第7話 秋の祭りの予兆
「ん~、眠いよ~」
私は眠気眼をこすりながら校門を通る。
あのあと、絵筆ちゃんに詳しく話を聞きながら今後どうするかを話し合っていたらすっかり寝るのが遅くなっちゃったんだ。
でもとりあえずは清くんの様子を見てみようってなったんだ。下手に行動して失敗してもだめだからね。
そういえば、陸人くんからなんにも連絡きてないなあ。大丈夫かな。
そんなことを考えながら教室についてドアを開けると、目の前には奈央ちゃんがいた。
肩をふるふるさせて、なんだか様子がおかしい。
「どうしたの、奈央ちゃ……」
「どうしたのじゃ、ないわよ~っ!」
すると突然、顔を覆ってわっと泣き出した。
え、ええ……っ!?
なんで、泣いてるのっ!?
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
顔を覗き込んで言葉をかける。
奈央ちゃんはそんなちょっとしたことで泣くような子じゃない。というか、泣いてるところなんて初めて見たよ。
「とりあえず奈央ちゃん、どっか別の教室いこうか」
さすがに教室の前だと騒ぎになりかねない。奈央ちゃんが頷いたのを確認して、私たちは近くの空き教室へ入った。
ドアを閉めて机にカバンを置き、まだ静かに泣く奈央ちゃんへ向き直る。
正直心当たりはない……けど、聞いてみるしかないか。
「……奈央ちゃん、何かあったの?」
涙を上品にハンカチで拭いながら、奈央ちゃんは口を開いた。
「……麻里花。あんたの妹でしょ、昨日磯田くんとデートしてたの」
「え……」
奈央ちゃんの探るような視線が私を突き刺す。
予想だにしていなかった驚きの発言に、私は頭が真っ白になった。
だって、奈央ちゃんが知ってるなんてありえない…………ことはない、かも。
見かけたとか、ストーカーしてたのとか。可能性はあるけど……。
「勘違いしないでね。私は別に磯田くんのこと追っかけてたわけじゃない。……たまたま、見ちゃったのよ」
鼻をずずっとすすりながら、奈央ちゃんは俯く。
一瞬でもストーカーだと思った自分を殴りたい。奈央ちゃんがその辺の加減を理解してることくらい、分ってるのに。
……それに、見られちゃったのなら何も言えないや。
私は正直に話すことにした。
「……奈央ちゃんの見た通り、侑人と私の妹は確かに昨日一緒に出掛けた。侑人に口止めされてたから誰にも言ってなかったんだ。ごめん。……もし奈央ちゃんが感情をぶつけるなら、その相手は私でもいい?」
奈央ちゃんを傷付けてしまった事実。罪滅ぼしかもしれないけど、私はそうしたかった。
侑人もまーほも、もちろん奈央ちゃんも悪くない。そしたら奈央ちゃんはどこに想いをぶつけるんだろう。
……その痛みが、私にはほんの少しだけわかる。
頬を伝う涙をいっぱいいっぱいに掬い取って、奈央ちゃんは私を見た。
「……じゃあ、お願い、一個聞いて」
「うん。もちろん、いいよ」
「じゃあ……」
奈央ちゃんは近づいて、私にぎゅっと抱きついてきた。
私はそれをしっかり受け止める。
「今日一日、私のこと慰めなさい」
「うん、了解」
奈央ちゃんの席は一番前で授業なんてサボりたいはずだろうに、何事もなかったかのように受けていた。
すごいなあ、と思う。自分の好きな人が別の異性といるのを見かけたら、私ならきっとショックで立ち直れない。奈央ちゃんは、強いよ。
板書をしながら、侑人のほうをちらりと盗み見る。こいつもこいつで大変だ。女の子を好いたり好かれたりで。本人はそんな自覚、ないだろうに。
休み時間ずっと、私は奈央ちゃんと一緒にいた。ほっとくよりも、話しかけてくれたほうが気がまぎれるんだって。
たわいもない会話を重ねているだけなのに、知らない奈央ちゃんを知っていくみたいだ。
なんだかんだ私たち二人の間には侑人の存在があったから、新鮮……っていうか、それ以外の奈央ちゃんを見れた気がして。
お昼のお弁当は絵筆ちゃんも交えて、久しぶりに教室で食べた。
うわさで聞いていたら別だけど、絵筆ちゃんは奈央ちゃんが侑人のこと好きって知らないと思う。
事情を知らない絵筆ちゃんを巻き込んでしまって申し訳ない。そう思っていたけど、二人は会話を弾ませていて、私は少しほっとしていた。
「佐藤さーん、いるー?」
お弁当を片づけている途中、私の名前を呼ぶ声が教室に響いた。
私は慌てて返事をする。
「麻里花、ごめん。昼休みに」
「あ、奏太くん……」
私たちの席の近くに、その姿は現れる。
私に用があったのって奏太くんだったんだと、すぐに察した。
やっぱりちょっと気まずい……けど、この前よりも全然大丈夫、だ。
「どうしたの? 用事?」
問いかけると、奏太くんは頷いて手に持っているファイルから一枚の紙を取り出した。
差し出されたので、私はそれを受け取る。
「これ、吹部の宣伝動画の台本。急で申し訳ないけど明後日撮影になったんだ。練習してもらえるとうれしい」
「うん、わかった!」
返事をしながらざっと目を通す。動画自体は10秒で短いからそんなにセリフ数は少ない。うん、これなら明後日できそう。
「よかった。ありがとう」
奏太くんのほうを見ると、少し疲れたような顔をしていた。やっぱり大変なのかな、いろいろ。
私がプリントを机の中にしまっていると、「あ、北島さん」と思い出したように奏太くんは言った。
「……なに」
「今日の放課後また文化室で集まりあるって。よろしくね」
「分かった」
奈央ちゃんは不機嫌そうに眉をひそめ、そっぽを向いた。
「……俺、北島さんは笑顔のほうが良いと思うんだけど」
「なって、あ、あんた、何言ってんの。バカ早瀬」
奈央ちゃんが言い返す。
「じゃあ、またね」
最後にさらっととんでもないことを言って、奏太くんは去っていった。
見合わせた絵筆ちゃんの顔がちょっとびっくりしている。
まあでも、奏太くんならああいうこと平気で言いそうだけど。
あの人、どこまで知ってるんだ。ただ奈央ちゃんが、元気なさそうだったからそう言っただけかな。
当の奈央ちゃんはというと、涼しい顔でお弁当箱を包んでいた。
……そういえば、この二人って結構仲が良かったりするのかな。前に屋上に閉じ込められたときだって一緒だったし。文化祭実行委員で一緒ってだけにしては、仲がいいんだなと思った。
それで、今更妬いたりなんかはもちろんしないけど。
「私、これから委員会の仕事があるんだ。行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
絵筆ちゃんが席を立って、教室を出ていく姿を見送る。
絵筆ちゃんは図書委員会に入っていて、昼休みもよく仕事が入っていることがあるんだ。
……そうだ、絵筆ちゃんのことも、なんとかしないと。清くんと仲直りしなきゃ。
今日の絵筆ちゃん、いつも通りだったけどやっぱりどこか元気がなかった。早めに解決しないと。
「ねえ、麻里花」
「え、なに?」
奈央ちゃんが話しかけてくる。
「麻里花は、失恋とかしたことある?」
「え?」
「……ごめん。忘れて」
俯いて、私から視線を逸らす。
……失恋、か。
「……それはない、けど。……恋を諦めたことはあるかな。もうずっと前のことだけど」
「そっか、ありがと。こんなこと聞いてごめん」
「いいよ。何でも聞いて……は、ちょっとおかしいか」
ははっと軽く笑ってみれば、奈央ちゃんも微笑む。今日、初めて見た笑顔だ。
奏太くんの言った通り、やっぱり笑顔のほうがいい。笑えない日は、明日笑えるようにって。
「……私ね」
「うん」
私は続きの言葉を待つ。
奈央ちゃんは一つ深呼吸をして、口を開いた。
「……昨日二人のこと見かけたとき、磯田くんと歩いてるのが麻里花の妹だってことは、すぐにわかった。美人って有名だから。……それで、ああ、だめだなって。あんなに可愛い子に、私じゃかなわないって思った」
真っ直ぐこちらを見つめる瞳は揺れ、うるんでいる。
だけど涙は、零れ落ちない。
「……けど、ほんとはそれだけじゃなくてね。あんたの妹といる磯田くんを見て思ったの。……ああ、好きなんだなって。磯田くんは、彼女のこと。……っもっと、頑張っておけばよかった。遠くから見てるだけじゃダメなんだって、磯田くん自身に、私は教えてもらっちゃった」
私は、だまって話に耳を傾けた。
……遠くから見てるだけじゃダメだっていう言葉が、頭の中で繰り返される。
私だってそう。奏太くんのことを、ただ見てるだけだった。見てるだけで自分を好きになってくれるなんていう都合のいい展開は、起きない。
解ってるのに、自分から一歩踏み出すことって、そう簡単じゃないんだよ。
「私、奈央ちゃんの気持ち……少しだけ、分かるよ」
「……うん。ありがと、麻里花」
その言葉に、私は静かに頷いた。
私が背中を押すと、意外にも簡単に絵筆ちゃんと清くんは仲直りをして、いつもの仲の良さを取り戻していた。
奈央ちゃんも侑人のこと、少しは吹っ切れた様子でよかったなって思う。
そして数日が立ち、1週間後に文化祭を控えた等花高校の校舎内は、いつもより生徒たちが慌ただしく動いていた。
現在は放課後で、みんなでクラス内の出し物の準備をしている。
「麻里花ー、衣装できたってー!」
「はーい!」
連絡係の子に呼ばれて、私は女子更衣室に向かった。
前も言ったように、私たちのクラスの出し物は童話カフェ。衣装はレンタル屋や演劇部で使わない衣装を借りたり、作ったりしてる。
私の担当の白雪姫はいいのがなかったから、衣装班の手作りみたい。というか、人の服を作れちゃうって、すごいよね〜。
更衣室の扉を開けると、クラスメイト二人が紙袋を持って立っていた。
「あっ、麻里花、きたーっ!」
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううん、大丈夫だよ。早速だけど麻里花ちゃん、着てみてもらってもいいかな?」
「うん、了解!」
私に紙袋を渡した二人は、更衣室から出ていく。
私は中から、さっそく衣装を取り出してみた。
「わあっ、すごくかわいい……!」
私は思わず感嘆の声をもらす。
たっぷりとしたバルーンスリーブに、青と黄色の、あのよく見る色合いのドレスだ。ところどころにちりばめられたパールがかわいい。
もう一つ、中には大きな赤いリボンのカチューシャが入っていた。
私は心躍らせながらも、二人をあまり待たせないよう急いで着替える。
しわも整え、最後にカチューシャをしようと姿見の前に立った。
「あ……」
私は、衣装を着た自分をじっと見る。
……たしかに、私は今、白雪姫だ。誰が見ても、この衣装のおかげで。
だけど私にはやっぱり、白雪姫なんて……似合わない気がしたんだ。
白雪姫のお話なら、七人の小人とかのほうが私っぽい。
プリンセスなんて、やっぱり柄じゃない気がする。
……なんてことは、言えないけど。
私はあわててカチューシャを付け、二人を呼んだ。
「めっちゃかわいい! いいじゃん麻里花! 頑張った甲斐があったわー」
「サイズとか大丈夫? 一応採寸した通りには作ったけど……」
「うん! ぴったりだよ! ありがとう!」
えへへ、と笑って見せれば、二人もつられたように微笑む。
制服に着替えて更衣室を出るとき、こう言われた。
「麻里花。次は侑人呼んできて! さっき演劇部の部室で良いマント見つけたんだよねー。借用許可もらったから、早速試着させなきゃ」
そのマントらしきものを紙袋に詰める二人に、私は返事をして扉を閉める。
そういえば、侑人ってたしか、シンデレラに出てくる王子様なんだっけ。侑人がプリンセスに靴を履かせるなんていうのは、ちょっと見てみたいかも———。
そのときふと、あの日の光景が脳裏をよぎって、思わず廊下のど真ん中で立ち止まる。
侑人がまーほの肩を支えていた、あのときのことが。
ショックだった、というか。それによって陸人くんの気持ちを知ってしまったから……。二人の気持ちを叶えることは、どうしたってできないのが、辛い。
それに……陸人くんがまーほのことを好きだっていうのは……ちょっと、もやもやする。
恋もまともにできない私が、ちゃんと一人の人を好きな陸人くんに置いてかれたような気がするからなのかな。
と、勝手に結論付ける。
私は再び歩き出した。
とりあえず、全ては文化祭が終わってからだと思いながら。
次の日の朝。怪しい曇り空の下、私は普段通り登校をしていた。
まーほは朝練だから、私はいつも通り一人なんだけどね。
下駄箱で上履きに履き替えて階段を上り、廊下を歩く。
平凡な朝。だけど変化は、とつぜんにやってきた。
教室の近くに、誰かいる。
近づいていくと、そこにはスマホを持った美葉ちゃんが立っていた。
「おはよう、みよちゃ……」
「ちょ、あんたっ、どういうこと、これ!」
「えっ」
挨拶をしようと思ったら遮られ、突然美葉ちゃんにスマホを目の前に突きつけられる。
朝っぱらからなんなんだろうと思いながら、画面を見た。
「あ……」
そこには、陸人くんと私がバッチリ映った写真。これ、この前ショッピングモールで
侑人とまーほを尾行したときのやつだ。
なんで……と、撮られた覚えがないよっ。
「美葉ちゃん、これはどういう……」
「あんた、磯田陸人と付き合ってたのっ!?」
「えっ!? ま、まさか! 付き合ってなんかないよ」
両手を振りながら慌てて否定すると、美葉ちゃんがさらに怪訝な視線を向けてくる。
な、なんでこんなに怪しまれてるの〜。そもそも、美葉ちゃん陸人くんのこと好きじゃないよね?
「その写真、どうしたの? 美葉ちゃんが撮ったの~」
視線に耐えられず横を向きながら質問すると、はあ? と返ってきた。
「そんなわけ。出回ってるんだよ、女子の間で」
「で、でまわってるぅ~!!? なんで~!」
「なんでってそりゃ、あの磯田陸人が女と歩いてるなんて知ったら大騒ぎになるでしょ」
「陸人くんって、アイドルかなにかなのかな!?」
別に一緒にいることはおかしくなんてない。私も陸人くんも、恋人なんていないし。
と考えておいて、はっと気付く。
アイドルじゃなくても、大騒ぎになる、よね……?
だって陸人くんって。
「まあ、とりあえず、無事を祈ってるから」
「え、私、命狙われてたりとかするの?」
「分からないけど……。まあ、気を付けたほうがいいわよ」
美葉ちゃんはなんとも言えない表情で自分の教室へ帰っていった。
な、なにがあるんだろう……。
……だけど、なんで今頃。私が陸人くんの尾行したのって、もう二週間も前だ。
情報通の美葉ちゃんが、二週間前のことを言い出したりはしないはず。
なんかおかしい、よね?
私は一人疑問に思いながら、教室のドアを開けた。
「ちょっと先輩、いいですか」
その日の昼休み。お弁当を持って絵筆ちゃんと、中庭へ行こうとすると、知らない一年生女子数人に呼び止められた。
吹部の子ではなさそう、だけど……なんだろう。
「私のことは気にしないで、麻里花ちゃん」
「うん、ごめんね。先に食べてて、絵筆ちゃん」
お弁当を絵筆ちゃんに預け謝罪をしてから、私は彼女たちについていった。
向かった先は、屋上。
秋の風の吹く、朝よりも厚く灰色の雲のかかる空の下に出た。
「あの……何の用かな? 私たち、初めて会うと思うんだけど……」
ここに来るまで誰も一言もしゃべらなかったことを不思議に、そしてちょっと怖く思いながら、恐る恐るそう聞いてみる。
すると一斉に振り向いた4人は、私に鋭い視線を向けてきた。
思わず一瞬怯むと、急に一人に手首をつかまれる。
そして屋上の端っこまで来ると胸倉を掴まれ、緑色の高いフェンスにぐっと押し付けられた。
うっ、いたいっ。
はみ出た針金が思いっきり手のひらに刺さる。
胸倉をつかんだ子が私をキッとにらみつけた。
「……佐藤麻里花先輩。陸人とどういう関係なんですか?」
「えっ……」
どういう、こと?
予想外の言葉に、思考が一瞬止まる。
……陸人くんとの、関係……?
「答えてください、先輩」
「……ただのこう、はい……」
びっくりしながらも、私はなんとかしぼりだすように答えた。
心臓がどきどきと、ありえないくらい高鳴っている。
「じゃあ、これを見てもそんなことが言えますか」
「っ……」
別の子が私に向けたスマホに表示されたものに、私は息をのんだ。
未題の写真フォルダには、今朝美葉ちゃんが見せてきたもの以外にも私と陸人くん二人で映った写真があった。
昨日のやつだけじゃない。廊下を一緒に歩いているのとか、いろいろ。
これ、盗撮なんじゃ……。と思ったけど、そんなこと言ったらさらに事を複雑にしかねないので黙る。
「これ、は」
なんて説明したらいいんだろう。まーほとのことは侑人に口止めされているから話せないし、でもそしたら陸人くんとのことを誤解されたまま。
侑人との約束を破る……なんてそんなこと、私にはできない。
「……説明できないってことは、本当ってことで、いいですか」
スマホを下ろしてそう言い、私に鋭い視線を向ける。
私の胸ぐらをつかんだ子は手を離してくるりと踵を返した。
……このままじゃ、私だけじゃなくて、陸人くんにも迷惑が掛かってしまう。それは、いやだ。
なら、私は。
必死に追いかけて、彼女たちの一メートル後ろまでくる。
「ちょ、ちょっとまって」
「……なんですか」
ドアの近くまで来ていたその背中を引き止める。
喉が、震えた。
四人がこっちへ振り向く。
「陸人くんはね、悪くないの。私が、陸人くんに一方的になってたっていうか。だから私が全部、悪いの」
そのとき、頭にぽつりと冷たいものが降ってくるような感覚がした。
真ん中にいた子がにやりと笑みを浮かべる。
「そうですか。……陸人は、みんなのものなんです。先輩のことは、許しません」
そして、屋上を出る扉を開けて出ていく。慌てて私も出ようとすれば、四人のうちの誰かに肩を押された。
そのまま、後ろへしりもちをつく。
「うっ……」
身体を強く打ち付け、痛みが走る。
と、その間に扉が閉じられてしまった。
「あっ、まっ……」
手を伸ばすけど意味はなく、無情にも鍵のかかる音がした。
パラパラと雨脚が強くなり、制服にしみを作っていく。
「……うそ……」
もしかしなくても私は閉じ込められてしまった。雨の降る、屋上に。
立ち上がってドアを押したり引いたりしてみるけど、やっぱり開かない。
こんな、短期間で二階も屋上に閉じ込められるなんて。しかも雨降ってるし。
「どうしよ……あ」
ブレザーのポケットを探ると、スマホがあった。
取り出そうとして、やめる。こんな雨じゃ、スマホが濡れて使えなくなる。
「……だめじゃん……連絡できないよ」
雨粒が大きくなり、制服は一瞬にして色が変わってしまった。
私はあきらめて座り込んだ。
「雨、タイミング悪いなあ……」
というか、こんなにピンポイントで雨が降る偶然なんてあるんだろうか。それに最近は、晴ればっかりだったのに。
……もしかして。
私は、嫌な予感が頭をよぎる。
……おかしいと思ったんだ。なんで今更、私と陸人くんの写真が広まったのかって。
もしかしたら、この雨の日を狙って私を屋上に呼び出したのかもしれない。晴れなら、閉じ込めたとしても簡単に出れてしまうから。
それなら、辻褄は合う……けど。
「……私、とんでもない大バカだよ」
後輩の女の子たちにやすやすとはめられて。美葉ちゃんにも、気をつけろって言われてたのに。それでいて、今まで何にも気が付かなかったなんて……。盗撮も、なにもかも。
ほんとに、嫌になってしまう。こんな自分が。
……だけど、「陸人くんは悪くない」って言えてよかった。嫌な思いをするのは、一人で十分。陸人くんには、うわさなんかに惑わされず笑っててほしいもん。
こんな雨じゃ、きっと誰も気付かない。全部濡れてしまったし、せっかくならフェンスに寄りかかろうか。
私は立ち上がって屋上に一番端に座り、膝を抱えた。
雨はどんどん強くなって、空は昼間とは思えないくらい真っ暗。
あのときは陸人くんも一緒だったけど、今日は一人。さすがの私でも、心細い。
濡れた髪や制服が、身体に張り付いて冷たく、寒い。暖を求めるように膝をぎゅっと胸元に引き寄せた。
寒いとき、陸人くん、カーディガン貸してくれたなあ。ちょっとぶっきらぼうかなと思ってたのに、案外優しくて。そういえばあの尾行以来からは全然会えてないけど。
キーンコーンー……と、微かに予鈴が聞こえる。お昼休み、もうすぐ終わっちゃうのか。
そういえば雨だけど、絵筆ちゃん大丈夫だったかな。中庭で食べる予定だったから、濡れてないといいんだけど。……約束、すっぽかしちゃったし、あとで謝らないと。
そんなことを考えながら、私はチャイムの音を最後まで聴く。あと5分もすれば授業が始まる。5時間目、なんだっけ。……でもたぶん、受けられないだろうから、別にいっか。
膝に顔を埋めると、視界が真っ暗になる。
雨が止むように願うけど、強くなるばかり。大きくなった雨粒が身体に当たって、痛い。
ざあざあと音はひどくなり、もうたぶん、本鈴が鳴っても聴こえない。
———だから、屋上の扉が開いたことなんて、気が付かなかった。
ふわっと肩に何かがかかる。
あの日と、同じ感覚。
「……先輩。麻里花先輩」
優しく私を呼ぶ声。幻聴、かな。だって、こんなところに、人がいるわけ……。
私は無意識に顔を上げると、雨のフィルターでぼやけた先に、顔が揺らいで見えた。
じっと目を凝らすと。
「……り、くと、くん……?」
そうつぶやくと、はいと返事が返ってきた。
「えっ、ほんとに陸人くん……っ!?」
陸人くん……はもう一度返事をする。
私はびっくりして思わず立ち上がった。それに合わせて、陸人くんも立ち上がる。
あ……こんなとこ、恥ずかしい。
私は弱ったところを見せたくなくて、濡れた顔を手で拭う。
「……ありがとう。でもどうしたの……? 陸人くん、こんなところにいたら濡れちゃうよ。しかも、もうすぐ授業始まっちゃうよね?」
かすかに震える声でそう言う。
だけど、今度は返事が返ってこなかった。まっすぐ見つめられる。
「……私はね、いろいろあって。……で、でも、2回目だから、全然平気!慣れたもんだよねー。私にしては冷静だったし。……だから陸人くん、私はね……」
そのとき、ぎゅっと暖かいものに包まれた。
大丈夫だよ、と繋げようと思ったのに、私はその言葉を飲み込んでしまう。
代わりに心臓がどきどきと高鳴る。
これは、抱きしめられてるってことで、いいんだよね……?
急すぎて理解が追い付かない。
「……どうして」
「……え?」
「……どうしていつも、なんでも、平気そうにするんですか」
「え……」
これだけ近いと、雨音が強くてもよく聴こえる。だからなおさら、意味が分からない。
だけど、この暖かさが冷たい心を癒してくれてるみたいだった。どこかで私は、陸人くんがここに来てくれたことに、安心している。
しばらくしてから陸人くんは腕を離し、代わりに私の手首を掴んだ。
「ここから出ましょう」
引っ張って私たちはドアに向かって歩き出す。
あの日と同じ光景。だけど今度は陸人くんの背中が、違って見えた。
ドアを閉めて中に入ると、雨音はほぼ聞こえなくなった。
二人ともびしょ濡れで、ぽたぽたと踊り場に水滴が落ちる。
陸人くんが階段に座ったので、私も隣に腰掛けた。
「……あの」
「なんですか」
返事はそっけなかったけど、声色が優しい。私は少しそれに甘えて、尋ねてみる。
「どうして、私が屋上にいるって分かったの?」
「それ、は」
一瞬言葉に詰まった様子だったけど、すぐに口を開いた。
「……この際だから、全部言います。今日の昼に、あの……写真が広まってることを知って。先輩大丈夫かなって思って2年の教室に行ったら、いないって言われたんです。もしかしてと思って
百合嶋さん……というのは、一番真ん中にいた子かな。分からないけど、なんとなくそうだと思った。
「あと俺、先輩に謝らないといけないことがあって」
「えっ、なに?」
戸惑いながらも問うと、陸人くんは俯きがちに答えた。
「……盗撮のこと、俺知ってたんです。なんか、見られてんなーとは思って。あいつらがやってるってことに気が付いたのは、あのデートのとき。……でも先輩に言ったら、怖がると思って言えなかったんです。だけどもし俺が言っていたらこんなことにはならなかったわけなので。それは、すみません」
「っ、陸人くんは悪くないよ」
その横顔が切なげに見えて、私は食い気味に弁解する。
そしたら、じっと鋭い視線を向けられた。
「それ」
「え?」
「あいつらにも言ったんですよね。俺のこと、悪くないって。しかも嘘までついて。……俺、先輩のそういうとこ嫌いです」
「え、ええっ」
“嫌い”って、なかなかどストレートだな、陸人くん。
ちょっと真面目に傷つきながらも、冗談だったら怖いな、とか思ってごまかすように上を向いてみる。
「……ほら、やっぱり先輩、声は大きいくせに大事なことはなにも言わない。いつも笑って、突拍子もないこと言って。それって本当の気持ちをごまかすためのフィルターですよね」
「……え」
とんでもないことを言い出したから、びっくりしてしまった。
……ここまで言われたら、否定なんて、簡単にできなくなってしまうじゃないか。
だけど、なぜかうれしい。……私のこと、見ててくれたのかもって。こんな感情、私らしくないって分かってても。
「さ、先輩。6時間目が始まるまでに保健室行って着替えましょうか」
「あ、うんっ!」
陸人くんが立ち上がったので、私も腰を上げる。
その大きな背中を追いかけて隣まで行って、そこから並んで歩く。
「明日も学校だよね。制服どうしようか~」
「乾きますかね。結構濡れましたけど」
「どうかな〜。ま、明日のことは明日だよ!」
「あいかわらずですね。先輩」
———陸人くんに置いて行かれたような気がしたから、もやもやするんじゃない。
私が、陸人くんのことを好きだから、もやもやするんだ。
初めてじゃないから心のどこかではこれが恋だってずっと前から分かってたはずなのに、認めたくなかった。
だって、認めてしまったら、辛くなるから。
好きな人には好きな人がいて。それは、私の妹で。……ううん、それだけじゃない。
私と陸人くんはあくまでも侑人とまーほをうまくいかせるために出会った、友達でも先輩後輩でもない、それ以下。ただのビジネス関係だから。
絶対にうまくなんていかないって、解ってるから。
だから私は、陸人くんと距離を置くべきなんだ。私との関係が誤解されないように。……この気持ちを忘れて、ちゃんと、正しい距離で接することができるように。
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