第3.5話 君に恋をした日 side 侑人

 あれは高二になったばかりの、春のこと。

 テニス部所属の俺は部活で遅くまで練習していて、帰るときだった。


 ……廊下で、女神を見つけたのは。


 さらさらのショートボブに、整った顔立ち。

 制服から伸びる手足は長く、本当に人間なのかと疑うレベルの美しさの見知らぬ女子生徒。

 すれ違ったとき、ほのかに花の香りがした。


 ……て、俺は変態かよ。


 でも振り返らずにはいられなくて、後ろを見る。

 そして、無意識に立ち止まってしまった。

 その堂々とした歩きに、思わず目を奪われる。


 —————身体に、電撃が走ったみたいだった。


 これが一目惚れなんだってことに気づくことも、俺はただ早まる心臓の音を静かに感じていた。





  俺たちの学年は八クラスまであり、生徒数は合計280人。

 たった一年いただけじゃ、同学年の顔なんて全て覚えられるわけもなく。

 最初はあの“女神”が、同じ二年だと仮定して探していた。


 でもそんなんで見つからないことは分かっている。

 先輩後輩の可能性もあるのに、こんなでは絶対またなんてこない。


 せめて、学年だけでも分ればいいのに。

 うちの学校に学年色はなく、見分けがつかない。


 二年の廊下ならまだいいが、三年と一年の教室のある二階と四階を用もなくうろうろしていたら注意されかねない。

 だから、むやみに探すわけには……。

 どうしよう、と考えているまま、時間だけが過ぎて行った。





  桜が散り、緑の葉が見えてきた四月下旬。

 鞄から教科書を取り出そうとすれば、その中に一年で使うものも混じっていた。

 たぶん陸人のだ。昨日あたりに間違えてしまったのだろう。


 まあめんどくさいけど、届けてやるか。

 俺はそう思い立ち、さっそく一年の教室がある四階へ行く。

 でもそこで、あることに気が付いた。


 ……そういえば俺、陸人のクラス知らないんだけど。


 今まで弟のクラスなんて気にしたことなんてなかったし。まさか、こんなところで必要になるとは。

 陸人には悪いけど、諦めてもらおう。はは。


 そして、途中まできたところを引き返そうとしたときだった。


「真由帆ちゃん、山野先生がさっき呼んでたよー」

「待って、今行く!ありがと!」


 俺の隣を、一人の女子生徒が駆けて行った。



 ———それは、まぎれもなくあの“女神”。

 思わず立ち止まって振り返る。


 すらりと長い足は、元気そうに廊下を蹴っていった。


「あっ、侑人。どうしたんだよ……ってか、それ俺の教科書だし。なんでお前が」


 俺を呼ぶ誰かの声も耳に入らず、ただその後ろ姿を見つめる。


 名前も知らない女子生徒だけど。


 しゃべるところも。

 走るところも。

 教師と話しているところも。


 全部、俺にはキラキラ眩しく見えた。


 そして、なにより。


「……かわいい……」

「は?なにが?」

「女神……」


 質問されたので素直にそう答える。


「何だお前。ついに頭おかしくなったんじゃねえの」


 その言葉さえ耳に入らないでいると、突然手元が軽くなった。

 教科書を抱えていた両手が空き、ちゅうぶらりんになる。


「あ」


 そこで俺は、やっと隣にいる陸人の存在に気が付いた。

 視線を感じ俺よりも5センチほど高いその顔を見れば、怪訝そうに眉をひそめる。


「俺の友達の親が精神科医らしーんだけど」

「……何の話だよ?」


 首を傾げると、陸人が何度見てきたか分からないほどの呆れ顔をした。

 いや、そんな顔されても分からないものは分からないんだけど。


「まあ、教科書のお礼だけは言っとくわ。事故には気をつけろよー」


 俺から奪った教科書2冊を腕に抱え、手をひらひらさせながら陸人は行ってしまった。

 ……なんだったんだ、あいつ。


 俺はそう思いながらも、頭の中では彼女の声がやまびこのようにこだましていた。

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