第8.5話 咲き続ける花 side陸人

 俺が初めて麻里花先輩に出会ったのは、この高校に入ってからじゃない。

 向こうは覚えてないみたいだけど———ちょうど一年前のこの日、だった。


 侑人に学校見学のついでに来いって言われて、中三の秋に等花高校の文化祭へ行った。

 急だったから予定の空いてる奴なんて誰もいなくて、結局俺は一人で行くことになってしまった。


 侑人に言われたから行くなんていうのは癪だが、まだ進学先の高校を決め切れていなかったから、まあいい機会だ。

 校内に入れば、けっこう盛り上がっていて、中学の文化祭とは比べ物にならないくらい本格的だった。


「あっ、そこの君! 中学生?」

「……なんすか」


 校舎に入るとき、一人の女子生徒にでかい声で呼び止められた。


「もしかして入学希望!? 見学っ!?」

「……いや、別に」


 俺より頭半分くらい小さい身長で、こちらを見上げる。

 初対面なのにすげーぐいぐいくる、と思った。

 コミュ力お化けかよ。


「……兄が、この学校の生徒だから。それで」

「そうなんだ! じゃ、よかったら見てって!」


 バカ真面目に答えたら、女子生徒は抱えていた紙の束のうち1枚を俺に差し出してきた。

 なんかのチラシっぽい。

 俺は素直に受け取った。


「午後1時から、吹部の演奏があるの! もしよかったら来てね!」


 そして俺に、眩しいほどの笑顔を向けてきた。

 俺が返事をする前に、女子生徒は別の人にまたチラシを配っていた。

 なんか、台風みたいな人だな。

 そんなことを考えながら、チラシに目を落とした。



  ……んで、結局来てしまった。

 照明の落とされた体育館内へ案内され、適当なところへ腰を下ろす。

 まあ、あんなに推されたら、さすがの俺でも無視はできない。


 手元には、さっきの吹部のチラシと、入口でもらった手作りのパンフレット。

 薄暗い中パラパラとめくっていると、顔写真付きの部員紹介というのが目に入る。


 ……あの人は吹部、なんだよな?

 疑いながらも目を通していくと、ついさっき見た顔を発見した。


 肩につかないくらいの髪に、ぱっちりとした大きな瞳。写真の中では大げさなくらいの笑顔で、元気の象徴みたいな顔だと思った。



 —————1年4組 佐藤麻里花。


 そう、書いてあった。

 1年てことは、俺の兄貴と同学年なのか。……なんてのはどうでもいい。



 アナウンスが入り、全ての照明が落とされ、次の瞬間舞台がパッと明るくなる。

 間髪入れずに演奏が始まる。

 音楽のことは、正直さっぱりだけど。

 なんか、すごいと思った。身体に響いてくるというか。


 すると、黒い棒みたいなの———たぶん、クラリネットと呼ばれる楽器を演奏する、あのチラシ配りの女子生徒を見つける。


 そして、たった一瞬だけ目があった。……たぶん、気のせいだけど。

 でも、いろんな感情が合わさり心臓がいつもより高鳴っていたのは、気のせいじゃないと思う。





  ———そして、この学校に入学してしまった。

 兄貴が通ってるから親も特に反対はしなかったし、担任も納得してくれた。

 明るい水色のブレザーにズボン。こげ茶色のネクタイ。まさかこの制服を自分が着るとは思わなかった。


 ……別に会えるかもなんて期待してない。

 会えたとしても、知り合いになんてなれないだろう。同学年じゃない。相手は先輩。


 正直、今まで人間関係には苦労してこなかった。

 ……だから、自分から接点を作るやりかたなんて、分からない。



 だけど、なんかとんでもない奇跡が起きてしまって、今俺は、佐藤麻里花の隣にいる。

 これが正しくないと分かっていても。

 たとえ先輩が、侑人のことを好きでも。


 ずっと考えてた。知らなかったとはいえ、あんな尾行デートに誘ったことを。

 申し訳ないって。


 麻里花先輩がもしかしたら侑人のこと好きかもっていう可能性に気が付いたのは、誘った後のこと。

 最初はあの『早瀬奏太』って人と付き合ってたりとかするのかなって思ってたけど、なんかただの幼なじみらしいし。


 後悔しても仕方ない。できるだけ、俺との関係を勘違いされないようにとか、なるべく傷つかないようにとか、あの日はそればっかり考えてた。


 最後、帰ろうとしたとき、偶然にも侑人と真由帆の決定的な瞬間を見てしまった。


 ……麻里花先輩には、悲しい顔をしてほしくない。俺はその一心で、彼女の腕を強引に引っ張った。



 そのとき、盗撮されてることに気が付いた。でも、報告したら怖がるかもしれない。俺は黙っていることにして。

 だけどそれが仇となって、結局先輩を傷付けてしまう結果となってしまった。


 ———ずっと、思っていた。なんで先輩は、いつも全部ごまかして笑うんだろう。平気そうにするんだろう。


 本当は心の底で真由帆に強い劣等感を抱いていて、そのせいなのか自己肯定感が低くて。

 話していると、言葉とか、表情でそれが読み取れた。


 ……俺なら全部、肯定してあげたい。

 先輩は、先輩のままでいい。十分なんだって。





  先輩が倒れたことを知ったのは、公演が終わって10分たった10時過ぎのことだった。

 衣装もそのままに急いで保健室へ向かう。


 今日珍しく元気がないように見えたのは、気のせいじゃなかった。

 もっと早く、気付いていれば。


 息を切らして保健室のドアを開けると、そこには誰もいなかった。

 正確には一番手前のベッドのカーテンが閉まっていて、先輩がいるのだと察する。

 そっと近づき、音を立てずにカーテンを開けると、白雪姫の衣装で眠りにつく先輩の姿があった。


 ベッドに腰掛けると良く見え、そっと顔を近づける。



 ———王子じゃないけど、侑人じゃないけど。



 これからは、ただの後輩でいるから。


 ……今だけは。



「先輩」



 俺はそう呟いてから、彼女の小さい唇に自分のを重ねた。

 ……柔らかい。


 ゆっくりと離して、起こさないようにベッドから立ち上がる。



 好きになったのが侑人じゃなくて、俺だったら。

 先輩が、好きになった人の好きな人が自分の妹だなんて、そんな事実に苦しまなくてすむのに。


 ……デートしたあの日。一瞬でも諦めようと思った。

 だけど、やっぱり無理だ。


 なあ、先輩。


 俺にもう一度、チャンスをくれませんか。

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