第8話 休日

 シェアハウス会議も無事に終わり、やってくるのは平和な日常だが、昨晩の自分の行動に反省し悶えていた。

 それでも、こうして部屋に篭り何もせずベットの上でゴロゴロしているのは至福の時である。


「へいわだねぇ……」


 このまま一日中ベッドの上で過ごしたい気持ちもあったが、、腹の虫がそうさせてくれなかった。やむなくベッドから体を起こし、寝ぼけまなこで一階に降りていく。

 いつもなら誰かしらの会話声が聞こえてくるが、今日はやけに静かだ。

 リビングを覗いてみるも誰もいない。


「ん……?」


 ふと、美味しそうな匂いがキッチンから漂ってくる。匂いに釣られるようにフラフラと足を運ぶと、そこには鼻歌混じりに料理をしている内海さんの姿があった。

 幸いまだ俺の存在には気づいていないため、足音を立てないようにそっとその場を立ち去ろう。


「あいたっ!」


 ドジっ子よろしく、柱の角に小指をぶつけてしまう。痛みに顔をしかめていると、振り返る内海さんと目が合う。


「だれ?」


 警戒心マックスな表情をした内海さんがそこにいた。


「お、おはようございます」


 愛想笑いを交えて頭を下げる。


「……聞いてた?」


 彼女は顔を赤くしながら少しムッとした様子で聞いてきた。さっきの鼻歌を聞かれたと思っているんだろう。その質問に馬鹿正直に答えるような俺ではない。


「なにも聞いてないよ」


「ほんとに?」


 鋭い目で睨まれるが、その表情がどこか可愛らしくて、俺は肩の力を抜いた。


「本当本当。でも、すごくいい匂いがしてたからさ、つい引き寄せられたんだよ」


 彼女の顔が少し緩んだような気がした。


「……お腹空いてるなら、食べる?もう直ぐ出来るんだけど」


「え、いいんですか? ありがとう!」


 俺は感謝の気持ちを込めて微笑み、テーブルに腰を下ろす。内海さんは少し緊張した様子で、キッチンに戻り料理を続けた。数分後、彼女はお皿を運んできて、俺の前に肉じゃがをそっと置く。


「これ……練習中だから、あんまり期待しないでね」


「いただきます」


 箸を手に取り、最初の一口を口に運ぶ。おいしい。全体的にバランスが取れている。もう一口、さらに一口と箸が進む。


「すごくおいしいよ。練習中だなんて信じられないくらい」


「本当に? 嘘じゃない?」


「嘘じゃないよ、すっごく美味しい」


 彼女は照れながらも、どこか安心したように笑った。


「先輩もミアちゃんも料理が上手だから、練習しなきゃって思ってて」


「確かに二人は上手だけど、内海さんの料理も美味しいよ。自信持って」


 ついこの間、出来心で料理をして三人を半殺しにしかけてしまった俺にはそう声をかけるしかなかった。


「内海さんの料理って、なんかこう……家庭の味って感じがする。俺もこんな料理作れるようになりたいなぁ」


 俺は、感心したようにそう呟いた。すると、内海さんは一瞬驚いたように俺を見つめたあと、何かを考え込むように視線をキッチンに向けた。


「そっか、悠紀君がこのシェアハウスに来た理由も家事ができないからだもんね」


 そうだ、生活に慣れることで精一杯だったが元々は家事ができるようにシェアハウスに送り込まれたことを改めて思い出した。

 今はこの間の件もあり、料理禁止令が出されているがこのままでは料理スキルを身につけることはできない。


「それで……悠紀君さえ迷惑じゃなかったら一緒に練習しない?」


「えっ⁈」


 思わず驚きの声が出てしまう。まさか、内海さんからこんな提案をされるとは予想もしていなかった。正直、彼女と一緒に練習なんてしていいのか?迷惑をかけるのは目に見えている。


「むしろ俺の方が迷惑かけると思うんだけど、いいの?」


 そう答える俺の声は、自分でも情けなく思えるほど弱々しかった。だが、内海さんは微笑みを浮かべながら、少しだけ首を傾げた。


「大丈夫だよ。悠紀君が一生懸命なら、私は全然迷惑じゃないから」


 その一言に、胸が温かくなる。彼女の優しさに、自然と心がほぐれていくのを感じた。


「……うん、じゃあお願いしようかな」


 俺は、心の中にある不安を押し隠しながらも、彼女の提案を受け入れることにした。

 提案を受け入れると言うのは烏滸がましいだろう。

 自分でも驚くほど自然に、「お願いします」という言葉が口をついて出ていた。内海さんは、そんな俺の言葉を聞くと、ホッとしたように柔らかく微笑んだ。


「よかった。じゃあ、一緒に頑張ろうね」


 彼女のその笑顔は、どこか頼もしくて温かかった。


「それじゃ早速練習始めようか」


 彼女がにこっと笑って声をかけると同時に、ぐうーっと音が聞こえてきた。


「内海さんもおなかすいてるの?」


 俺の問いかけに、彼女はうつむき顔を隠すようにして小さくうなずいた。「だって悠紀君がおいしそうに食べるから……」


 彼女の声は小さく俺には聞こえなかった。



 一緒にお昼ご飯を食べながら、ふと昨夜のシェアハウス会議のことを思い出す。金子先輩の提案した敬語禁止令。そしてミアさんはさん付けをしないで欲しいって言っていた。


「昨日のシェアハウス会議のことなんだけど……内海さんはどう思ってるんですか?」


「最初は疑問に思ったけど……でも、距離が縮まるかもしれないって思えたの」


 内海さんは少し考え込むように答えた。


「距離、か……」


 俺は思わず呟く。確かに、敬語を使わないことで距離が縮まるっていうのは一理ある。だけど、それが本当にうまくいくのかどうかはまだわからない。


「悠紀君はどう思うの?」


 突然質問を投げかけられ、少し驚いたが、俺も正直に答えた。


「俺は……ちょっと緊張するけど、やってみようかなって思ってる」


 内海さんは少し微笑んだ。


「うん、だからまずは私のこと下の名前で読んでみない?始めはさん付けでもいいから」


 彼女のその言葉には、不思議と安心感があった。そして俺は、その温かい笑顔に応えるように、静かに頷いた。


「内海さん――いや、心……俺頑張るよ」


「いきなり呼び捨ては……」


 恥ずかしさを隠すために俺は下を向いてしまう。彼女の表情は見えなかった。

 お互いに恥ずかしさからか、黙々と箸を進める。

 女子を名字以外で呼ぶなんて小学生以来だ。当時はまだまだ小僧だったからみんな名前でしかも呼び捨てで読んでいたことを思い出す。

 いつから、名字とさん付けで呼ぶようになってしまったのだろうか。

 食べ終わり食器を流しに運びながら俺は朝から気になっていることを尋ねた。


「そう言えばあの二人はどこに行ったの?」


「今日は侑香先輩の部活をミアちゃんが見学しに行ってるの」


「ミアさん――ミアって心と一緒に書道部に入るんじゃなかったっけ?」


「そうだよ。でも、弓道も日本ならではだからって。ほんと、彼女って自由ね」


 彼女は洗い物をしながら楽しそうに話す。


「心は部活ないの?」


「まだ一年生だからって行かなくても平気だったから休んだの……それに悠紀君と二人きりになれるし」


 最後は声が小さく水の音もあり俺には聞こえなかった。


「なるほどね、そうじゃなきゃミアも他のとこの見学行けないもんね」


 今後の週末俺以外の人たちは部活で家にいないことを考えると、俺はますます家事ができるようにならなければいけない気がする。

 思い立ったが吉日、俺は心に頼むことにした。


「洗い物中で悪いんだけど、このあと早速だけど料理、教えてもらってもいいかな?」


「そうしたいところだったんだけど、まずは悠紀君、部屋の片付けした方がいいと思う。一向に綺麗になってないから……」


 心は気まずそうに俺に目を向ける。

 いや、本当に申し訳ない。おっしゃる通りです。

 そんなことを思い俺は掃除をするために渋々部屋に戻るしかなかった。

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