第2話 新しい日常の始まり

「ただいま」


 玄関が開く音と共にただいまという声が聞こえてきた。俺が驚いていると、父さんが落ち着いた様子で話し出した。


「金子さんじゃないかな、悠紀の通う高校の先輩だ」


 先輩?なぜシェアハウスに俺の高校の先輩が?と混乱しながら考えていると、リビングの扉が開いた。そこに現れたのは、黒いロングヘアをポニーテールに束ねた、落ち着いた雰囲気の女性だった。彼女は驚いた顔をみせたが、すぐに落ち着きを取り戻し、自己紹介を始めた。


「初めまして、金子侑香かねこゆうかです。よろしくお願いします」


「は、はじめまして!和泉悠紀いずみゆうきって言います。今日からここに住むことになりました。よろしくお願いします!」


 俺は緊張から、噛んでしまった。先輩の礼儀正しさと落ち着きとは対照的な挨拶になってしまった。あまりの恥ずかしさに俺は顔を上げられずにいると、母さんがさっさと話を始めた。


「あら侑香ちゃん、お帰りなさい。出かけてたのね。驚かしちゃったかしら?」


「はい、用事があったので。鍵が開いていたので驚きましたが、すぐに春子さんの声が聞こえて安心しました」


 そう言った金子先輩は少し疲れた様子で、肩を軽く回した。そんな様子を見た母さんが、すかさず提案する。


「そうなのね、じゃあ先にお風呂に入ってさっぱりしてきたら?さっき沸かしたばっかりなの、疲れも取れるわ。」


「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて……」


 彼女は素直に頷くと、部屋に向かっていった。俺は緊張から解放され、ホッとしながらも、心の中で「これがシェアハウス生活の洗礼ってやつか」と思わず苦笑いを浮かべた。これからの生活が少し心配になってきた。

 先のことばかり考えても仕方がないと思い、まずは目の前のことから少しずつ取り組もうと思った俺は、荷解きの続きをするために俺は自室へと戻ろうとした。

 俺が席を立つと、父さんは「春子、俺は先に帰るぞ」とだけ伝え、母さんに見送られながら俺に「頑張れよ」と、一言だけ言って帰ってしまった。見送った後、母さんに一緒に帰らないのかと聞くと、


「私はしばらく泊まっていくわ、色々と手伝うことがあるしね」


 そう言うと、母さんはキッチンへ向かい、夕食の準備を始めた。


 ***


「悠くん、もう夕飯になるから降りてきて」


「はーい、今行く」


 返事をしてリビングに行くと、食欲をそそる香りが部屋中に広がっていた。母さんが料理をよそると、金子先輩は黙々と皿を運び、手際よく並べていく。その落ち着いた動作に、俺はただ見とれてしまった。

 

「悠くんもちょっと手伝って、こういうちょっとしたことから始めないと成長できないのよ?」


「あ、うん、分かってるよ」


 俺と母さんのやりとりを見てか金子先輩は笑っていた。母さんの手伝いをしながら、先輩の笑顔を見てか、俺は少しずつ緊張が和らいでいくのを感じた。テーブルに料理が並べ終わると、三人で席に着いた。

 夕食が始まると、母さんが先に話題を振り始め、軽い会話が続いた。


「侑香ちゃん、これから高校生活が始まる悠くんに何かアドバイスがあれば教えてあげて欲しいんだけど何かあるかしら?」


「そうですね、最初は誰でも不安になりますよね。でも、周りには頼れる先輩や友人がたくさんできると思いますし、先生方も優しい方ばかりですから、あまり心配しすぎない方がいいと思います」


「そうなんですね……安心しました。でも、まだシェアハウス生活のこともあって、正直不安しかないです」


 俯きながら話す俺に、金子先輩は優しく語りかけた。

 

「分かりますよ。私も最初は不安でいっぱいでした。私がこのシェアハウスに来た時は私1人だったんですよ」


 その言葉を聞いて俺は驚いた。母さんを見ると苦笑いをしていた。


「あはは、なかなか人が来てくれなくて……」


「でも、今はこうやって上手くやれています。春子さんも私を気遣って何度もきてくれました。つまり、何が言いたいかと言うとなんとかなるってことです」


 そんな話をしているうちに、次第に和やかな雰囲気になっていった。


「高校生活とシェアハウスがこれから始まるけど、身近に頼りになる先輩がいて安心ね。悠くん、心配なことがあったら金子先輩に何でも聞いてみたらどうかしら?」


 母さんの言葉に、俺は思わず視線を金子先輩に向けた。先輩はにこやかに微笑みながら、優しく頷いた。


「もちろん、遠慮なく聞いてくださいね。私も学校とここの先輩としてできるだけお力になれればと思います」


 その言葉に、少しだけ心が軽くなった気がした。新しい生活が不安でいっぱいだったが、頼りになる先輩がいることが少し心強く感じられた。


 夕食が終わり、片付けを済ませた後、三人で少し話をした。その後は各々の好きなように過ごす時間となった。

 俺は何度か勇気を出して先輩に話しかけようとしたが、結局話しかけることは出来ずお風呂に入ってリラックスすることにした。

 お風呂から上がり、自室に戻ろうとすると、金子先輩が彼女の部屋に入ろうとする姿が目に入った。声をかけようとしたが咄嗟に言葉が出ない。様子のおかしい俺に気付いた彼女は首を傾げながら、俺に軽く一礼した後、「おやすみなさい」と一言言って、静かに部屋のドアを閉めた。

 自分の部屋に戻り、話しかけられなかったし、おやすみなさいも言えなかったなと反省しながらベッドに倒れ込むと、ここ数日のあわただしい出来事が頭に浮かんだ。

 それと同時に、先輩が自分に優しく接してくれたことを思い出し、次はちゃんと話しかけようと決意した。何も言えなかった自分が情けないが、だからこそ、次のチャンスは逃さないと心に誓う。

「次こそは頑張るぞ」と自分に言い聞かせていると、次第に意識が遠のいていった。

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