を慰め、何をすべきか決めてからの行動は早かった。
きっと決断するまで、まだ悩める時間はあっただろう。
だが、結論は変わらなかったはずだ。
この光もいつまでここにあるかわからない。
・・・
ごくりと唾を飲み、そのまま一息に光の手先へ触れる。
その握手に応えるように利き手を差し出し、ぐっと力を込めて掴む。
「・・・!」
掴んだ手先からびりっとした刺激を感じ取る。
それは痛みにも似ていたが、決して己を苛むようなものではない。
見れば光の手も自分の握手に応じるようにしてがっちりとこちらの手を握り返している。
「ッ!・・・」
気付けば、自分は掴んだ光の手に強い力で引っ張られていた。
気を抜けばそのままどこかへ連れ去れてしまいそうな勢いで。
常ならばきっと多くの者はそれに恐怖してしまうことだろう。
自分だってそうだ。
こんな状況下でもない限りは。
だが恐れることはない。
むしろこれは
よくわからないまま、終わろうとしている自分が最後に掴める希望。
ふわりと心が舞い上がるかのように足元が軽くなる。
そうして、そのまま光の手へ吸い込まれるようにして、上へ上へと体が引っ張られてゆく。
・・・
そうしてどれだけ引っ張られていたのか。
いつの間にか眩いほどの輝きを近くに感じていた。
もはや目を閉じていても感じられるほどの輝きに包まれた空間。
一瞬、『天国』というワードが頭に浮かんだが、違うような気もする。
もっとも、自分は信心深いわけではない。
なら、これは・・・
そうして答えを出すよりも先に、輝きの中心部。
目も開けていられない程に眩い空間へと、一際強い力でもって引っ張られっていった。
・・・
鳥の鳴き声がする。
それに虫が鳴く声も。
鼻先からは木や葉、土の匂いが感じられた。
・・・
自分は何をしているのだろう。
まだ瞳を閉じている感覚があるものの、なんとなく光は感じられた。
少しばかり、体が気怠く、眠気も若干あるらしい。
それでも
「ッ!・・・」
そうして視界に飛び込んできたのは緑一色の世界。
おそらくはどこかの森の中なのだろうとそれは推測できた。
もう少し、周囲の状況を探ろうと、気怠さを押し殺して上体を起こす。
「・・・」
上体を起こした先には湖があった。
自分はどうやらそこの近くの畔で倒れていたか、眠っていたらしい。
「・・・ッ!?」
気付けば自分が纏っていたローブがない。
記憶が確かであれば、自分はボロボロのローブか何かを身に着けていたはず。
それがいつの間にかなくなっており、自分は生まれたままの姿でそこにあった。
一瞬、気恥ずかしい気持ちに襲われたが、周囲に人の気配は・・・
そうしてきょろきょろと辺りを見回そうとした時、ひとつ大きな岩が目についた。
「!」
岩の上には青い髪をした女性が腰掛けており、彼女もまた服等、何ひとつ身に着けていない様子だった。
視線の先は湖へと向いていたようだが、此方に気付いたらしい。
互いに頭を傾けて視線が交わる。
「・・・」
「・・・」
そして、そのまま固まってしまう。
これもまた互いに。
どうしよう。
どうするべきなのか。
何かしら言葉を投げかけて
ただ、問題がひとつ。
岩の上に腰掛けている彼女、見る限りは西洋系の顔立ちをしているように思える。
細く鋭い切れ長の睫毛、すーっと長く伸びた鼻筋、瑞々しい艶を放っている口元、それらが
要は誰が見ても美人だという感想・・・ではなく、問題は西洋系の顔立ちをした人物に己の言葉が通じるのかということ。
最悪、身振り手振りを試す他ないだろうがはたして・・・
そうしていつまでも続くこの静寂の問答を終わらせようとした矢先。
『こんにちは、上から来た人』
頭の中で鈴の音が響くように、見知らぬ女性の声が聞こえた。
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