第2話

「カレン様、伯爵様がお呼びでございますよ」

「わ、分かりました…」


カレンがいつものように伯爵夫人としての勉強に勤しんでいた時、伯爵家で使用人を務めている女性がそそくさとカレンの元を訪れ、静かな口調でそう言葉を告げた。

カレンはその内容を素直に聞き届けたものの、その言葉を発するときの彼女の様子になにか違和感を覚えた様子…。


「(な、なんだろう…。この人、なにか楽しそうな様子で私にそう言ったような…。伯爵様が私を呼んだことと、何か関係でもあるんだろうか…)」


そう、カレンにその事を伝えに来た使用人は、どこかうっすらと笑みを浮かべていたのだった。

その笑みが意味するものをカレンはここでは理解できなかったものの、その後グレムリー伯爵の元を訪れた時、その意味を知ることとなる…。


――――


コンコンコン

「失礼します」


カレンは非常に丁寧な所作で挨拶を行うと、部屋の中からの返事を確認した後、丁寧に伯爵の待つ部屋の扉を開け、その中に足を踏み入れた。


「よく来た。まあ座ってくれ」


そんなカレンの事を、伯爵はあまり普段と変わらぬ雰囲気で迎え入れる。

しかし伯爵もどこか、さきほどの使用人と同じようにうっすらと笑みを浮かべているように見て取れる。

カレンはグレムリーから促らされる形で用意された椅子に腰を下ろすと、そのまま伯爵に対してこう疑問の声を上げた。


「あ、あの…。私、なにか伯爵様のお気に触るようなことをやってしまいましたか…?」

「ん?」


カレンは伯爵を前にして、やや少しその体を震わせていた。

…というのも、伯爵が直々にこうして自室までカレンの事を呼び出すことは過去にほとんどない事であったため、カレンはその心の中で、自分がなにか伯爵の期待を損ねるような事をやってしまったのではないかと不安に思っていた。


「わ、私まだまだ勉強不足で、伯爵様のお隣に立つには相応しくない女だという事は理解しています!だ、だからもっともっと勉強します!お役に立てるようになります!だ、だから…だから、なにかお怒りの事がありましたら…」

「あぁ、そういうんじゃない。別に謝る必要はない」

「ほ、本当ですか…?」

「あぁ。だからそう気を荒げるのはやめてくれ。私にとってはその方が迷惑だ」


本気で心から伯爵の事を心配していたカレンの思いをよそに、グレムリーはそんな彼女のことをどこか他人事のように言ってのける。

しかしその言葉を聞いたカレンはやや自身の心を落ち着かせ、さきほどまで震わせていた自身の体は少し大人しくなったことを感じた。


「そ、それでは伯爵様、私へのご用件と言うのは…?」

「あぁ、単刀直入に言おう」


伯爵はなにか重要な事を告げるような雰囲気はみじんも感じさせず、なにか小さな用事を頼む程度の雰囲気でカレンに向き合う。

ゆえにそんな伯爵の姿を見たカレンも、今後の関係に大きく影響するような言葉を告げられるなど全く思ってもいなかった。

…そんなカレンに対し、伯爵は非常に軽い口調で、挨拶でもするかのような雰囲気でこう言葉を告げた。


「カレン、君との婚約は終わりにすることに決めた」

「……!?」


その時、二人の間の時間は固まった。

…というよりも、止まったのはカレンの時間だけだったのかもしれない。

彼女は伯爵が言ったの事の意味をしばらく理解することができず、その場で体を完全に硬直させてしまう。

しかしそんなカレンに構わず、グレムリーはそのまま自分のペースで言葉を続けていく。


「突然こんなことを告げられて、頭が混乱してしまっているかもしれない。しかしすまないが、私は見つけてしまったんだ…。これはもう真実の愛であるとしか考えられないほど、私の心を高ぶらせてくれる女性の事を…。私が探しても探しても現れることはないであろうと心中であきらめてしまっていた、将来を捧げるにふさわしい人物を…!」

「は、伯爵様……わ、私…伯爵様のために、必死に……」

「その女性はすごいんだ!私が喜ぶことを何でもやってくれるんだよ!さらに彼女と一緒にいると、日々の仕事で荒んだ心が癒されていくのを感じるんだ…!これはもう彼女と結ばれるほかないと確信したんだ!」

「寝る間も惜しんで……毎日必死に勉強して…それで…それで……」


カレンは千切れそうな声を紡ぎ出し、伯爵に対して自分の思いを伝えようと必死にある。

しかしそれらの言葉は全く伯爵には届いていないばかりか、伯爵はそんなカレンの思いなど全く気にもしていない様子で自分の言葉を続けていく。


「だからまぁ、もう君に用はなくなった。お店で見かけた時はかわいいなと思ったんだが、正直もう飽きてしまってね。まぁこのまま強引に関係を続けてもお互いのためにならないし、いいタイミングだとは思ってくれないか?」

「そ、そんなのって……」


カレンはその瞳に涙を浮かべ、伯爵からの仕打ちに耐えられないという表情を浮かべる。

しかしすでに思いを固めてしまっているグレムリーにはそんな彼女の姿は全く何とも思えないようで、彼は最後に決定的な言葉を発した。


「…カレン、普通に考えれば私たち二人は、全く釣り合っていない関係だろう?なんの魅力も立場もない君がこの私と結ばれるなど。普通の神経の女なら、そんな恐れ多いことはできませんと言って誘いを遠慮するのが当たり前じゃないのか?」

「……」


自分から仕組んだ婚約でありながら、どこまでも一方的な言葉を繰り返す伯爵。

カレンの言葉はもはや伯爵に届くことはなく、彼女はただただ湧き出る自分の思いを胸の中に封じ込め、声を殺すほかなかった…。

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