一番星の最後

@yotsukikureha

一番星の最後

最近VTuberの卒業が多いな、と感じて「じゃあもし推しが卒業するってなったらどんな気持ちで卒業するんだろう」と考えて思いつきました。


推しのことを考えながら読んでください。

みんなで泣きましょう。

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無機質なパソコンの画面に映る明るくてキラキラした世界。


その世界は今、悲しみで滲んでいた。


長い間、苦楽を共にした可愛い私の分身。

私の部屋を模した背景。

目で追えないほど高速で流れる赤いコメントの数々。

『やめないで』という悲痛な叫びが文字という形で現れ、流れていく。


私はきちんと笑えているだろうか?


「バイバイ!大好きなみんな!」



―今日、私はVTuberを引退する。



☆☆☆


明るい茶髪のポニーテール。

スッと通った鼻筋。

健康的なピンク色の小さい唇。

そして一番お気に入りな、ぱっちり開いた目に浮かぶ、星が煌めく紺色の瞳。


そんな可愛い顔の女の子が、ピンク色を基調とした制服に身を包み、こちらを向いている。


夏星 なつぼし こと。永遠の17歳の女子高生。


勉強はちょっと苦手だけど、

歌とダンスが得意で、

料理は苦手だけど克服中で、

友達が多くて、

可愛くて、

みんなに愛されている。


それが彼女であり、“私”だ。



友達がいなくて、

罰ゲームに告白されるくらいブスで、

不登校のまま高校を退学して、

親にも見放された。


現実の私とは正反対だ。



…そう、正反対。


高校を自主退学してすぐの頃、嫌いな自分を捨てるために、ある日見つけた大手VTuber事務所のオーディションに応募して、運よく合格した。


合格通知を受けた日はもうそれは嬉しくて、部屋で飛び跳ねて「うるさい」って親に怒られた。

怒られた後もベッドの中で幸せを噛みしめていた。


そしてこうも思ったんだ。


“あぁ、これでようやく変われる”って。



翌日からは怒涛の日々だった。

事務所に行ってたくさんの書類にサインして、機材のセッティングをして、デビュー日まで詰め込まれたボイトレ、ダンスレッスンをこなして…とにかくいろんなことをしたし、させられた。


でもその頃は、とにかくデビューできるのが楽しみで、

“新しい自分”を見て気分が上がって、

素敵な同期とも出会えて、

とにかく毎日がキラキラしてて、楽しかった。


それはデビューしてからも変わらなかった。

初配信はとっても緊張して、噛み噛みだったし、頭真っ白になって台本飛んだしで最悪だったけど、同じくらい最高の瞬間だって思えた。


同期とのコラボだって凄く盛り上がったし、歌ってみたも好評で、気がついたらチャンネル登録者数は100万人を超えていた。


その頃には、後輩がたくさんできて、オリジナル曲も投稿していて、企業からの案件もたくさん貰えて、他のVTuber事務所に所属しているライバーさんとたくさんコラボさせてもらって、リスナーさんから素敵な新衣装を考えてもらえて、着せてもらえて、グッズもボイスもたくさん出せて、3Dモデルも4着目をお披露目していて、一度は名前を聞いたことがある舞台で単独ライブを成功させていた。


VTuberとして最前線を走り、牽引する1等星。


そんな風に言われるくらい夏星琴は人気のVTuberになった。


でも、人気になればなるほど、

アンチが増えて、

誹謗中傷が増えて、

事務所内で嫌厭されるようになって、

嫌がらせやいじめまがいのことを受けるようになって、

荒を探そうと燃やそうとする人が増えて、

親からお金を強請られて、

性的な写真や動画が送られてくるようになって、

事務所のために体を売ることを強要されそうになって…



どんどん嫌な経験をすることも増えていった。


それでも、

“私”は明るく笑って前を向いていなくちゃいけなくて、

“私”は堂々としていなくちゃいけなくて、

“私”は清楚で純粋な17歳でいなきゃいけなくて、

“私”はみんなのことが大好きでなくちゃいけなくて、

“私”は…“私”は…



でもある時気づいた。



あぁ、私はいろんなことを経験しすぎたんだ。って。

社会を知りすぎたんだ。大人になったんだ。って。



そしてなにより、私と“私”が乖離していくことに耐えられなくなった。


現実では、

私はいつも下を向いて歩いていて、

私は事務所と家の端っこで縮こまっていて、

私はもう30歳を迎えるくらい年を取って、

私は優しい同期と自分のマネージャーを疑ってしまうくらい人間不信に悩まされて、

私は、私は…


そう考えたらもう悪い考えが止まらなくて、吐きだこができるくらい吐く回数が増えて、精神科への通院と心理カウンセラーに通う回数も増えて、薬の量も増えた。



もう限界だった。



事務所のお偉いさんに体を嘗め回されるのも、触られるのも、

尊敬していた先輩に羽虫のごとく扱われるのも、

目をかけて可愛がっていた後輩に嫌われていて悪口を書かれるのも、

罵詈雑言や誹謗中傷を浴びせられるのも、

VTuberのオフ会でホテルに連れ込まれて危ない目に合うのも、

処女性を求められたり男性とのコラボを制限されるのも、

“私”を大好きだという数々の匿名の言葉を投げかけられるのも、

もう何もかもが嫌だった。


私は偶像に成りきれなかった。



―それになにより、心の支えだった同期の一人が卒業すると知った。理由は覚えていない。


たった3人の同期。

夏の大三角形をモチーフにした3人。

3人揃って初めて成立する三角形。


―それが崩れた。


卒業を告げた彼に泣き縋ったが、彼は困った顔をするだけで何も言わなかった。

ただ、私が泣き止むまで優しく背中を撫で続けてくれた。


その後のことはもうほとんど覚えていない。

どうやって生きていたのかも、どうやって自分の配信を行っていたのかも。

でも確かに“私”は配信をしていたアーカイブが残っていたし、家には洗濯物とお弁当の残骸が散らかっていた。


ついに同期の活動最後の日が来て、私は呆然と彼の配信を見ていた。


なぜか同期の卒業配信を見ていても涙は出なかった。


そのことに私は他人事のように、“あぁ私の心は壊れたんだな”と思い至った。


それでも“私”は配信を続けた。

卒業した同期に対しての質問に、健気な様子を演じて、でもその後はカラッと明るく笑って話題をそらす。

裏垢で私の悪口を書いていた先輩と後輩とのコラボも笑顔でやり切った。


―私は“私”を演じ続けた。



それである日、久々に「あ、部屋を掃除しよう」と思って、部屋のカーテンを開けて驚いた。

空はピンク色に燃えていた。


とてもきれいで、呆然としてしまうほど非現実的で、でも確かに現実に存在する夕焼けだった。

思わず窓を開けると涼しい初秋の風が肌を撫でた。


気がついたら頬に涙が伝っていて、“あ、泣いてる”と分かったけど、涙は止まらなくて、声もなく泣き続けた。


嗚咽だけが部屋に木霊して、空に月が浮かぶまで泣いた。


そうして泣き止んだとき、自然と思い浮かんだ。


“VTuber辞めよう”って。



それからは早かった。

マネージャーと同期2人に卒業することを伝えて、

案件の契約を止めてもらって、

溜まっていた製作途中のものを完成させていって、

やりたかったことをリストアップして、

とにかく一つ一つ消化していった。


毎日が目まぐるしく過ぎていったけれど、私の気持ちは晴れ晴れとしていた。



私がVTuberを辞めることを同期に伝えた時、

卒業した同期の彼は「いいんじゃない?あんなゴミ溜め出ちまえ」なんて勇気づけてくれた。そして「今度3人で遊びに行こう」と言ってくれた。

卒業していない同期の彼は、「織姫と彦星がいなくなったら、僕ただの白鳥じゃないか」なんて軽口を叩いた。そしてこうも言った。


「僕もそろそろ辞めようかな」


私は思わず笑ってしまった。

だって彼がいなくなってしまったら、事務所の女性陣の半分以上が辞めてしまうことが容易に想像できたから。

実際にアプローチを受けているところを何度も目撃したし、これ見よがしに彼に体をくっつけているところを見せつけられた。


それくらい私の同期はかっこよくて、優しくて、いい人で、私の密かな自慢だった。

2人に対する気持ちは恋と言われたら違うかもしれない、でも確かに尊敬と親愛の気持ちが常にあった。



「じゃあスー君も辞めたら同期3人で祝勝会しようよ」

「辞めるのに祝勝会って笑」

「いいじゃん。人間に戻れた記念だよ」

「人間に戻れた記念って笑…確かに“僕”はマスコットの白鳥だけど、」


―そんな未来の約束をした。



☆☆☆


あれから1年。

ついに“私”の卒業配信の日を迎えた。


回線環境も良好。“私”はきちんと動くし、配信画面も大丈夫。

SNSの告知も配信枠も大丈夫。

私の顔も声も大丈夫。


ふと同接数を見ると、既に30万人を超えていた。

こんなに“私”の下に集まってくれていると思うと、嬉しくて自然と笑みがこぼれた。


―舞台は整った。

“私”は椅子に軽く座り直して、配信の開始ボタンをクリックした。


流れ始めるいつもと同じショート動画。

加速するコメント欄。

飛び交う色とりどりのスーパーチャット。

どんどん増える同接数。


“私”は大きく息を吸って叫んだ。


「こんばんは!夏空に浮かぶ大三角形の織姫星!夏星琴です!今日も配信始めていくよ~!」


夏の大三角形の中でも一番明るい織姫星。

明るくて純粋ないつもの“私”のまま、配信を続けた。


―涙なんて決して見せないように。



そして配信時間が2時間になろうとした頃、“私”は最後の言葉を告げた。


「ここまで応援してくれたリスナーのみんな。本当にありがとう!」

「私はVTuberとしてデビューしてからの7年間、すっごく楽しかった!」

「素敵な同期と出会うことができた!」

「たくさんの夢を叶えることができた!」

「やりたいことを全てやることができた!」

「“私”の人生に悔いはないよ!」

「“私”は星に還るんだ!」


ここで一呼吸おいて、“私”は一言一言ゆっくり語り掛けるように言葉を紡いだ。


「もし、君たちが夏の大三角形を見る日が来た時、少しでも“私”のことを思い出してくれたら嬉しいな。君たちの記憶に、少しでも“私”という存在が残ってくれたら、“私”はそれだけで良かったと思えるから」

「“私”を愛してくれてありがとう」


“私”は今までで一番の満面の笑みを浮かべた。


「じゃあね!バイバイ!大好きなみんな!」


そうして配信終了のボタンをクリックした。

そのままパソコンの電源も落とした。


パソコンの画面が真っ暗になり、わたしの顔が映る。


―上手く最後まで笑えただろうか?

―上手く最後まで声を出せただろうか?

―上手く最後まで“私”を演じきれただろうか?



私はボロボロと涙をこぼしていた。


「あぁ、おわった……」

「―ぅう゛……ぁあ゛………お゛わ゛っち゛ゃった゛ぁ゛」


涙が机に落ちて、水たまりをつくっていく。


―楽しかった。

デビューしてからの7年間、本当に楽しかった。


辛かったレッスン漬けの日々も、心を病んでいた日も、嫌なこともたくさんあった。


でもそれ以上に、配信した日が、コラボした日が、同期とふざけ合った日々が、事務所内での大きなイベントが、ライブでの高揚感と一体感が、楽しかった思い出が、走馬灯のように次々と浮かんでは消えていく。


「い゛や゛だ!お゛わりだくない゛!お゛わりだぐなかっだ!」

「お゛わりだぐなかっだよ゛ぅ……」


あれだけ配信で大声を出していたのに、私の叫びは止まらなかった。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」



着ていたTシャツが涙と鼻水で濡れていったけど構わなかった。


「な゛んで!な゛んで!私は゛っ!私は゛…!!」


なんで私は辞めてしまったんだろう…


そんなもの、とっくに答えが出ていたはずなのに…


―今はその答えが正しいかわからない。



やがて空が白み、太陽が地平線から顔を出した頃、

私の意識は夜に沈んだ―



☆☆☆


「ありがとうございました」


卒業配信から数日後、

必要な用事も終え、私は小さいトートバッグに収まるくらいの僅かな私物と、小さい花束を腕に抱え、事務所をあとにした。


もうこの事務所に顔を出すこともないと思う。

VTuberという業界自体から完全に身を引くつもりでいる。

薬も精神科もカウンセラーも私には必要なくなったし。


私は確かな足取りで家に帰り、パソコンを開いた。



とあるフォルダーを開くと、“私”がこちらを見て笑っていた。

VTuberとしての“私”が詰まったフォルダー。

そのフォルダーを消そうとカーソルを動かして…止めた。


この“私”だって私の一部だから。

消すのはなんだかもったいない気がして。

そのままフォルダーを閉じてパソコンの電源を落とした。



ふとカーテンを開けると、あの日と同じように空がピンク色に燃えていた。


「きれい…」


そんな言葉が零れた。


そのまましばらく空を見ていた。



やがて夕焼けがオレンジ色になり、私は伸びをした。

顔には笑みが浮かんでいた。


「さて、夕ご飯の準備をしなきゃね。今日はなに作ろっかな~」


私は配信部屋を出て扉を閉めた。



―こうして誰よりも輝いた一番星は、星空に還った。






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きっと、夏星琴ちゃんはとても優しい子だったんだと思います。一つ一つの言葉に、出来事に胸を痛めて、でも他人の所為には決してしなかったんだと思います。


この後、スー君もVTuberを卒業して、3人で青春時代とVTuber時代にできなかった青春を取り戻すのでしょう。





もちろん、このお話はフィクションです。安心してください。


―読んでくださりありがとうございました。

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