第2話 うわさの陸人くん

「……え、あ、え?あに?」


 当然とも言える疑問を口にすると、彼は申し訳なさそうに下を向く。

 ……あれ、聞き間違いかな。でも確かに今、“兄”って聞こえたはずなんだけど……。


「というか、私、君の名前聞いたっけ?あと、一応確認しておくんだけど、私の名前って」

「佐藤麻里花。ですよね、先輩」


 間髪を入れずにそう答える。

“先輩”って言うってことは、やっぱり後輩?

 でも、話したことないし。私が忘れてるだけかな。


 ただ名前を知っているということは、この後輩くんが人違いしたわけではないんだ。


「で、あの、名前……」


 私が先を急かすようにそう言うと、後輩くんはまたこっちを見る。

 ……本当に、きれいな顔だ。そう思った。


「一年五組、磯田陸人いそだりくと


 その言葉に、私の脳は一瞬だけ思考停止する。

 あれ、この名前の音。どっかで聞いたことあるような。


「あ、わかった!まーほの同級生だ!」

「は?」

「あ、え?」


「……重要なのは、そっちじゃないんですけど」


 そう、磯田くんは呆れたようにつぶやいた。

 あれ、“磯田くん”……?

 身近で聞き覚えのある苗字。


 すると、一つの答えが頭に浮かんだ。


「……ああ、もしかして侑人の弟くん!?」

「やっと気が付きましたか」


 磯田くん———いや、紛らわしいので陸人くんと呼ぶことにしよう。

 陸人くんは目をそらしてため息をついた。


 なんだか、侑人とは正反対って感じだな。

 陸人くんのことはまだよく知らないというか、ほとんど知らないから決めつけるってわけではないけど、なんとなくそう思う。


 まあ、兄弟ってそういうものなのかも。私とまーほだって、雰囲気は似てるって言われるけど、中身は全然違うし。

 というか、侑人に弟なんていたんだ。そっちのほうが驚きだ。

 陸人くんは私を真剣に見つめる。


「……話を聞いている限りでは、兄は麻里花先輩にずいぶん迷惑をかけているようで。だから早めの問題解決のために、麻里花先輩には良ければ協力していただきたいなって思って」

「協力?」


 頑張って理解はしようとしているつもりだけど、うまく陸人くんの言葉の意味が掴めない。

 でも、“迷惑かけてる”っていうのは……。迷惑と言われればなという感じはする。

 たぶん私が思っているのは、私に話ばっか聞いてないでまーほに直接アタックしなよっていうこと。

 すると、ここで五時間目前の予鈴が鳴る。


「時間もないので手短に。……つまり、侑人と麻里花先輩の妹———真由帆の関係の後押しを俺としてくれませんかってことです。ぶしつけなお願いだってことは分かってるんで、するかしないかは先輩にお任せします」


 陸人くんは言い終わると、私に向かって頭を下げてきた。

 まさかそこまでされるとは思わなくて、その行動に身をたじろいでしまう。


 —————侑人と、まーほ。


 別に嫌なわけではないけど、まーほのことを考えれば付き合う可能性としてはゼロに近いのかもしれない。


 でも、陸人くんにとって“可能性”はどうってことない問題みたいだ。


 それなら、ちょっと背中を押すくらいならいいんじゃないかな。侑人だってこのままじゃいやだろうし。

 まあ、まーほの気持ちもあるけど……。


 でも。


 私は、陸人くんと目をバッチリ合わせた。


「私、協力するよ。まあ正直なところ、なんとかなる気がする! って感じだけど」


 私が小さく笑うと、陸人くんも釣られたように微笑む。


「じゃ、よろしくお願いします」

「うん、わかった!」


 私たちは連絡先を交換し、陸人くんと屋上を後にする。


 そして、四階で五組の教室に入っていく陸人くんの背中を見送った。

 ……一年五組。まーほも五組だったと思う。同じクラスなんだ。そういえば陸人くん、まーほのこと呼び捨てにしていたような。


 私はそんなことを考えながら四階にある教室の前を全て通り過ぎ、階段を降りて自分の教室へ向かう。

 もしかしたら、もうすぐチャイム鳴るかも。


 ちょっと早歩きで行き教室に着いたところで、自分の席へ座った。

 するとすぐに本鈴が鳴って、先生が入ってくる。



 ……あれ、ちょ、ちょっまって。



“「俺と、付き合ってください」”って、あれはどういう意味だったの!?

 そういえば確認してないし、本人も特に触れてなかった。

 なんであのとき問い詰めなかったんだろう。後からじゃ聞きにくいよ!


 私は軽く頭を抱えながら、あいさつをして席に着いた。





 その日の放課後。

 吹奏楽部所属の私はクラリネットの入ったケースを片手に、侑人に話しかけた。


「侑人ってさ、一年生に弟っている?」


 テニス部の侑人はラケットを持ちあげながらこっちに振り向く。


「え、いるけど、言ってなかったっけ?」

「うん。最近初めて知ったんだよ。まーほと同じクラスなんだって」


 最近じゃなくて“今日”なんだけど、さすがにそこはちょっとお許しください。


「えっ、そうなの!?」


 すると驚いたことに、侑人が目を丸くした。


「そうなのって、侑人、まーほのクラス知らなかったの?」


 侑人のことだからまーほのクラスなんてとっくに知っていそうなのになんだかびっくり。

 まあ、意外と知らなかったりするもんね。

 と、思ったら。


「ううん。陸人が五組なのを今初めて知った」


 いや、そっちかい!

 私は心の中でツッコミを入れる。そうとは思わなかった。

 私は肩を落としながら「ありがとう、そしてごめん。侑人」と言って教室を出る。


 磯田侑人と、磯田陸人。

 なんだかとんでもないな兄弟に足をつっこんでしまった予感がするなあと思いつつ、音楽室へ向かった。





「あっ、ちょっと麻里花!」


 今日の練習が終わり、楽器をケースにしまって立ち上がろうとすれば、隣に座っていたフルートの美葉みよちゃんに引き止められた。


「え、どうしたの?」


 そう尋ねると、ウエーブのかかったふわふわのポニーテールをゆらしながら口を尖らせた。


「麻里花、忘れたの?」

「忘れたって、なにを?」

「部長任命式っ! 二年と三年だけ残ってこの後あるでしょ!」

「え、あ、そうだっけ?」


 そうだっけじゃないよ〜! と美葉ちゃんが言う。

 そういえば、そんなのあった気もする。もうこんな時期なのか。

 三年生が部活を引退するのは文化祭のある11月だけど、部長任命式があるのは毎年この時期らしい。

 去年は一年だったのでいなかったから分からないけど、どんな感じなんだろう。ちょっとわくわくする。


「忘れてたってことは、麻里花は新部長じゃないんだね」

「え、どういうこと?」

「部長任命式までには、事前に新部長に話がいっているらしいから。でも二年は12人てわりと多めだから、誰になるかは分かんないんだよね」

「ああ~、なるほど」


 ならなっとく。まあ、部長は大変だけど、なる人には頑張ってほしいなあ。

 この等花とうか高校吹奏楽部のために!

 なんてね。


 そうして席に座りなおしていると、ふとある人の姿が目に入った。

 きれいな顔立ちに、さらさらの髪。手元にはアルトトロンボーン。


 私の幼なじみで……初恋の、早瀬奏太はやせそうたくんだ。


 私と同じく中一のころから吹部に入っていて、だけど楽器自体は小学生の頃からやっていたから素人目で見てもけっこうな演奏だ。

 恋をしていたのはもうずっと前のことだから今は好意なんてないけど、なんとなく気にはなってしまう。


 音楽経験とかを考慮しても、奏太くんが部長って確率も全然ある。

 もし……奏太くんが部長になったら。


 きっと、今よりも話す機会が増えるんだろう。

 幼なじみと言ってももうずっと話していないし、家が近いってだけで隣同士ではないから会う機会もほとんどない。


 だから、奏太くんがもし……。

 そんなことを考えながら彼から目を離す。



 ―――そして、新部長に任命されたのは。


 ……嫌な予感が、当たってしまった。





 結果は、言わなくてもわかる通り。

 吹奏楽部次期部長は、奏太くんだったのだ。


「麻里花、このあと用事ある?」

「ないけど、どうしたの?」


 任命式が終わって楽器を持って音楽室を出るとき、美葉ちゃんがそんなことを言ってきた。


「駅前にかわいい雑貨カフェができたんだよね。一緒に行かない?」

「え、ほんと? いいよ、行こう!」

「やったー! ありがと!」


 隣ではしゃぐ美葉ちゃんを見ていると、なんだか元気が湧いてくる気がする。

 そうだよね。疎遠状態の幼なじみと話す機会が増えるかもしれないからってそんなに落ち込むことでもない気がする。

 元カレでもあるまいし。

 よしっ、なんだか今ならなんでもできそうな気がしてきた!


 夜は、いつもよりたくさん練習しよう!

 あんなふうに不安になっていたのが嘘みたいだ。

 気持ちも、ついでに身体も軽くなったような気がする。


 なんて思っていると、美葉ちゃんが急に足音を止めた。

 私もつられて立ち止まる。美葉ちゃんの視線の先は下駄箱。


「え、どうしたのみよちゃ……」

「しっ」


 尋ねた口をばっと塞がれ、何事かと慌てて下駄箱を見る。

 全学年ここの下駄箱を使っているから結構開けた場所なんだけど、すみっこで気が付くのが遅くなる。


 やっと見つけたのは、二人の男女の姿だった。


「す、好きです。付き合ってください!」


 そんなセリフが微かに聞こえ、女の子のほうが頭を下げる。

 ……これは、まぎれもなく告白。


 盗み聞きなんていけないって思うけど、二年の下駄箱に行くには二人の前を通らなければならない。

 美葉ちゃんもそれに気が付いて足を止めたんだろう。


 そう考えて隣を見ると、美葉ちゃんは目をきらっきらにさせて告白現場をガン見していた。

 えっ、なにそれ、どういう反応!?


 そしてそれから数秒後。


「……ごめん。俺、今誰とも付き合う気ないんだよね。だから、ごめん」


 男のほうが、女子生徒をキッパリバッチリ振っていた。

 これまたまぎれもない断りのセリフ。


「……っそうだよね。ごめんね、急に呼び出したりして。じゃ、じゃあまた明日」


 女の子は鞄を肩にかけて走り去ってしまう。

 男の子はというと、こっちは上履きからローファーに履き替えてから校舎を出た。


 ……なんだか、ちょっと沈んだ気持ちになる。自分のことじゃないのに。


 きっと女の子は勇気を出して告白したんだろうな。男のほうが悪いわけじゃないけど、気持ちは分かる。

 すると、数秒経ってから美葉ちゃんの声が聞こえてきた。


「あ~、やっぱりだめだったか」

「え、やっぱりだめだったかって?」


 ちょっと聞き捨てならない衝撃的な発言をしたので思わず聞き返す。

 目はというと、さっきのキラキラ感は完全に失われていた。


「さっきの男のほう、磯田陸人だったでしょ」

「え、磯田陸人って、侑人の弟の?」


 さっきの相手が、まさか今日のお昼に初めて会ったばかりのあの陸人くんだったとは。全然気が付かなかった。

 美葉ちゃんが再び歩き始めたので、私はその横に並ぶ。


「そう、磯田の弟っ! とんでもないくらいにイケメンでいろんな女子生徒を虜にするくせに誰とも付き合わないっていう無自覚女キラー。私もあやうくあの顔面に引っ掛かりそうになったわ」

「ほ~、そんなうわさが」


“無自覚女キラー”なんてあだ名がついちゃうほどに、人気があるんだ。

 でも、今日のお昼に話したときはあんまりそんな雰囲気感じなかった。確かにかっこいいなとは思ったけど。

 あ、そういうところが“無自覚”なのか。なるほど。


「なによ麻里花。興味なさそうね」


 美葉ちゃんが不服そうにそう尋ねてきたので、そんなことないよと否定する。


「あ、そっか。麻里花には兄がいるもんね」

「え、侑人? 侑人はそんなじゃないよ」

「え~、どうかな~」


 すると今度はにやにやしながらこっちを見てくる。


「ほんとだよ。だって、侑人には別に好きな人がいるし」

「え〜? そうなの?」

「うん。私もあいつも、友達かクラスメイトだとしか思ってないよ~」


 まあ、その侑人が好きな人が私の妹っていうのは本人に口止めされているので言えないけど。

 校舎を出てからは、これから行く雑貨カフェの話になった。





 その日の夜、私はまーほの部屋の扉を叩いた。

 といってもいつものように返事は返ってこないので、問答無用で開ける。


「今すぐ出て行ってお姉ちゃん」

「ちょっとー、そんなこと言わないでよ〜。お姉ちゃん、まーほに聞きたいことがあってさ」

「……なに?手短にお願いね」


 ベットの上で寝ながらゲームしていたまーほは、こっちを見ずに淡々と話す。

 私はその態度にもう慣れているため、特に気にすることもなくまーほに近づいた。


「あのね、まーほのクラスに磯田陸人くんって子がいるでしょう? 私その子のお兄ちゃんと同じクラスなんだけどさ、どんな子なのかなーっと思って」

「なに、それ聞いてどうなるわけ?」


 まーほの脳内がこの質問を重要じゃないと判断したのか、はたまたゲーム時間を邪魔されたのが嫌なのか、めちゃめちゃに不機嫌そう。


「お願い! 答えて! 今度なんか奢ってあげるからさ」


 手を合わせると、まーほはため息をつきながらコントローラーを動かす手を止めた。


「……陸人は、よく言えばクール。悪く言えば無愛想。頭のほうはよくわかんないけど、運動神経はいいほうなんじゃない。体育祭の一年リレーでうちのクラスのアンカーだったし」

「なるほどね~、ありがと!」

「用が済んだならとっとと帰ってくれない?」

「じゃああと一つだけ! まーほの好きなタイプは?」


 ちょっと勢いとノリで聞いてみたけど当然返答は返ってこず、私は無言で部屋から出てドアを閉めた。

 クール、無愛想。運動神経がいい。侑人とはまるで正反対だな。と思って出会って日の浅い記憶の曖昧な陸人くんの顔を思い浮かべた。

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