料理
学校での時間はボクにとって、一番憂鬱だ。
教室前の廊下で、壁際に詰められて胸倉を掴まれるのはいつものこと。
「お前、学校に来んなって言ったよな」
「……いやぁ……そんな事言われ――」
ぺちん、と軽く頬を叩かれて、勝手に口が閉じてしまう。
ボクの胸倉を掴む男子は、嫌悪感に満ちた眼差しでボクを見下ろす。
隣に立つ女子は、「ねえ。早く行こうよ」と急かしている。
これはいつもの景色だ。
「お前が来ると性病
それだけ吐き捨てると、さっさと行ってしまった。
残されたボクは痒くもない頭を掻いて、次の授業の準備をする。
教室の中に戻り、カバンの中から教科書を取り出す。
いや、取り出そうと思ったのだが、指先に変な感触がした。
「何だ、これ」
取り出してみると、ボクは思わず絶叫した。
「み、ミミズ!?」
教室にいた生徒達から爆笑が起こった。
机の上で苦しげにもがくミミズが、芋虫のように表面を這う。
慌ててカバンの中を覗くと、教科書の上には土がついていた。
他にもミミズが何匹かいる。
「バカでぇ!」
「はっはっは!」
周りを無視して、ボクはカバンごと持って廊下に出た。
廊下の窓を開けて、ミミズを摘まみ、全部外に落としていく。
窓の外は、中庭に通じている。
芝生の上にボタボタと落ちていくミミズを眺め、ボクは奥歯を噛んだ。
*
家に帰ってくると、ようやくボクの時間だ。
親は今日もいないけど、チャットに『今から仕事行ってくるね』と連絡が入っていた。
ボクは『気を付けてね』とだけ送る。
「ふうぅ。……あと、もうちょっとで夏休みだ」
玄関先の段差に座り、ボクは小屋の方をボーっと眺めた。
学校にいる時からずっと体の芯が氷みたいに冷えていた。
気温は暑いけど、別の汗まで全身に滲んでくる。
「世界……滅ばないかなぁ……」
ポツリ、と口にした。
どうして、世界に滅んでほしいかというと、特に理由はない。
公言したら、色々な人から怒られるだろうけど。
単純にボクはボクの見ている、この世界が大嫌いなのだ。
そうやって考えていると、ボクの胸には雪が降り積もるように、もやもやとした感情が募っていく。
「グロ―アさん……いるかな……」
口にするよりも早くボクは立ちあがった。
長靴に履き替えようかと思ったけど、面倒なのでシューズのまま裏山の方に向かう。
相変わらず、生い茂った草木はボクに躊躇いを生じさせる。
でも、少し立ち止まって、再び歩を進めた。
上から垂れ下がった枝を手で避けて、車庫の裏側に行く。
すると、夢でも幻でも、ちゃんと家はあった。
家の前に立ち、扉をノックする。
返事を待ったが、うんともすんとも言わない。
留守かな、と思い、踵を返した。
カチャ。
背中を向けた途端、扉が開いた。
「こ、こんにちわ」
挨拶をして、扉を押す。
首を伸ばして中を覗くと、ソファに座ってるグロ―アさんを発見した。
「あぁ、ハルト君。こんにちわ」
振り向いたグロ―アさんがにっこりと笑った。
前に屈んで扉を潜ると、何やら甘ったるい匂いが鼻の奥に届いた。
テーブルの上を見ると、そこには道具が一式並んでいる。
白い布の上には野草があり、隣にはすり鉢。
「何ですか、それ?」
「薬」
「薬って……」
一瞬、危ない薬を想像してしまう。
「君が考えてるようなものじゃないよ。ほら。これ。道端で見たことがあるだろう?」
指で摘まんで見せてくれたのは、桑の実だった。
他にも、見たことのある細い葉っぱがある。
細い葉っぱの方は、薬味ネギに似ているやつだ。
「薬なら、お店で買えばいいんじゃ……」
「あはは。お店かぁ。……あ、こっちにおいで」
隣を叩かれ、ボクは促されるままにグロ―アさんの隣に座る。
「お店で売っているものは、副作用があるからね。これは、ないよ」
「でも、ただの雑草ですよ」
すると、グロ―アさんは呆れるわけでもなく、にっこりと笑った。
「野草はね。ハルト君。お店で売っている物より良いよ。例えば、これ。ヤブガラシっていうんだけど。茎を千切ると、トロっとした液体が出てくるんだ。これを……」
グロ―アさんがボクの腕を取り、赤く腫れてる部分に塗った。
指の平に付いた粘液が伸ばされていく。
「塗ると、虫刺されに効果がある。他にもクズは葛根になる。今、作ってるのはお茶だよ」
「……詳しい……ですね」
「昔からの生業だからね。ワタシ達は、……本来、人を助けるために生きてるんだよ」
甘い匂いを辿ると、カウンターの方が目についた。
ハチミツだろうか。
シロップの匂いがする。
「ちょうどよかった。ホットケーキを作ってるんだ。手で作るのは久々でね。今日はハルト君が来るだろうと思ったから、前もって生地は捏ねておいたよ」
エプロンに付いた葉っぱを手で払い、グロ―アさんがカウンターの向こう側に立った。まるで、料理をするイメージがなかったから、意外だ。
ボクも立って、カウンター越しに料理する姿をじっと眺めた。
しかし、これまた意外なことに、グロ―アさんの包丁捌きが怪しかった。
「……普段、料理とかしないんですか?」
「滅多にしないね。野草を生で食べたり、茹でたりするくらいだから」
「野草って食べれるんだ……」
食べれる物は、タンポポくらいしか思い浮かばない。
一つくらいしか知らないから、野草が食べ物という認識がなかった。
「んー……」
バナナを切るだけで、苦戦している。
意外とグロ―アさんは料理が下手なようだった。
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