第2話 Beef
「世界が終わる日に何を食べたいか?」
そんな命題に対して私の出した結論は「食うや食わずの日々で食べるものを選べなくなって、乾パンでも食べるのだろう」だった。
私は世界が終わる日を想像して、そう結論づけた。この結果は腹を満たすものではない侘しい内容だし、思考展開にも不満は無いものの、ミスリーディングだった。
「晩御飯何食べたい?」って質問に「今は元気だけど夕方には気分悪くなるから寝てたい」と方向がズレてしまっている答えみたいだ。
英語の基本ルール「疑問文の動詞を使って回答する」に沿った回答ではなかった。
乾パンは、正直食べたくはない。長期保存に適した食べ物で、一口目はひっじょーに固くてビスケットに似せて色を塗った岩かと思うくらい固いけどもガリガリと噛んで口の中の水分を乾パンに与えているうちに食感が変わり、普通のビスケットを食べている感覚になる。口の中が乾くけど。
そういえば乾パンというのは歴史が深く、古代ローマ時代には戦争の際の食事に支給されていたらしい。
古代ローマ時代は紀元前753年に建国されたローマ王国に始まり、紀元前509年のローマ共和国、紀元前27年から紀元476年の西ローマ帝国皇帝ロムルス・アウグストゥルス退位までを指す。
1000年以上続いた古代ローマ時代のどの段階で乾パンが支給されたのかまでは聞いていない。この乾パンと古代ローマ時代のくだりは家庭科のおばさん先生がチラッと授業中に言っただけで「興味ある人は調べてみてね〜」と促していたが、私は耳に残っただけでそれ以上興味が湧かなかったので調べていない。
その時の授業は「保存食について」で乾パンの優れた性能を叩き込まれた。
師曰く、「乾パンと云ふ糧食は含水量が極めて少なし、故に厳寒環境に於いても凍らず、食べることが可能なり。我が国では天保13年即ち1842年の伊豆韮山にて非常時に備え、長期保存のきく軍用携帯食として焼かれたパンが始祖なり。以来改良を重ねて現在の乾パンの形となる」とのこと。
口調は私が魔改造した記憶だ。
保存食として世界中で流通、保存されていることから、世界が終わるまさに「この世は世紀末」と言った時代でも主食になっていることだろう。
優れた食料であることは認めている。分かっているから2回言う。優れた食料である。
いざという時、命を一刻一日と延ばし繋ぐために乾パンは充分以上の働きをしてくれることは間違いない。
が、自分の命が尽きる前には好きな食べ物食べたいと思ってしまう。
そう考えを改めたのは単純にお腹が空いたのだ。
地球最後の日、月が落ちてくるまでの日々を空想していた時はお弁当(お母さんが作ってくれて、メインのおかずはアスパラのベーコン巻き、バター醤油の味付けとアスパラの食感が最高だった)を食べた後で満腹だった。
満腹の状態では何も食べたくない。サバンナの肉食動物たちだって満腹なら草食動物を襲わない。
食べ盛り育ち盛りだって満腹ならおにぎり一個も口に入れたいとは思わない、すぐお腹は空くけど。
というわけで世界が終わる日に食べたいもの=今食べたいものがポンポンと思い浮かぶ。
焼肉、オムライス、ハンバーグ、ラーメン、カレー、おにぎり、ブリトー、ピザ、フライドチキン、唐揚げ、すき焼き、コロッケ、ダブルチーズバーガー、月見バーガー、絶品チーズバーガー、マックの揚げたてポテト。
食べたいもの一つとっても色々思い浮かぶ。焼肉なら、タンをネギ塩だれで白ごはんと一緒にとか、味付きカルビを白ごはんにチョンと置いて余分な脂やタレを落としてから食べたりとか、ホルモンをモキュモキュと噛んだりとか。
あの噛みきれないホルモンの名前は何ていったっけ、シマチョウ?マルチョウ?
前に家族の誕生日祝いで行った焼肉屋さんで食べたお肉はどれも美味しかった。
〆に食べた牛すじカレーはもっと美味しかった。
牛といえば、中学の英語の授業で「CowとBeef」の違いを英語教師がサラリと熱弁していたのを思い出す。
生きた牛がCow、死んだ牛がBeefなのだけども、Beefの語源であるフランス語のBoeuf(ブッフと発音)は生死を問わず牛を指していた。
11世紀のフランスによるイングランド支配の際に、イングランドを支配したフランス人上流階級が牛肉のことを「Boeuf」と呼んだことから、牛肉が英語でBeefとなったらしい。
フランス人上流階級が生きた牛を見ても「Boeuf」と呼んでいたら、CowとBeefの呼び分けも生まれなかったかもしれない。
ちなみにフランス語では成牛のBoeufと仔牛のVeauで呼び分けされている。
その英語教師は相当の牛肉好きで、違う日の授業ではサーロインの語源について熱弁を振るっていた。
英語圏では男性への敬称に「Sir」を付けるが、このSirとサーロインのサーは別物で、サーロインはフランス語で「腰肉の上部」を指すんだ。と5分くらい黒板に牛の絵を描いてまで説明していた。
その時のやたら上手く描かれた牛の絵と、ピンクのチョークで色付けされた腰肉が印象的だった。
「牛肉の部位は世界によって呼び方や範囲が異なっていて、一口にサーロインと言っても国によって範囲が広かったり狭かったりする、これは文化の多様性であって何の優劣を示すものではない、呼び方が違うだけでBeefは世界中が愛してやまない食材だ」と教師は牛肉でダイバーシティを説明していた。
私を含めてクラス全員が「牛肉の呼び方で不和は起こさないだろ・・・」と呆然していたことを含めて良い思い出だった。
定期テストや小テストで問題に牛肉やステーキと言った単語が頻出していて、ステーキのスペルミスをしたらえらく怒られた。
CHICKENのスペルミスは何も言われなかったのに。もしかしたらあの教師は牛肉を愛してるのが一周して牛肉に親を殺されたとか、特殊な事情があるんじゃないかと訝しんでしまう。
ステーキの思い出は素敵なものにしたかった。ステーキだけに。
ともあれ、地球最後の日に牛肉を食べるのはイイかもしれない。ありよりのありだ。
地球が終わる日に、美味しい肉の塊を食べたら私を何を思うだろうか。
また明日も食べたい、としんみり涙するだろうか。
人生に悔いは無し、と満腹のまま幸せな気持ちで地球と一緒に幕を下ろせるだろうか。
なんとなく後者の気持ちでありたい。
明日、世界がどうなるか分からないけどお母さんに「今日の晩御飯なに?」って休み時間にLINEをしたら
「ご飯と豚汁とほうれん草のおひたし」と返ってきた。割と秒で。
どうにか牛丼でも良いから牛肉が食べたい。
放課後、吉野家かすき家に寄って牛丼食べて行こうかな。
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