目を覚ますと、ボクは学校にいた。


「えー、……ここの計算の仕方は必ず覚えておくように」


 数学の授業だ。

 目だけを動かして、周りを見る。

 皆、つまらなそうに黒板を見つめ、ノートにペンを走らせていた。


(あ、れ。ボク、登校中だったような……)


 誰もいない地元を歩いていたはずだ。

 廃都市のように無人の道路を歩くのは、すごく気持ち良かった。

 でも、途中から夢の記憶がなかった。

 思い出そうとしても、頭の中で何かが引っ掛かって、全然出てこない。


……夢だったんだろう……)


 ボクが黒板の方を見ると、ギョッとした。

 全員がボクの方を見ていたのだ。

 マネキンみたいに固まって、ジッと視線だけをくれている。


「中井。分からないところあるか?」

「……い……いえ」

「そうかぁ」


 まだ見ていた。

 顔に何かついてるかと思い、口元を拭う。

 周りの視線に耐え切れなくなり、ボクは教科書を立てた。

 教科書の陰でノートを取る振りをして、ジッとしていると、どこからかスッキリとした甘い匂いが漂ってきた。


「あれ、この匂い……どこかで……」


 匂いを辿って振り向くと、口に冷たい感触が当たった。

 目の前には、真っ白な頬。

 黒い目がすぐ傍から、ジッとボクを見ていた。


「う、わ!」


 驚いた拍子に椅子が傾く。

 危うく椅子から転げ落ちる所だったが、腕を掴まれて支えられた。


「驚かせてごめんね」

「ぐ、グロ―アさん!? 何で、ここに?」

「学校に行ったことがないから、……どんな場所か気になったんだ」


 グロ―アさんがニコニコと笑って、ボクの隣に立っていた。

 周りの反応を窺うが、誰も何も言わない。

 それどころか、ボクをじっと見つめたまま硬直している。


 おかしい。

 バカなボクはようやく気付き始めた。

 何がおかしいかと聞かれたら、具体的に答えられる自信がない。


 一つ言えるのは、ボクの見ている世界が全ておかしくなっているということ。


「え? え?」

「数字を教えてもらっているのか。へぇ……。進んでいるねぇ」


 グロ―アさんは黒板の前まで歩き、書かれている内容を眺める。

 先生のすぐ隣に知らない人がいるというのに、何で誰も反応を示さないのか。


「わ、悪い夢でも見てるのかな」

「悪くはないさ」


 グロ―アさんが振り向くと、クラスメイトが全員立った。

 さっきまで何も持っていなかったのに、いつの間にかクラスメイトは大きな写真立てを持っている。

 黒い額縁で、自分の写真が入った写真立てだ。


「ワタシとハルト君は友達なんだよ。これからの付き合いを考えれば、……隣人に尽くすのは当然じゃないかな」


 薄く笑みを浮かべたグロ―アさんが、ボクの机に手を突いた。

 こんな事を言うのもなんだけど、太陽の明かりに照らされない方が、グロ―アさんは美しく見える。


 でも、その美しさに違和感があった。


 誰もいない町を歩いた時だって、そうだ。


んだ……)


 ふと、ボクはそんな事を考えた。

 世の中に美人と呼べる人はたくさんいる。

 でも、

 だから、ボクや他の人は「人間」として見る。


 じゃあ、完璧な美貌を持ち、不可思議な現象を連発させる人がいたら、何て呼ぶんだろう。


 ボクは例えようのない感覚に戸惑ってしまう。

 ボクが固まっていると、グロ―アさんは首を傾げた。


「ハルト君」

「あ、はい」

「君は、……この場で消えてほしい人がいるかな?」

「……へ?」


 思わず聞き返してしまった。

 グロ―アさんが回り込んできて、ボクの肩に顎を乗せる。


「これは――ワタシの予想だけど――」


 クラスメイトの数人に異変が生じた。

 肌の色が急に変わり、灰色に染まっていく。

 斜め向かいの女子と二つ前の男子。

 その周りにも何人か。


「この子達が……嫌なんじゃないかな?」

「いや、別に」

「隠さなくていいよ。ワタシはさ。君みたいに欲のない人間がいると、……どうしてもイタズラしたくて仕方ない。ふふ。性格悪いよね」


 耳元で囁かれ、背筋がゾクリとした。


「でも、尽くしたいのは本当なんだ。ワタシは誰かの喜んでいる顔を見るのが、とても好きでね」


 湿った風が耳の穴に入り込んでくる。

 同時に耳の奥にまで得体の知れない何かが浸透し、耳から首筋に掛けて、ゾワリとした。


 何で、そうしようと思ったか自分でも分からないけど、ボクは何かに抵抗して、ぐいっと体を離した。


「ぐ、グロ―アさんって、……何か変ですよね?」


 恐る恐る隣を見上げると、グロ―アさんがきょとんとした。


「ワタシが?」

「変ですよ。何か、手品をずっと見せられてるみたいで。掴みどころもないし。何か、……何か……幽霊……みたいな」

「幽霊、……ふむ。手品……。なるほど……」


 ふい、と横を向いたグロ―アさんは、黒板に向かって指を差した。


「こんな感じかな?」


 パチン、と指を鳴らす。

 教室に響いた音色はとても綺麗で、弾く音が反響していた。


「嘘でしょ……」


 黒板の方を見ると、クラスメイト全員がおかしなことになっていた。

 全員がブクブクと太り出したのだ。

 例えるなら、まるで風船のように。


「物欲もダメ。復讐もダメ。……君は本当に不思議だね」


 顔の原型がなくなるほど膨らんだ皆は、勢いよく破裂した。

 いくつもの破裂音が重なり、教室中に白い粉が舞った。

 いきなりの事に、ボクは絶叫した。


「ええええ! 何で! み、みんなは!?」


 グロ―アさんはボクをじっと見つめ、難しそうな顔をしていた。

 首を傾げて、小さく唸っている。

 現状に相応しくない反応をされて、ボクまで困った。


「ふぅ。……今日はお開きにしようか」


 腕を組み、人差し指を天井に向かってグルグルと回す。

 すると、窓越しに見えていた晴れ空が一気に暗くなり、教室の中も真っ暗になった。


「――君の事が――全然分からないよ――」


 グロ―アさんの声がこだまし、ボクの意識は暗闇に落ちていく。


 *


 目を覚ますと、ボクはソファに寝ていた。


「お、わ」


 隣にはガラステーブル。

 上を向くと、グロ―アさんがいた。


「おはよう」


 その言葉を聞いて、やっと我に返った。

 グロ―アさんの家でジュースを飲んだ後、ボクは眠ったらしい。

 今いる場所は、グロ―アさんの家だ。

 寝返りを打つと、頬には生地のざらついた感触が当たった。


 テーブルの下まで続く長い脚。

 ボクはグロ―アさんに膝枕をされていたみたいだ。


「幽霊だ……」

「違うよ」

「じゃあ、何なんですか!」


 頭がボーっとするけど、ボクは無理やり体を動かし、グロ―アさんから離れた。グロ―アさんはソファにもたれ掛かり、穏やかな顔で答える。


「少なくとも、……君に悪さはしないよ。隣人だからね」

「うぅ。頭が、ボーっとする」

「初めてだからね」


 白い歯を見せて、にっと笑ってくるのだ。


「心のもやもやは……消えたかな?」

「もやもやって……」


 胸に手を当ててみる。

 言われてみると、どこか気分がスッキリしていた。

 見た夢は良いとは言えないけど、不快感はない。


「また、来るといいよ」


 グロ―アさんは指を口元に当て、くすくすと笑った。

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