第2話 そもそも食べてもらえません

 この国で信仰されている神様は、火を司る赤の女神・シャーマだ。

 厨房にあるコンロのようなものは、小さな祭壇と見なされている。元の世界でも、かまどの神様とか、聞いたことあったな。

 とにかく、このコンロに女神の恩恵が集まって、火を好きに使うことができるのだ。

(ガスでも電気でもないんだよね。あえて言えばソーラーかな、面白い。もう慣れたけど)


 森杉もりすぎ七歌なのか、というのが私の名前である。

 シングルマザーの母は長期入院中の姉の世話に手一杯で、高校生だった私は授業以外の時間、同居の祖母と弟の世話に明け暮れていた。

 弟もすでに小学生になっていて手伝ってくれたし、私は料理がとても好きだ。だから、友達とはあまり遊べなかったし塾にも行けなかったけど、家事をすること自体はそこまで苦ではなかった。

 でも母が、

「ごめんね、七歌」

 といつも謝っているのが、逆に少し辛かった。


 いつかちゃんと料理の勉強をして自分の店を持てたら、「あの頃に家事をした日々が糧になりました!」と言ってあげられる。母の罪悪感を拭ってあげられる。

 そう夢みていた、高校一年の秋──

 台風が原因で地盤が緩み、海岸沿いの道を土砂崩れが襲ったのだ。

 たまたまその道を自転車で通った私は、とっさに土砂を避けようとして、海に転落した……と思う。


 次に目覚めた時、私がいたのは、ラトラルビーという国だった(名前は後から知った)。

 そう、まるで物語のように、異世界に飛ばされたのだ。

 目覚めた場所が港の端っこの岩場で、すぐ近くで日雇い現金払いの仕事を募集していたのは、本当にラッキーだったと思う。労働者だと思われた私は、成り行きで船の荷下ろしをすることになったのだ。

 なぜか言葉が通じたことも、髪をショートカットにしていてズボンをはいていたおかげで男の子に見られたことも、幸運だった。

 仕事の報酬を得た私は、ヘロヘロで食堂を探し、食事をした。

 そして、さらに開き直った。

「宿に泊まるお金がない。船に乗せてもらえる仕事をしよう」

 私は、船の下っ端乗組員になったのだ。


 時々、家族のことが脳裏をよぎる。

 私が行方不明になって、家族は心配しているだろう。

 でも、そうではない可能性にも、思い当たってしまった。

 家族はもちろん、普段は通らないあんな道で私が海に落ちたなんて、思っていないはず。

 いつも私に謝っていた母……もしかして、私がとうとう嫌になって家出したとか、思ってない?

 弟も、私に見捨てられたって、泣いてはいないだろうか?


(何が起こったのか、伝えられたらいいのに)

 どうしようもなくて苦しい気持ちと、「これはもしかしたら夢かも」と思い込みたい気持ちを行き来しながら、とにかく生きて行かなくてはならなくて。 

 船の厨房で料理の下拵えの仕事をし、ハンモックで眠り、私はいくつかの港を巡った。

 最終的に、ウィンポルトという港町で船を下り、私は生活の基盤を作ることにした。


 食堂で修行を積んだ私は、着々と人脈も作って──

 トリップしてから五年、ついに自分の店を始めた。

 それが、自分の名前から名付けた『七つの歌亭』。ラトラルビー王国の食材を使った和食の店だ。


 店を始めるに当たって、商業組合に許可を取りに行った時のこと。

 商業組合長さんに色々と身の上を話すと、こう言われた。

「言葉が最初からわかったのは、女神シャーマの御業みわざだ。命が危ない時、この国に来て助かったなら、君も誰かを助けるために来たのだろう。女神は、互いに助けを必要とする人同士を引き合わせ、救い合わせる力をお持ちだから」


 だとしたら、トリップしたその場から船に乗ってさっさと離れてしまった私は、救うべき誰かを救えないまま、すれ違ってしまったかもしれない。

 もう、家族を手伝うこともできず。

 女神が引き合わせた人も、救えず。

 私だけが助かったなら……何だか、申し訳なく思う。


(ま、今さら考えても仕方ない! 代わりと言ってはなんだけど、ルナウトさんを助けなくちゃ)

 芋と人参、それに卵は消化がいい。これを使おう。

 砦の厨房でもらった鳥ガラでスープをとり、お芋と人参のスープ、それに卵粥を作った。ここの厨房、調味料は塩くらいしかなくて、他に作りようがなかったとも言えるけど。

 味見をすると、お芋はほろほろ、人参はとろーり。お粥は、米に似たモチモチした穀物で作った。つやつやして、出汁のうまみと卵の甘みを含んで、とても美味しい。

(完・璧)

 二つの器によそい、トレイに乗せた。

(ほーら見た目も美味しそう。食欲も湧くはず!)


 厨房の扉を静かに開け、私は研究室側に出た。

 ルナウトさんは相変わらず机に向かっていて、今度は何か本を読み込むのに没頭している。机の近くにサイドテーブル的なものがあって、空のコップと器が載っていた。

「あの、お食事できました。好きな時に食べてくださいね」

 コップと器をどかし、代わりにトレイを置く。

 ギロッ、とものすごい目つきで、ルナウトさんが振り返った。

 すん、と、鼻が動くのがわかる。

(ふふふ。いい匂いでしょ?)


 ところが。

「……うっ。おえっ」

「えっ? わっ、ちょっと!」

 オロロロロロ。

 私はとっさにトレイをつき出して、それを受け止めるしかなかった。



 さすがに少し、反省している。

 食べ物の匂いだけで気持ち悪くなるくらい、ルナウトさんは本当に食事したくなかったのだ。例えて言うなら、ツワリ真っ最中の妊婦さんに無理矢理食べさせるようなもの。

 彼は出すものを出した後、まるで逃げるようにして、厨房の反対側にある部屋に飛び込んで扉を閉めた。寝室らしい。


(……どうしよう。病気ではなく、食べたがらないだけだ、と班長氏は言ってたけど……)

 あれこれ綺麗にしてから、再び厨房に戻る。

 後でお腹が空くかもしれないので、彼が生で食べていたらしい果物や野菜を、一応皮を剥いて食べやすいように切った。

(でもやっぱり、胃に悪いよねぇ……)

 一応、スープとお粥は冷まして置いておき、さらに卵サンドと柔らかい葉野菜のおひたし的なものを作った。

 温かいと匂いがしてしまうけど、冷たい料理ならまだマシなはず……と願いながら布をかぶせる。黄色に緑と彩りがいいので、食欲をそそってくれるといいけれど。

(明日はもっとちゃんと考えて、材料を持ってこよう)

 そう決心して、私はルナウトさんのラボを後にし、部屋を借りている女性兵士の宿舎に戻った。



 翌朝、宿舎からラボに出勤(?)してみると、私が作った料理はまるまる残っていて。

 生の果物と野菜だけが、消えていた。


 ルナウトさんはその翌日も、翌々日も、私の料理を食べることはなかった。

「作っても無駄だ、捨てる。もう来るな」

 目も合わせず、ルナウトさんは机に向かいながらそう言うだけ。

 米っぽいお粥がダメならパン粥とか、それともゼリーやポタージュ? 食べやすくて匂いがあまりしなくて、冷たくても美味しいものを……と色々試したけれど、一切手をつけない。

 本当に、調理したものは一口も食べないのだ。

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