第10話 雪降る夜に

 12月20日。ついに冬休みに入った。


 陸人くんから連絡が来たけど、結局返信はできていない。

 だって、なんて返信しても後悔しそうだから。


 陸人くんが送ってきた日にちで私が空いているのは24日。クリスマスイブだけど今年は私以外家族全員予定があって。


 一人で寂しくケーキ食べながらテレビの特番でも見ようかなって思ってたところだったんだけど。



 ……まーほも誘われたのかな。でもあの人はほぼ毎日予定があるから断られてしまったのかもしれない。


 それだったら、私は。


「あー、もう、やめだやめ! 考えてたってしかたないよ~!」


 ベッドにダイブしてそう叫ぶ。



 ……好きなのに。その気持ちは嘘じゃない。だけど、優先すべき気持ちがどっちかって言ったら、陸人くんのほうだもん。


 兄と同じ人が好きで悩んでるかもしれないのに、そこへ追い打ちをかけるように私が告白とかしたって迷惑になるだけ。


 それならずっと、気持ちは閉じ込めたほうがいい。



   胸のもやもやを少しでも晴らしたいと思った私は、上着を羽織ってマフラーを巻き、家を出た。


 12月のひんやりと冷たい空気が、温まっていた身体を冷やす。

 コンビニに行って、お菓子でも買ってこようかな。



 ポケットにかじかむ手を突っ込み、はあと白い息を吐いた。

 この辺の街灯はどこも薄暗くて足元を照らすのもままならない。


 最寄りのコンビニでプリンを買って、ついでに妹へのお土産でゼリーも買った。



 コンビニを出て、私は帰り道を歩く。


 私の住んでいる地域は寒いから毎年必ずと言っていいほど雪が降るんだけど、今年は降るかな。

もし降るなら積もるくらいがいいな〜。だkどあんまり降られても、雪かきが大変になるから困るんだけどね。


 そう考えながら軽く空に手をかざしていると、後ろから誰かの足音が聞こえた気がした。


 こんな寒い日に、人なんて歩いてるの、かな?。

 ちょっと怖くなりながら歩き続けていると。


「麻里花?」


 そう、背後から名前を呼ばれた。


 え、もしかして、知り合い?

 無視するのもなんなのでちらりと振り返ると、人影が走ってきた。


 そして、私の目の前まで来る。


「ほんとに麻里花だった。よかった、間違えてなくて」


 そこには小さな袋を手にぶら下げた、見知った顔の姿があった。



「奏太くん……どうしてここに?」


 いや、人のことは言えないけど。

 現れたのは、幼なじみの奏太くんだった。


松井まついの家から帰ってきたところなんだ。結構暗くなっちゃったけど」


“松井”とは、確か奏太くんと同じ5組の松井くんのことだ。

「麻里花はどうしたの?」と聞かれたのでコンビニ帰りだということを伝える。


「そっか。危ないし、途中からだけど送ってくよ」

「うん。ありがとう」


 ……普通に会話、できてる気がする。前よりも自然に。


「今日から冬休みだね。休みだけど、なんだかんだこの時期ってイベントごと多いよね~」

「そうだね。だけど吹部は活動ないし、俺は久しぶりにゆっくりできそうだよ」


 懐かしんだ柔らかくて優しい声が、鼓膜を震わせる。


 そういえば、声も好きだった。小学生の時に、泣いてると慰めてくれたんだ。“大丈夫だよ”って。

でも今は、それを私だけに向けてほしいとは思わない。奏太くんが好きな人ならうれしいと思う。


 幼なじみはやめられないけど、その形はそれぞれある。そして私はまだ、奏太くんと友達という形でいたい。



「……麻里花」

「え、どうしたの?」


 奏太くんが急に立ち止まって私の名前を呼んだ。



「俺さ、後悔してることがあるんだ」


「後悔してること?」


 そう聞き返すと、奏太くんは頷いた。



「……今まで、ていうか中学生のころからかな。互いに時間が合わなくなったりとか、思春期ってのもあって同じ部室にいても小学生だったころより話さなくなったよね。そのせいで、関係も曖昧になって。……近くにいたのに、麻里花になにもできなかったから」



 ……友達の力になれなかったから、後悔している。たぶん、奏太くんが言いたいのはそういうことなんだろう。


 知らなかった。ずっと私だけが、気まずい曖昧な関係だと思っていたから。理由は違えど、根本の気持ちは似たようなものだったんだ。


 それを今の今までずっとひっぱり続けてここまで来てしまったから、戻し方が分からなくなった。忘れてしまった。



 ……話し合うって、単純だけど、結局一番大切なのかもしれない。



「ありがとう、奏太くん。私も同じようなこと考えてた。……また、前みたいになれるかな?」


「それは、分からないけど」

「分からないんかいっ」



 私は思わずツッコむ。

 そういうちょっと正直すぎるところも、奏太くんらしい。


隣に並んで再び歩き出す。



「でも、なれると思う。長期戦の喧嘩だったと思えば。……なんていうのは、楽観的過ぎかな」

「そんなことないよ。そういうのが案外、解決の糸口になったりするもんだし!」

「そうだね」



 初秋のあの日、奏太くんが部長だと発表された日の不安が、嘘みたいに無くなってる。

 これからまた、友達としてやり直せるんだって思うとうれしいんだ。


 私の家の前までついて、奏太くんにお礼を言う。



「ありがとう。じゃあまたね」

「うん、またね」


 三軒先にある家へ向かって歩いていくその背中を、私は手を振って見送る。


 ……話し合うことが大切、か。

 頭に浮かぶのは、陸人くんの顔。



 ちゃんと、話し合ってみるべきだろうか。……本人の気持ちは本人に聞くべきだと、私も分かっている。だけど、分かりきっているのに聞くのはどうしても怖い。


 そのとき、ドアがガチャリと開いた。



「あ、いた。お姉ちゃん、帰ってるなら早く家入りなよ、寒いんだし。お母さん心配してるよ」


 もこもこのパジャマから伸びる長くて細い手足。芸能人顔負けのきれいな顔。頭も運動神経もよくて、きっと神様が丁寧に作り上げたであろうその姿。


 ......勝てるところなんて、ないよね。勝ち負けとかそれだけじゃないって分かってても、やっぱり比べてしまう。


「入らないなら閉めていい?」

「あっ、まってっ、まーほ!」



 私は追いかけられるように急いで家の中へ入った。







「―――で、うじうじしてると。はっきりしないさいよ」

「だっ、だって~っ!」

「まあまあ、二人とも……」



 21日のお昼。お財布に優しいファミレスで絵筆ちゃん、奈央ちゃんと食事をしていた。


 話の流れで、一人で考えていたら永遠に収集のつかなさそうな陸人くんのことを話したら、奈央ちゃんから強いお叱りの言葉を受けてしまったんだけど……。



「でもまさか、あんたが磯田陸人のことを好きだったとはね。早瀬と全然タイプ違うじゃない」

「そ、それは確かに……?」



 奈央ちゃんに聞かれたので、初恋は幼なじみの奏太くんだということも話した。



「それで麻里花ちゃんは、磯田陸人くんがもしかしたら真由帆ちゃんのことを好きかもしれないって悩んでるんだよね」


「見ててそれらしい証拠もあるし……。なにより、どっちかって聞かれたら真由帆より私を選ぶ理由がないからなんだよね。もし好きな子がまったく別の人だったり、そもそも好きな人なんていないってなったら話は変わってくるんだけど」



 空になった料理の皿が片付けられ、飲み物の入ったグラスだけ置かれたテーブルに視線を落とす。


 一応空いてるのは24日だと送って正式に決定したけど……あと3日ほどしかない。約束を破るのは心苦しいけど、いろんな意味で“怖い”という感情も同じくらいあって。



「確かめるのは怖い、でも約束は破りたくない。どんだけわがままなのよ。そりゃ磯田陸人だって妹のほうを選ぶわよ」

「ちょ、ちょっと奈央ちゃん……」


「でも!」



 絵筆ちゃんがなだめるのを遮って、奈央ちゃんは言った。



「私はあんたの力になりたい。だめだったとしても、いくらでも慰めてあげる。麻里花には、恩があるから」


「わっ、私も!いろいろ助けてもらったりしたし。役に立たないかもしれないけど、麻里花ちゃんは大切な友達だから、できるだけ頑張るよ」


「二人とも……」



 顔を上げると、心強い真剣な表情をする絵筆ちゃんと奈央ちゃんがいた。



「麻里花ちゃんは、もっと自分に自信持ってもいいと思うよ。もし誰かになにか言われたら、私たちがそんなことないって言い返すから!」



 にこっと絵筆ちゃんが笑う。


 そう、だよね。私には大切な友達がいる。そう思うと、なんだか安心できた。

 ここまで私のために言ってくれる友達の気持ちを、私は無駄にしたくない。


 それにいつまでも逃げたらいい方向にも悪い方向にもいかないよね。



「……私、24日ちゃんと行く。そこで陸人くんの気持ちを聞く。どんな結果が待っていても、怖がらない」








  ―――――そして、当日。


 身なりの正解なんて分からなくて、奈央ちゃんに監修されながらも結局全部普段通りの服装になってしまった。


 しかも、デートじゃないのに。陸人くんの“出かける”って、どういう意味なんだろう。

 ……なんて考えるのは、もうやめたんじゃないの、私。


 もし、今日。「もう関わるのはやめましょう」って言われたら。でも、それが陸人くんの気持ちなら、私は受け入れなければならない。


「だけど、行くって決めたからには、ちゃんと行かなきゃ。会って、話をしなきゃ」


 気合を入れるように拳で胸を軽くたたく。

 そして午後6時過ぎ。私は星空の瞬く夜の世界へ足を踏み入れた。




  気温は0度を下回りそうなくらいだけど、あたりは人の気配で暖かく感じる。


 住宅街を抜けて大通りに出ると、建物がイルミネーションになっていて、きらきらと光っていた。


 陸人くんと会う日以前に、今日はクリスマスイブだ。日本ではごちそうやケーキを食べたりして、大切な人と夜を過ごす日。


 そういえば、クリスマスってどうして、当日より前日のほうが盛り上がるんだろうか。

 なんて考えていると、自然と気持ちが軽くなっていく気がした。


 待ち合わせ場所の通りの入口に着く。



 毎年ここは規模の大きいイルミネーションをやっていて、私も家族と来たことがある。近くに大型ショッピングモールがある影響で人も多い。


 通りの真ん中には空にまで届きそうなくらいのクリスマスツリーが飾ってあり、すっごくきれいなんだ。辺りはカップルや家族連れで賑わっている。


 スマホで時間を確認すると、もうすぐ待ち合わせの6時半になるところだった。



「麻里花先輩!」



 すると向こうから、陸人くんが私の名前を呼んで走ってきた。

 黒のロングコートを身にまとった陸人くんは、いつもよりかっこよく見える。


「待ちましたか? すみません、遅れて」

「ううん。大丈夫だよ、私も今来たところだから!」


 いつも通り接してみる。……文化祭のあのときより、苦しくはなかった。

 私たちは通りを歩いていく。


「今日は、先輩に話があったんです」

「話……?」



 その言葉に、心臓がどくんと不穏な音を立てる。

 隣を見ると、真剣な顔でこちらを向く陸人くんと目が合った。


「メッセージでも良かったんですけど、直接がよかったから」



 ……メッセージじゃダメなくらいの話、なんだ。

 ネガティブにならない。そう分かってるはずなのに、思考はどんどん悪い方向へ進んでいく。



「……先輩は、俺と初めて会ったときのこと、覚えてますか」

「えっと、確か、夏休み明けの屋上に呼びだされたんだよね。覚えてるよ」



 と答えたら、陸人くんはふっと微笑んだ。

 その姿にも、私はドキッと心臓を高鳴らせしまう。



「俺と先輩が出会ったのは、もっと前です。去年の文化祭」


「え……一年以上前!? いつ……あっ」



 思い出した。そういえば私、文化祭で吹部のチラシ配りしてた。そのときに会ったのかな。


 あのときは片っ端に声かけてったから、誰と話したかなんてもう覚えてない。

 だけど、去年の秋にはもう出会ってたんだ……と思うと、びっくりだ。



「だけどまさか、今こうやって自然に会話できる仲になるとまでは思いませんでしたけど」

「私も最初は、予想してなかったな」



 陸人くんと屋上で話したあの日。


『俺と、付き合ってください』


 ……あの言葉の本当の意味は、今の今まで知らないままだ。

 どうせなら、聞いてしまおうか。どうせ今日で、最後かもしれないんだし。


「陸人くん」

「なんですか?」


「9月に屋上で言ってた……“俺と付き合ってください”って言うのは、“作戦に付き合って”って意味だったのかな、って……今ちょっと、考えちゃって」

「……あー、」



 陸人くんは少し悩んだ後、私を見た。



「半分は、それですよ」



 と、意味深な発言をする。


「え、あともう半分って……」


 言いかけたとき、パッと突然辺りが明るくなった。

 びっくりして、思わず目を閉じる。


 目をゆっくり開けると、さっきよりも多く並木道がライトアップされていた。


 そして。

 すぐ近くにあるクリスマスツリーがきらきら輝いていた。




「先輩」

「え?」


「もう半分は、その言葉まんまの意味ですよ」


「えっ―――」



 そっと陸人くんは私に近づく。


 ふわっとさわやかな柔軟剤の香りが鼻をつき、どきどきと鼓動が速くなる。



「嫌なら俺のこと、殴ってください」



 そう、耳元で声がした瞬間。



 ―――――っ。


 唇に、柔らかいものを感じた。


 それがキスだって分かるのに、数秒の時間がかかる。



 な、んで…………。




「先輩」



 顔が離れて、切なく細められた目と目が合う。



「……殴らなかったってことは、俺、そう受け取りますけどいいですか。……麻里花先輩に、好きって言って、いいですか」




 私は、耳を疑った。


 だって陸人くんは、まーほのことが……。




「いいですかって。まーほのことは、好きなんじゃない、の?」


「そういう目であいつを見たことは一度もない。俺が好きだと思うのは先輩だけです」




 曇り一つない真剣な瞳が私を見つめる。


 ……全部、私の勘違いだったってこと?


 だけど分からない。そうだったとしても、まーほを選ばず私を選ぶ理由が。



「嘘、うそ、だよね。陸人くんが私のことが好きだなんて、信じられないよ」

「じゃあ、どうしたら信じてもらえますか」



「……私の好きなところを教えてくれたら、信じる」



 パニックで頭がぐちゃぐちゃになっているのか、よくわからないことを口走る。



「わ、わがままだよね、ごめ」



 すると、私の言葉を陸人くんが遮った。




「優しくて妹思いなところが好き。明るくていつでも元気だけど、それは自分の気持ちを隠すための強がりだってところも好き。いざとなると臆病になるところとか、やっぱりどんくさいところとかも好きです。先輩の大声も好きだし、なにより、先輩の存在自体が好きで、全部がたまらなく愛おしい。あと真っ赤な顔も、俺は好きです」



 指摘されると、さらに頬が熱くなった。

 こんなに真正面から気持ちを伝えられたことなんて、なかったから。




「たとえ先輩が自分のことを嫌っていても、俺が先輩を好きでいます」




 ぽろりと、涙が頬を伝う。


 うれしい。ありがとう。そんな言葉が、私の頭の中をめぐる。


 ……想像もしなかった。陸人くんが、私を好きでいてくれたなんて。


 だけどそんなふうに言われてしまえば、信じざるを得なくなる。



「……私も陸人くんのことが、好きです……」



 伝えるつもりはなかったのに、想いが溢れ出てきて止められなかった。

 陸人くんは少し驚いたような顔をした後、私を優しくぎゅっと抱きしめた。


 どちらのか分からない早鐘を打つ心臓の音が身体に響く。




 ――――私を好きになってくれる人なんていない。だって隣にはいつも、まーほの存在があったから。



 だけど陸人くんは、私に私を教えてくれた。


 何もない私を好きになってくれた。


“何もない”なんて、さっきの言葉を聞いた後じゃ怒られるかもしれないけど……。



 真冬のはずなのに心は暖かくて。


 まるでクリスマスをお祝いするかのように、パラパラと無数の真っ白な雪が空から舞い降りていた。

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