第9.5話 恋なんて side真由帆
———二年三組、磯田侑人先輩。
テニス部所属で、私のクラスメイト、磯田陸人の兄。
知らなかったわけじゃなかった。5月……くらいからだろうか、姉がその人について話しているのを聞いていたから。
どうやらその“侑人先輩”には好きな人がいるらしく、なかなか進展できずによくお姉ちゃんに相談しているらしい。
恋バナとか正直私は興味ないし、わざわざお姉ちゃんに自分からその話を聞くこともなかった。
恋とか恋愛とかする気はさらさらない。
……誰かを好きだって気持ちさえまだ知らない私には、無縁すぎる話。
知らなくても生きていけるから。
―――あんな風に苦しい思いをするくらいなら、知らないほうがいいと思った。
まあ、私は実際に経験なんてしたことないから、分かんないけどね。
……なのに、不本意にも気が付いたら巻き込まれていた。
2学期中間テストが終わったあと、侑人先輩に出かけようと誘われた。
めんどくさいなって思ったけど好奇心のほうが勝って、私はそれを承諾した。
まあ、お姉ちゃんの友達なら悪い人ではないだろう。
その日は多分初対面だったけど、当日は意外と話せたし楽しかった。
侑人先輩も楽しそうだったし。
“よければまた誘っていいかな”って言われたから、私はそれに頷いた。
別に、深い意味はなく。
私は突然、部活終わりの放課後に陸人から体育館前へ呼び出された。
なんか雑用でもやらされるのかな~とか思ってたんだけど……。
……一体、どこに向かっているんだ。
口を開こうとしたところで、すぐ前を歩いていた陸人の足が止まった。
止まった先は、空き教室。1年5組—――つまり私たちの教室のすぐ近く。
がらりとドアを開け、二人で教室へ入った。
というところで用件を伝えてくれるのかと思ったら、無言で暗~いオーラを出しながらうつむき始めた。
……なにこの男。なんかしゃべろうよ。自分から呼び出したんだから早くしてほしい。
と思っていたら、机に寄りかかりながらやっと口を開いた。
「なあ真由帆」
「なに」
「—――フラれた。先輩に」
とかちょっとらしくなさそうに言うもんだから笑いそうになったけど、さすがに止めとく。
先輩っていうのは、100%お姉ちゃんのことだ。
まあ、どうせ告白して断られたんじゃないんだろう。あの人はちゃんと断るのが怖くて、できるだけ傷つかないようにって言葉を探すだろうから。
「で? まさかそんなバカみたいな用件で私の大切なみっじかーい放課後を奪ったんじゃないだろうね? 聞いてんの?」
「聞いてるから。“バカみたいな”っていうなよ。正確には、フラれたってわけじゃないけど。俺、もう一度頑張るって決めたんだけどな」
「なにを」
「……俺のこと、好きになってもらえるように。見込みはなさそう、だけど」
……こいつ、ほんとにお姉ちゃんのこと好きなの? 傍から見てれば、お姉ちゃんが誰が好きかなんて明白なのに。
自分に向けられた好意は、近すぎて見えないのかもしれない。
「どうしたの。普段な高飛車な陸人くんはどーしたんですかー」
「うるせえ。……先輩の前だと、普通じゃいられないんだよ。なんもうまくいかない」
陸人はくしゃっと前髪を撫ぜる。
それが妙にかっこつくのが、癪だ。
「陸人はもう、出来ることはやったんでしょ? ならあとは、なるようにしかならないんじゃない。運命だったらうまくいくし、そうじゃなかったら終了」
「はっきり言うな、お前」
「じゃないと意味ないでしょ」
「……分かった。もう一度、頑張る。かけてみる。相談してよかった。ありがと、真由帆」
「じゃ、これで話は終わりね」
私は陸人を置いていく勢いでドアに向かう。
「あ、あと1個」
「は? まだあるの」
さすがにそろそろ家に帰ってゲームしたいんだけど。用件は一つにまとめてから話してほしいと思いながら、足を止めた。
それで、なにを言い出すのかと思ったら。
「……お前の姉貴、もらっていいか」
「あー、まあ、いいんじゃない? 陸人なら」
予想外の反応だったのか、本人は驚いたような顔をしていた。
いや、そこまで? ってくらい。
だって、分かってたでしょ。“リンゴは果物ですか?”ぐらいと同等の質問だわ。
「まあ、あんたがお姉ちゃんと付き合えるかどうかは置いといて。お姉ちゃんのこと傷つけたら、許さないからね。あんなポンコツでも、一応私の姉なんだから」
「言われなくても分かってる。俺、お前の姉貴のこと本気で好きだし」
とかいうのを真面目に言い出すので、私は思いっきり引いた。
「うっわー、セリフクサすぎ。それ本人に言ってあげなよ。てかあんた、敬語外れると口悪いよね。お姉ちゃんの前では気をつけなさいよ」
「な、頑張る、けど」
「なにその曖昧な返事」
私はそう冗談っぽく笑い飛ばす。
正直に言うと……うまくいってほしいって思ってるよ。ほんとに。
まああとの二人のことなんて私が知ったこっちゃない。
全ては、お姉ちゃんと陸人の行動次第だ。
そのあとの帰り道。
途中まではどうせ一緒なので、陸人の最寄り駅まで二人で電車に揺られる。
プシューっと電車のドアが開いた。
「ありがとう、真由帆。またな」
「うん。じゃ、また明日」
軽い挨拶を交わして、陸人は電車を降りて行った。
私はぼんやりと固い2枚の板が合わさるのを眺めながら、一息つく。
—―—恋なんてしても、意味がないってずっと思ってきた。
お姉ちゃんの幼なじみ、まあつまり私の幼なじみでもある早瀬奏太。あいつのことがお姉ちゃんはずっと好きだったのに、あいつは自分への気持ちにまったく気が付かず、その間にお姉ちゃんは好きでいるのをやめてしまった。
近いけど近くないこの距離だから、お姉ちゃんのことがよく見えて。
お姉ちゃんは、辛い、苦しいっていう、そんな気持ちに疲れてしまったんだ。
それから私は、“恋”とか“恋愛”についていい印象を持たなくなっていった。
いいことなんてないって。
ずっとそうだったのに。
ちょっと、ほんのちょっとだけ、してみようって思ってしまったのは、いったい誰のせいだと思ってるの。あのやろう。
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