第9話 終止符を打つ

 真っ暗だった視界に、一筋の光が差し込む。

 目を開けると、白い天井が目に入った。


 あれ、どこだろう、ここ……。


 独特な薬品の香りが鼻をつき、私は起き上がった。

 たしか、休憩するために空き教室に行こうとしたんだけど……。なぜかそこからの記憶がない。

 周りを見渡してみると、そこが保健室だとわかった。


 えっ、なんで……。というか、お店は? 私……。

 窓には、オレンジ色の空が見える。外からは、遠い歓声や騒ぎ声が聞こえてきた。


 もしかして、後夜祭まで寝てた……?



 サーっと血の気が引いていく。いやだって、クラスの出し物とか、吹部の演奏とか、全部すっぽかして保健室で寝てたってことだよね? 信じられないよ、こんな自分に……。


 だけどその代わりに身体が軽くなって、まだ万全じゃないけど午前中よりかだいぶ良くなった。


 ……でも絶対、迷惑かけたよね……。来週、謝らなきゃ。



「……あ、せんぱい、起きたんですか?」


 どこからか声がして探すと、すぐ近くで丸椅子に座って眠そうにしている陸人くんがいた。

 今朝とは違って、制服姿だ。なんでここに。


「え、り、りくとくん?」

「俺寝てました……先輩、もう大丈夫ですか? 10時くらいに倒れたって聞いてここに1回来て。午後の公演があったんで保健室来るのは、これで2回目なんすけど」


「じゃあ私、倒れてから、ずっと……?」

「俺が知る限りでは、そうですね」



 夕日の光に照らされて話す陸人くんを前に、私には絶望と後悔が襲ってくる。

 ……なんで、倒れたりなんかしたんだろう。無理してでも、頑張れなかったのかな。


「……ごめんね陸人くん。迷惑かけちゃったね。ほんと、ごめんね」


 陸人くんにとって高校で初めての文化祭だったのに。私に時間を使って、無駄にさせてしまった。


「陸人くん。私、もう大丈夫だからさ。後夜祭、参加してきてほしいな」

「……なんで」


 私が言うと、陸人くんが眉をひそめながら珍しく反抗してくる。

 なんでって、言われたって。


 好きな人と、一緒にいたほうがいいって思うから。私じゃなくて。

 だけど、そんなこと言えるわけなかった。


「そりゃ、人生で3回しかない文化祭を、最後くらい楽しんでほしいからね」

「……」


 私は返事を待たずにベッドを降りる。


「じゃあ私、そろそろ帰らないとな。……ありがとう、ばいばい、陸人くん」


 上履きを履いて、立ち眩みに耐えながら出口に向かう。

 陸人くんは優しいから、私がここにいたらきっと後夜祭になんていかない気がする。


 だから———。



「っ、麻里花先輩!」



 外の雑音が、全てかき消されるくらいの声が響いた。

 私はびっくりして思わず足を止め、振り返る。


 陸人くんがこっちに近づいてきて……下手に動いたら、触れ合いそうな距離になる。


「俺、送っていきますよ。先輩、まだ体調悪いだろうから」


 そう言って陸人くんは私に手を伸ばす。


 ……だけど、私はそれをよけてしまった。


「……え」


 ……これ以上、優しくしないでほしいよ。こんなに真正面から優しくされたことなんてないから……それで、勘違いしてしまいそうだから。



「……ごめんなさい」


 私は頭を下げて、保健室を出た。

 陸人くんは追いかけてこない。


 よかった。間違ってない。間違っちゃだめ。

 陸人くんが追いかけるのは、まーほのはず。


 私はこの気持ちに、終止符を打たなきゃならない。







「見て見て絵筆ちゃん! 数学64点だよ!」

「えっ!?数学嫌いな麻里花ちゃんが60点越えなんて……。すごいよ! よかったね!」

「ありがとー!」


 12月始めの二学期期末テストが終わり、もう後は冬休みが来るのを待つのみとなった。

 正直、あれから陸人くんとはまともな会話をしていない。それ以前に全然会わないから、話す機会すらないんだけど。


 絵筆ちゃんや奈央ちゃんと話して、まーほとの関係を進展させる気のない侑人に呆れたりして。

 部活やって、勉強も頑張って。



 まるで、夏休み前に戻ったみたい。

 これでいいんだよ。

 身の丈に合わない恋をするから、こうなってしまう。


 ……自分の気持ちに気が付かなければ、このままずっと、仲のいい先輩後輩でいられたはずなのに。

 あ、陸人くんにとってはそうじゃないんだっけ。


 ……だけど、よく考えてみれば、陸人くんだって私と同じような気持ちなのかもしれない。

 兄と好きな人が被る……っていう。全然違うか、一緒なんて言ったら失礼だな。





「あんた大丈夫? 最近元気ないけど」

「え……うん、大丈夫だよ!」

「そう? ならいいんだけど」


 部活のとき、美葉ちゃんにそんなことを言われてしまった。バカだなあ、心配かけるなんて。

 そろそろいつもの自分、取り返していかないと。さすがにずっとひきづったままなんていやだよ。


 ほら、もうすぐ冬休みだし。学校がないから必然的に陸人くんには会わなくてすむし、ちょっと忘れられるかも。



 そうだ。冬休みの予定について、絵筆ちゃんと奈央ちゃんに連絡してみようかな。あの二人、いつのまにか結構仲良くなっててびっくりしたけど、うれしいことだ。


 部活終わり、廊下に立ち止まってブレザーのポケットからスマホを取り出そうとしたとき。



「麻里花先輩!」



 私の名前を呼ぶ声が、廊下を駆け抜ける。

 誰かなんてすぐにわかった。声で。

 それに、私のこと“麻里花先輩”なんて呼ぶ人は、一人しかいない。


 足音が近づいてきて、それは私のすぐ後ろで止まる。

 心臓が一つ、大きくどくっと鳴った。



「よかった。先輩、止まってくれて」

「……どうしたの? なにかあった?」


 振り向いて話したら、きっとまた誤解される。それがふいにでもまーほの耳に入るのはいやだ。

 だけど、別に喧嘩してるわけではないし……無視はできない。


「……先輩」

「なに?」


 どんなことを言い出すんだろうか。今度はどきどきと鼓動が不穏な音を立てた。



「……冬休み、俺とデートしてくれませんか」

「……えっ?」


 私は予想外の言葉に、思わず後ろへ振り返ってしまう。



「やっと、こっち見てくれました」



 そして、陸人くんはうれしそうに笑った。


 ……なんで、そんなことを言うんだろう。笑うんだろう。

 思わせぶりが過ぎる。



「……デートって、なんで? だって、陸人くんは……!」


 ———まーほのことが、好きなはずなのに。


 そう出かけそうになって、慌てて口を噤む。私が言っちゃいけない。



「俺が、先輩と出かけたいんです」

「……私となんて楽しくないよ、きっと」

「そんなことないです」



 私は、近くにいちゃいけない。離れなきゃならない。

 陸人くんだって、そう思ってるはずなのに。


 ……読めない、気持ちが。陸人くんの心が、見えない。


 しばらく続いた沈黙を、陸人くんが破った。


「……分かりました。じゃあ、連絡しておくので。気が向いたら来てください」


 そう言い残して、陸人くんは去っていった。

 私は一息ついて、その場にしゃがみ込む。


 クラリネットを入れたケースが床にぶつかり、鈍い音を立てる。

 5時過ぎの暗くなった冬の空を、私は窓からぼんやりと眺めていた。

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