第4話 昨夜はお楽しみでした
「ちょうど、そのお茶は切らしておりまして。代わりにビールをご用意しました」
引っ越し祝いでもらったブランドのコップを急いで開封し、ビールを注いで差し出した。ビールで良いのか迷ったが、自分だけビールを飲むのも失礼かと思い提供することにした。
「お気遣いありがとうございます。ビールなんて高級品までご用意いただいて」
「とんでもない、どこにでも売っている普通のビールですよ」
「そうなんですか!ビールは貴族が飲むイメージしかありませんでした。」
彼女は直ぐにでも飲みたいといった表情でビールを見つめていたので、なんだか僕も嬉しくなった。今日は色んなことがあって疲れたが、こんな素敵な女性と乾杯ができるなんて最高である。
「では、とりあえず飲みましょうか」
「はい、いただきます」
僕がビールを飲もうとした瞬間、彼女のビールは無くなっていた。正確には、いただきますと言った時点で無くなっていたのだ。何が起きたのか。いや、答えは分かっている。彼女は目にもとまらぬ速さで飲み干したのだ。
「ご馳走様でした。大変おいしかったです」
「あ、いや、よかったです」
もう、ツッコむ事はやめよう。いちいち反応していたら、この後の話についていけなさそうだ。
僕がビールを半分ほど飲んだところで、彼女から話を切り出した。
「サトウさん、この度はご契約いただきありがとうございました。サトウさんのお陰で首の皮が一枚繋がりました」
突然の告白に僕は思わず咽てしまった。
「いや、ごめんなさい、何の話かな?」
「サトウさん家のお手洗いを、私の国と繋げる契約をして頂いたことです」
「そんな契約覚えがありませんよ?お手洗いを国と繋げる?意味が分かりませんが?」
彼女は目を見開き驚いた様子だった。がしかし、思うところがあるような表情でもあった。
「いやでも、ほら!契約書がありますよ!」
彼女は胸元から紙を取り出して僕に渡した。そしてそれは、温かかった。ありがとう。
紙を手に取った時、僕は何か違和感を感じた。自称異世界人のルナさんが持ってきた紙なので、僕は羊皮紙のようなものを想像していたが、彼女が出した紙は明らかに質の悪いコピー用紙だった。
記載されている内容も、既視感があった。恐らく賃貸契約の際に見る機会の多い書式だ。というか、完全にこのアパートの賃貸契約書だった。書かれているサインについても、僕の名前が書かれていたが、筆跡が明らかに異なっていた。
「これはただの賃貸契約書ですよね?僕の筆跡でもありませんし、ただの詐欺にしか思えませんが」
「違います!これは、間違いなくサトウさんとの契約書なんです!3ページ目を見てください!」と彼女は食い気味で言った。
言われるままに3ページ目を開くと、ボールペンで後から書かれた箇所があった。字が震えていて読みにくかったので、確認の意味を込めて声に出して読んでみることにした。
「なになに、この契約書にサインした場合、甲はトイレをゲートとして無料で貸し出すことに同意したこととする。なお、契約には甲の体液が必要である」
全然意味が分からなかった。ゲートが何かは分からないが、要は公共のトイレにするってことなのか?
「すみません、ゲートって何ですか?」
「私も詳しくはないのですが、別の世界の特定の場所とサトウさん家のトイレが繋がっていて、一瞬で移動できるんです。私の国では王立図書館の喫煙所が繋がっていますね」
「本当にそんなことが出来るんですか?本当にルナさんは別の世界から?」
「最初は戸惑いますよね。でも間違いなく私は別の世界からやってきました。ワヤマさんと外を歩いたときに確信したんです。全く別の世界だって」
彼女は何か思い出したのか、笑いながら言った。僕の視線に気が付くと、真面目な顔に戻り話を続けた。
「ゲートについても本当なんです。目を瞑ったら移動してしまうんです。ただ、こちらの世界の人は私のいた世界へは移動できない可能性が高いです。ワヤマさんが何度試しても移動できなかったので」
僕は聞きたいことが多すぎてパニックになりそうだった。最早ドッキリであって欲しい。
しかし今はっきりしていることは、この件の真相についてはワヤマという男に確認する必要があるということだ。
「ルナさんがおっしゃることが本当かどうか、僕にはわかりません。なので、ワヤマさんに直接確認する必要がありそうですね。あと、この契約書には僕の体液が必要と書いていますが、血判なんて絶対押しませんよ!」
「体液はその…もう…頂いております」
ルナさんは目線を逸らし頬を赤らめ、ばつが悪そうにしていた。
「まさか、僕の血をすでに取ったんですか!?」
ワヤマといい、この人達はどこまで僕の許可なく物事を進めているのか。人間不信になりそうだ。それに血を取られたことを想像すると寒気がしてきた。
「いえ、血ではなくですね…」
「そこのごみ箱に入っていたティッシュからもらったんだよ。まぁ、何かまでは言わなくてもよいよな?」
キッチンの方を見ると、そこにはワヤマが立っていた。
「いつの間に来てたんですか!?それにティッシュって」
僕は、昨日の夜の行動を思い出した。それに加え、ルナさんの赤くした頬を見て確信した。
「血じゃなくてよかったですよ」
僕は恥ずかしい気持ちを必死に抑え込み、誤魔化すことにした。
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