第10話 ①



及川が優しくなった。

いや、この言い方だと元から優しくないみたいに聞こえるけど、違くて優しかったのがさらに優しくなった。

今だってそうだ。



「これ、使う?」


「え?」


「いや、寒そうにしてたから」


「……いいの?及川が着たいから今日学校に持って来たんじゃねぇの?」



前には見たくない二人が歩いていても気にもならなくなった登校時間。

隣の及川と話していればそっちに集中して周りは眼中に入らなくなった。

けど、今日は会話に集中出来ない。

何故なら、衣替えの季節となり忘れずに冬服から夏服に着替えたのはいいが寒さを感じて震えてた。春から夏へと変わり始めたとはいっても、まだまだ風は冷たく気温も例年より低いと天気予報でも言っていた。

それに、俺は人よりも寒がりだった。常日頃の偏食とお菓子ばかり食べる所為で余計な肉がついてないことが仇となった。肉襦袢がないとこういうことになるから、もうちょっと肉をつけようかなと毎年考えたりするが実行することなく終わっている。

珍しく周りと足並みを揃えれたと思ったらこれだ。こんな寒いなら衣替えなんて忘れてたらよかったのにと後悔していた時に及川から手に持っていたブレザーを差し出された。

願ってもない提案にすぐにでも受け取ろうかと手を伸ばしたがやめた。

だって、ブレザーを持ってきているということは及川が着ようとしていたのかもしれないと気づいたからだ。

でも、そんな俺に及川は緩く笑って首を横に振った。



「別に、俺は寒くないから大丈夫。保険で持ってきただけだから」


「そう、なの?」


「そう。だから、嫌じゃなきゃ着て」


「嫌、ではない。……あんがと」



うわ、優しさの神かよ。

そう感動しながら及川のブレザーを着た。

少しだけサイズの大きなブレザーに悔しくなるけど、それよりも気になることがあった。

それは、着た瞬間にフワッと香った及川の匂いだ。香水とも柔軟剤とも違う匂いに無意識に袖口を鼻の近くに寄せた。

嫌じゃない匂いをまた嗅ごうとした時だ。



「……燈?話聞いてるか?」


「!!きィッ!!てる!!」


「……今、なんか鳴いた?」


「鳴いてない鳴いてない」



本人がいる前で俺はなんてキモいことをしようとしていたのだろうと我に帰った。

恥ずかしくて及川の方を見ることが出来ないから及川がどんな顔をしてるのかなんてわからない。

でも、今はそれでいい。

蔑んだ目で俺を睨んでても立ち直れないし、その逆の顔をしていても(これは絶対ないけど)、なんか色々受け止めきれない。

絶妙なタイミングで声をかけられて、ドクドクと大きく鳴る心臓を落ち着かせるようと胸に手をあてた。そんなこと意味ないとか考えられないほどプチパニックとなった俺はそこまで頭が回っていなかった。

何も言ってこないのをみるに、及川は話すのに夢中になっていたようで俺の奇行を見ていなかったようだと安心した。

何の話をしてたのか聞き直そうとした俺よりも及川の方が話すのが早かった。



「……臭かった?」


「え?ナニが?」


「ブレザー」


「!?な、なんっ、なんでッ!?」


「いや、匂い嗅いでなかった?」



そこは気づいてても気づかないフリをしろよ!

……と叫びたいのを耐えながらどうにか平常心を保とうとするも焦れば口は回んなくなりそれでまた焦ってのループで平常心なんて保ってなんかいられない。

ヤバい。及川に引かれる。

もしくは嫌われる。

いや、そもそも、もう嫌われたかもとチラリと及川を見るもいつもの何考えてるかわからない顔していた。

笑う時も口の端が少し上がるくらい表情筋が職務を放棄している及川だからこういう時は余計に何を考えてるかわからない。

とりあえず、聞かれたことには答えようと口を開いた。



「え、いや、臭くない!別に!」


「ホント?昨日まで俺が着てたヤツで洗濯とかしてなかったし」


「いや、寧ろ……」


「寧ろ?」


「……ナンデモナイ」



あっぶね。自分から墓穴に入るとこだった。

口を滑らせて危うく「いい匂いだったからもう一回嗅ごうとしただけ」なんてキモい発言をするとこだった。

流石の優しい及川でもこの発言は許容範囲外の筈だ。女からならトキメクかもしれないが、男の俺から言われた所でドン引くだけに決まっている。

男女ならばそこから何かが始まるけど、男同士では何かが終わる。

友情とか平穏な学校生活とか。

そんな葛藤をしている俺を知らない及川はぎごちなく見える笑顔を浮かべ話し始めた。



「臭くないなら、いいや」


「そこは安心しろ。全く臭くないから」


「ん。安心した」



男同士なら何も始まらない。

その筈なのに、そのことを否定するように心臓が強く速く音を鳴らしていた。








おまけ  我慢対決 燈が及川家に遊びに行く前のこと





朝、電車に乗ると先に来ていた由良が俺の方へ近寄ってきた。

諦めの悪い由良への呆れと少しの喜びを感じながら早く俺を嫌いになって離れていってくれと願いながら冷たくあしらう。

それでも、めげない由良はこうして毎朝声をかけてくる。

その度に俺は話したい気持ちを抑えてお前になんて興味がないとそっぽを向いた。

でも、これだけでヘコたれるくらいの精神力ではないことを俺は知っている。昔から頑固で懲りなくて我慢強い性格だということを身を持ってわからされている。

だから、これは俺と由良の我慢対決だ。

どちらが最初にギブアップして絆されるのかそれとも、拒絶するのかの。

俺だって髪を染めてピアスを開けた時に相当な覚悟を決めたんだ。

簡単に折れてなんてやるもんか。

それに高校で出会って仲良くなったアイツらとの生活を手放したくないと思い始めている最中だし、プラスで昔からずっと遠くから見ているだけの存在だった及川とも話せるようになれたことでもっと仲良くなりたい欲が芽を出してしまった。そのお陰なのか最近は由良のことを考えることも見ることも少なくなってきていた。

これは嬉しい変化な筈だ。

俺が前を向いてきているという小さな変化。

由良がいなくても大丈夫になってきているという証。

電車が最寄り駅についた。

電車から降りると当たり前に横にいる由良にどうしようかと頭を悩ませていたら、最近聞き慣れてきた鈴の音が聞こえた。その鈴はここら辺で有名な寺から買った鈴(前に聞いたら教えてくれた)で他の鈴とは違って可愛らしい澄んだ音色を出すから見てなくても誰がいるのか一発でわかってしまう。

鈴の音がした方を見ると予想通り、及川がいた。



「及川」


「……ん。おはよ」


「はよ」



急いで駆け寄ると眠そうだった顔が緩く微笑んで出迎えてくれた。それが嬉しくて俺も笑うと、「なんか良いことあった?」と言われて素直に「及川と会ったから」と言えば目を少し見開いた後にチラリと背後を見て「……あぁ、なるほど」と呟いた。



「及川?」


「いや、なんでもない」



そういえば、俺の後ろに由良がいたっけ。

及川との遭遇で忘れていた。でも、これで由良と二人きりという状況を逃れることが出来る。

けど、さっき及川が一人で何に納得したのかよくわからなかったが、その後は普通に話してくれたし大したことではなかったんだろと気にしないことにした。





▽▽▽






授業と授業の合間の10分休みとはトイレや次の授業の準備の為の時間の筈だ。

あとは席の近い人同士で話したりして先生が来るまでの時間を潰す。

その時間の筈なのに、



「燈」


「……由良」



懲りずに来やがった。

せっかくミハルと楽しく話していたのに。

ミハルは優しいから由良が来ると黙ってしまう。その優しさは今は必要なかったと心の中で思うも来てしまったのは仕方ない。

あとはどうにかあしらいつつ奴の彼女がトイレから帰ってくるまでの時間を潰すかを考えなければならないと頭を回すも思いつかずに助けを求めるようにミハルを見た。



「……燈?」


「二人で何の話してたの?」


「……」


「……ゲームの話」


「ふーん、そうなんだ」



答えない俺の代わりにミハルが答えてくれた。けど、由良は適当に返事をしながら相変わらず俺をジッと見つめていた。それはまるで答えない俺を責めているみたいだったけど、それも無視した。

そんな地獄な空気の中に突如キンキンとした甲高い声が割って入ってきた。



「由良!何してんの?」


「リナ。……先に席に戻ってて」

「えー、やだぁ!一緒に戻ろぉ?」



由良はまだ俺と話したそうにしていたが、愛しの彼女からの可愛いお願いに逆らうことなく大人しく引き摺られるように席に戻っていった。由良の可愛い可愛い彼女は由良が前を向いているのをいい事に俺の方に振り返り鬼の形相で睨みつけてきた。

だけど、俺はそれをただ黙って見つめ返した。



「女の子、苦手になりそう」


「それは、……すまん」



珍しく真顔になったミハルにそう言われた。

俺の所為で女子恐怖症にでもなられたら申し訳ないから、フォローする為に「アイツが特別裏表激しいだけだから安心しろ」と言ってみてもあんまり効果はなかった。






▽▽▽




「燈、まだ部活始まらないから一緒に」

「悪い、ミハル達と帰るから」



諦めの悪い由良は今日も変わらず帰りにもやってきた。呆れを通り越して一瞬だけ凄いと言いかけたが、何が凄かったのか一瞬で見失いすぐに断りの言葉を言う。

そっちがその気ならこっちだってめげずに断り続けてやるともう当初の目的である由良に嫌われようと努力するなんてことは忘れて、ただ頷いてたまるかと意地になっていた。

そして、由良の方を見ることなくミハルの手を掴んでシマと及川の元へと向かう。

これだけのことをしたんだから、幾ら頑固で我慢強い由良でも、きっと明日こそ話しかけてこなくなるに違いないとほくそ笑む俺に現実はそう甘くはないと明日からも思い知らされることになるなんてゲーセンで遊ぶ能天気な俺は考えてもなかった。



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