第9話

 その一歩は僕と彼女の身体がくっつくのに十分で、こわごわと抱きしめる僕を、彼女はギュと抱きしめた。


 触れ合った白野花さんは、その細身からは想像がつかないほど柔らかくて、胸がつぶれてしまいそうなほどいい香りがする。


「余計なこといわないか、見張ってる? 来栖くんがそんなふうに思ってるなんて、考えもしなかった」


「うん、ごめん。ごめんなさい」


「だってわたし、あなたを疑ったことなんかない。好きな人を疑うなんて、女の子はしないよ……」


「うん、ありがと」


「それは、疑わなかったこと? それとも」


「好きな人っていってもらえたこと、だよ」


 僕も彼女を強く抱きしめる。こんなにも、誰かを強く抱きしめたのは初めて。


「来栖くん、いつも優しかった……から。あのときだってわたしを助けようとしてくれてるって、わかったから、とっても嬉しかった。

 とっても、嬉しかったの。好きになっちゃうくらい、嬉しかったんだよ?

 男の子にピンチを救われた女の子なんて、ちょろいものだよ。あはは」


「そうなの? ちょろいのは僕も同じだよ。あんなにかわいい姿見せられると、好きになっちゃう。

 僕も好き……だよ。ずっと前から、好きでした」


「えへへ……好きなのはわたしだけかなって。来栖くん、変わらなかったから。

 わたしはね、変わったよ。恋する女の子って感じかな? 自分でも笑っちゃうくらい、恋する女の子になったの。

 ここはね、来栖くんに……大好きな人に優しくしてもらった、記念の場所なの。だからときどき来たくなる。あなたと一緒にこの場所にいるのが、うれしいの」


 僕の首筋に顔を押しつける彼女。


「いつも、あなたを気にしてたよ? どうやったら、好きになってもらえるんだろう、意識してもらえるんだろう。そんなことばっかり考えてた。

 ハートマーク、成功だった?」


「成功だった。うれしかった、ドキドキした、きみを意識させられた」


「わたしはずっと、たぶん最初は消しゴムを半分もらったあのときから、来栖くんを意識してたよ。あの消しゴム、部屋に飾ってあるの。あなたにもらったものだから、宝物なの」


 彼女の涙が僕の首を濡らす。


「ご、ごめんなさい」


 白野花さんが僕の胸元を押し、距離を取ろうとする。僕は彼女を包み込む腕の力を緩め、そして……


 ぐごめごぉおぉッ!


 横っぱらに受けた衝撃で吹っ飛んだ。

 そして地面をズザーだ。


「きゃあぁーっ! 来栖くん大丈夫ーッ!?」


 悲鳴をあげる白野花さん。それに続いたのは、


「ご無事ですかカレン先輩! すみませんうちの兄が! すぐポリス沙汰ざたにしますのでご安心を!」


 聞き間違いようがない、我が妹の声だった。

 どうしてお前がここにいる! 萌香もにか

 蹴ったのか!? お前、僕を蹴ったのか!


「え? ええぇー!?」


 妹の出現に、白野花さんは驚きを隠しきれない様子だ。


「にい、いい訳は署で聞くから。警察の人が」


 痛みで動けずに転がっている僕に近づき、しゃがんで首根っこをつかむ妹。肋骨が2・3本、ギシギシするんだけど。めっちゃ痛いんですけど!


「ちょっと待ってモニカちゃん! なに? どうなってるの!? モニカちゃん、来栖くんの妹なの!?」


「はい、妹でした。ですが犯罪者の兄は捨てました。それは捨てさった過去です」


 あれ? このふたり、知り合いだったのか。


「なにいってるの!? 相変わらずわけわかんないわ、あなた。いいから聞きなさい。あなたが首根っこを掴んでいる人は、わたしのか、か、彼氏? ですけど! わたしたちお付き合いしているの!」


 そうなんだ? お付き合いしてるんだ? 初めて知った。うれしいけど。

 いつからだ?


「にいー。そこまで脅迫きょうはくがすすんでるんですか? 殺すぞ!」


「だから違うっていってるでしょ!」


 白野花さん、もっといってやって。


「カレン先輩、さすがにそれは無理があります。先輩のようなさいたま市で5本の指に入る美少女さまが、これとお付き合い? はっ! そんなのどう信じろっていうんですか!」


「く、来栖くんからも説明して! この子はこんな子なの! 中学時代もこうだったの!」


 知ってる。だって妹だから。


「き、聞け……妹よ」


 やばい、横っぱら痛い。


「しゃべるな犯罪者」


「いいから聞きなさい。この人のいっていることは、真実だ」


「んなわけねー、脅されてるに決まってる」


 決まってねーよ。


「決まってないわよ!」


「先輩。もしかして、トイレ盗撮されたレベルの脅し材料握られてます?」


 白野花さんが変な顔をして黙りこむ。

 やめて、むしろあやしいのでやめてください。


「じゃなかったら、洗脳?」


「盗撮も洗脳もされてません! いいから聞きなさい。来栖くんはわたしの恋人です! 大好きなの! メッセージにハートマークつけて送ってるんだから!」


 白野花さんがスマホを操作して、妹に見せつける。


『おやすみなさい、来栖くん。夢で会いに来てくれたらうれしいです。それとも、わたしから行っちゃおうかな? なんて♡』


 昨夜のおやすみメッセージだ。ちょっと古臭い感じの。古風だな思うことにしたやつだ。

 白野花さんのメッセージって、始終こんな前時代的な雰囲気なんだよな。だから冗談としか思えなくて、彼女の本音に気がつけなかったんだけど。


「あの、先輩……」


 スマホを覗きこんだ萌香もにかが、困ったような顔をする。


「やっとわかった?」


 違う、白野花さん。そいつはわかってない。

 というか、きっと僕でも、その『文字列』からじゃわからない。


「やっぱり洗脳されてるじゃないですかー! 今どき、こんなバカっぽいメッセージ送るやついませんよ! 30年前に絶滅しました!」


 予想ができていた萌香もにかの言葉。それにショックを受けている白野花さんが、なんだかとてもかわいかった。

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